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3章1話 現実からは逃げられない


(なんかスッキリした気がする)


 泣いて、おんばの事を受け入れたからと言って、世界の何かが変わるわけじゃない。そんな当たり前の事を、僕は知識としては知っている。

 でも、意外と世界は変わらなくても、世界の見え方は変わるのかもしれなかった。


「じゃあ、次は直人……そっちは進捗というよりは、生活は落ち着いたのか?」


 低い声が画面の向こうから響く。

 声の主の名前は中村なかむらトキオ。いわゆる僕らのボスだ。


「うん、落ち着いたかな」


 今は普段メディアに出る顔とは打って変わっての、淡々とした表情なんだろうなと思いつつ、僕は答えた。


「はっは、腰を痛めるなんて、風間もとうとうおっさんの仲間入りだなぁ」


「まぁ、加賀美かがみ先輩と違って風間先輩はイケメンだからおっさんでも許されますけどね」


「草」


 それに被せるように、通話越しでも酒やけしたように聞こえる枯れてガラガラになった笑い声と、続いて鈴の音が鳴るような可愛らしい声で放たれる毒舌に、これまたか細い一言が聞こえた。


「おい有栖ありす、てめぇ言っていいことと悪いことがあんだろうが」


 それに、ガラガラの方が文句を言うのを、それぞれミュートにすることで反応する。


「……おい、その反応はお兄さん傷ついちゃうぞ?」


「「草」」


 今は月曜日、僕の働いているステラという会社の主要メンバーが参加する、週に一度の定例会議(定例なのに不定期)だった。


 ガラガラ声で女子二人にないがしろにされているのが加賀美透かがみとおる

 トキオさんと一緒に業界を渡ってきた、歴戦のエンジニアだ。刈り上げた短髪に、強面の顔とゴツい身体。煙草に酒を毎日(たしな)んでいて、パソコンを触っているよりも、むしろ夜のお店で用心棒をしていると言われたほうが納得できそうな容姿である。

 しかし、仕事は堅実で、何とかなるだろうの仕事をしない苦労人気質の先輩だ。


(まったく、僕以外は常識がない人ばかりだから苦労するよね)


 僕はうんうんと頷きながら、でも面倒なので助け舟は出さない。


「……おい」


 今も、再びミュートになった二人に、どこか本当に哀しそうな声を上げる加賀美さんが、大きな身体で肩を落としていそうなのが、カメラはオンにしないまでも感じ取れた。

 トキオさんが、すらりとした長身に後ろ手で縛った髪のスタイリッシュな容姿であるのと対称的で、それでいてどちらかというとヤクザな性格をしているのはトキオさんの方なのだから、外見では人はわからないものである。


「……まぁ、加賀美先輩はおいといて、じゃあ明後日からのリリースや諸々は風間先輩も社にいける感じですよね?」


「うん、まぁ腰も大丈夫にはなってきたし、直接行ったほうがトラブルあった時の対処もラグ無いから……僕が出るなら、そっちはリモートでも大丈夫だけど、有栖ありす志乃しのはどうする?」


 僕が質問に答えた流れて同じように聞き返すと、一人がまずは答えてくる。


「うちは行きますよ、うちの考えた可愛い子たちに不備がないようにしてあげないと」


 このうちっ子は藤野ふじの有栖ありす。二年ほど後輩で、トキオさんが引っ張ってきたデザイナー。

 口は悪いけれど、可愛いキャラを作らせたらとんでもない品質で量産・・してくる無類の可愛いもの好きだ。そして、本人自体も声優でもやればいいんじゃないかと思うような声に、容姿自体も可愛いのだが、いつ見てもゴスロリの格好以外見たことはない、変わった後輩だった。 


「………………」


 そして、もう一方の声の主は、ミュートのままだったが。


『志乃:勿論私も行きます。今回のリリースは大型ではないとはいっても、細かなバグをいくつかリリースしてますしもしも環境によって動作がおかしかったら即対応できる状態にしておきたいと思います。後風間先輩は腰が治ってよかったです。一人暮らしの感想も会ったら是非聞かせてくださいね』


 恐ろしいことに、喋るよりも早いスピードで、チャットが打たれていた。

 こちらも有栖と同じ時期に入ってきた後輩で、影村かげむら志乃しのというプログラマーだ。

 いつも目元まで伸ばした髪で深く俯いているので、未だにちゃんと顔を正面から見たことがなく、お会いしたらとか言いながら、直接会っても全くと言っていいほど喋らないし、電話会議ですらほとんど声を発さない。


 だが、それでも問題がないほどに早いタイピングで繰り出されるチャットでは非常に饒舌だ。

 全体の設計、サーバ周りの構築、各種協力会社さんへの依頼などを加賀美さんがやるのに対して、僕とともに大枠、コア部分のプログラミングを行うのが志乃だった。


 仕事の能力は物凄く優れているけれど変わり者な後輩達である。


『トキオさんは優秀ではあるけれどこんな変な子を、一体どこで見つけてくるんだろう』


 僕が、以前そうぼやいたら、加賀美さんがまじまじと僕を見た後で「……ほんとそうだな」と疲れたように呟いていた。見かけによらず苦労が多い人である。

 僕がしっかりしないと。


「ところで、生活が落ち着いたなら直人、明日夜も出てこれるな?」


「え? なんだっけ?」


「休みに入る前に言っていただろう。企業案件で提携するかもしれない相手と顔合わせがある」


「顔合わせ? そういえば言われていたような気も。でも加賀美さんが行けばいいんじゃないの?」


「透は別件がある。有栖と志乃はまだ客前には出せん……なので直人、お前だ。とりあえず喋らず、技術的な部分で無理なところだけ判別してくれればいい」


「え? 夜? どこ?」


「銀座だ、場所はあとでメールで送る」


 トキオさんの言葉に、僕は考えた。銀座ならここから一時間はかかる。

 しかも夜に会食に連れて行かれるということは、のぞみさんのご飯を食べられないということだった。しかも、リリースも考えると数日は連続で食べられない。

 僕の舌と胃は、そんな現実に何とか抵抗しようとして口を開いた。


「うーん、それはめんど……いや、ほら、まだ本調子じゃないからさ。トキオさんだけで行ってきてよ」


 そんな僕に、トキオさんは何を言っているんだ? と淡々とした口調で言った。


「先ほど腰も、生活も、もう大丈夫だと言っていたな?」


「う……」


「色々あったのは知っている、だが、休暇は終わりだ」


 世界が変わっても、面倒なものは面倒で。

 そして、面倒な現実から逃れられないというのも事実で。

 僕にとっては非常に不本意なことに、のぞみさんのご飯を食べられない日が続きそうだった。


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― 新着の感想 ―
技術の裏方なら、対人能力に多少の不備があっても、という話はありますが、最近はそれでもペアプログラミングとか、それなりの対人能力を求められることが多いですよねを 世知辛いことです。
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