2章8話 箱入りの理由
「えっと……」
「やっぱり。まぁ、『おんばはおんばだし』とか、あの子は言いそうだからそうじゃないかなと思ったんだけどね」
少しだけ混乱する私に、みさきさんがそう言って笑った。
そして作ってくれたカクテルを、そっと滑らせてくれる。青を基調とした、三層に分かれたそれは綺麗で、私はほうっと息を吐く。
「綺麗……」
「改めて、ようこそレインボーに。ここは俗に言う性的マイノリティってやつの居場所。ミツさんは、そういう世間から少しだけうまくやれなかった人間達をまとめてくれていた人なの」
「じゃあ、さっきのあの方々って」
私が風間さんに手を降っていた女性たちを思い浮かべてそう言うと。
「みんな生まれたときは男。今はついてるのとついてないの、性別を変えたの変えてないのもいるけれどね……ちなみにあたしも戸籍上含めて完全に変えちゃったけど元は男よ」
「……? え…………ええええ!?」
色々と頭に浮かんでいた疑問があったはずだった。
おんばさんがそうなら、風間さんとはどういう関係で? とか。だからあんなに彼は男、というか異性感を感じさせないのか、とか。そもそもの目的の料理についてとか。
なのに、今、全部飛んだ。
目の前のみさきさんを見る。凛と背筋の伸びた、長身の美女だ。
仕草から、佇まいから、どう見ても、女性だった。
「あははは、いい反応。それを見れただけでも、なおが説明不足なのを許せちゃうわね」
「うわ、あ、すみません失礼を……でも、ええ?」
「まぁせっかく作ったカクテルでも飲んで頂戴。デザートカクテルで飲みやすいし、柑橘系の香りに味わいで落ち着くと思うわよ」
「はい、いただきます」
そう言って、くっとグラスを傾けて飲んだそれは、確かな美味しさと、ほのかな柑橘系の香りのバランスが取れたものだった。確かに、喉を通っていく感触と共に、少しだけ驚きに支配されていた心が落ち着いていく。
「まぁそれは本題じゃないんだけど、LGBTとかトランスジェンダーとか色々言われてるけれど、ニューハーフって言ったら通りがいいかしら?」
そう言いながら、みさきさんは知識の全然ない私に簡単に説明してくれた。
男性として生まれるも、女性の心を持ち、外科的な身体性性別適合手術を受けた女性のことをニューハーフと呼ぶ。言葉が移り変わりトランスジェンダーとも。正式には性同一性障害とも言って、手術をしたり、ホルモン治療を受けたりすることもあるらしい。
「ちなみに、ミツさんは古き良きオカマだと自分で言っていたわね。まぁあの人も私も、オネェというやつよ」
みさきさんが慈しむように言った。
「性同一性障害なんて言葉が世の中に存在しない頃から、理解なんてされない時代からここに居た、肚も心も座ったすごい人。義理人情っていう言葉が似合う人でありながら、センスも良くて、時代の変化にも対応しながら、私達みたいな人間の居ていい場所を作ってくれる人だったわ」
「…………そうなん、ですね」
「まぁ、結構犬でも猫でも、あたし達みたいなはぐれでも。何でも拾ってくる人だったんだけどね。ある日縁の切れたっていう親戚の中で唯一親交があったっていう、甥の葬儀に行って帰ってきたら、子供まで連れ帰ってきた日はびっくりしたわねぇ」
「あ、それが……?」
私がそう呟くと、みさきさんは頷く。
「そう、なお。聞いてみたら、随分とあの子の押し付け合いみたいになってたみたいでね、引き取るって連れて帰ってきたって。いやそんな簡単に、ってあたしらも言ったんだけど――」
そこで一度切って笑いながら、『自分たちは引き取らないのに文句を言ってくる親戚には、「うるせぇ、いいからとっとと書類揃えて持ってきて、その後は二度と面を見せんな」って言ってね』、と懐かしそうにするみさきさんに、「うわぁ」と言いながら私も笑った。
アルコールが入ったからか、みさきさんの語り口調がうまいのか、私は会ったこともないミツさんという人が好きだった。
「で、店もあるから、交代交代であの子の世話をしたんだけど……素直だし外見もいいしで後から入ってきた子たちにも人気でね。箱入りっぽいのはそのせい」
「あぁ」
「まぁ、考え方みたいな根っこの部分は、変な話自分達がされたよりもよほどちゃんとした人間になるようにってミツさんが教え込んだし、あたし達とずっといたから、性別や外見に無頓着にはなって、結果的に、あぁなったんだけど……」
なんとなく、幼少期からどう育ってきたのかがわかる気がした。
男性ではあると認識してはいるのに無邪気に感じてしまう不思議な間合いや、変なところで義理堅かったり、生活能力のなさだったり。
私がどこか納得するように頷いていると、みさきさんが続けた。
「なおは、ミツさんのことも、ミツさんの料理も本当に好きでね。仕事が成功して色んな豪華なものを食べられる様になっても、どんなに忙しくても、ちゃんと食べに帰ってきてた。そしてミツさんも、最期まであの子にご飯を作ってあげるのはやめなかったわ」
「ミツさんは、その……」
「元々健康で痛みとかにも強い人でね。私やなお、店の子達には何かあると病院にいくように伝えるくせに、自分はあまり病院にかかることもなくて、それが災いしたのかな……癌でね、気がついたときにはもう全身に転移して手が付けられない状態だったわ」
「そう、なんですね」
私はそれしか言えなかった。
そんな私を見て、みさきさんは微笑んで続ける。
「なおは、ギリギリまで知らされなかったわ。ミツさんの希望でね。『あの子に料理を作って、馬鹿みたいに素直に笑うのを見たほうが、病気に効く』って」
「……急な病気でって、そういえば風間さん言っていました」
「そう、なお以外の親しい人間は、店のこともあって知ってたんだけれど。あの子にとっては突然だったでしょう。それがおそらくあの子が――――」
「…………?」
言葉を切ったみさきさんに、私が首を傾げると、みさきさんは首を振って言った。
「いえ、何でも無いわ。そして、元々あなたが気にしてくれていたここのことなんだけど、元々は所有者は、義理の息子であるなおのままにしようとしていたんだけれどね……お店のこととか含めてよくわからないから、全部お願いしますって言われてね」
「うわ、言いそう……」
あっけらかんと、そんなセリフを吐いていそうな風間さんが再生されて、私の解像度も随分とこの二週間で上がったものである。
「……まぁあたしから話せるのはそんなところ。心配をしてくれた感謝と、あなたみたいな人が近くにいてくれるのは嬉しいなと思って、話してしまったのは私のわがままだけど、ありがとね、聞いてくれて」
「いえ、カクテルも美味しかったですし、話も面白かったです……ミツさんにお会いできなかったのが残念だなと思うくらいに」
そう告げた心境に嘘はなかった。
そして、その話を聞いた上で、じゃあ所望のビーフシチューくらいは手間をかけてあげようじゃないかと思うくらいには、私は風間さんのキャラクターを気に入っているのも事実だった。