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2章5話 昼と夜のビーフシチュー


『風間:食べたいものを考えていたんですけど。のぞみさんはレシピがない料理でも、作れますか?』


 風間さんからそんなメッセージが来たのは、和菓子を食べて愚痴を言ってすっきりした深夜から二日ほど経った頃。

 愚痴の元となったサンプルは先方の満足を得たようで、板橋先輩からは打ち上げに飲みに行かないかと誘われて当たり前のように断った日の帰りの買い物中のことだった。

 あの空気の読めなさと、先輩だけ狙うように誘う直接感が生理的に無理ですね。とは私の心をいつも代弁してくれる愛すべき後輩の香菜のセリフである。


(レシピのない料理?)


 私は内心で首を傾げる。

 普段、私の作る料理はそこまでレシピを見て作るわけではない。初めて作ったにゅう麺なんて適当で全く同じものはもうできない程度のものだし、大まかな材料さえあれば作れる。

 レシピに頼るのは作ったことも食べたことも一度もないようなものか、お菓子くらいだった。


『月野:料理の名前だけ聞ければある程度作れるとは思いますけど、何を食べたいんですか?』


『風間:えっと、おんばは昼と夜のビーフシチューって言ってたんですけれど。調べても何も出てこなくって』


「昼と夜のビーフシチュー」


 風間さんの打った文字を呟くように読んで、私は少し考える。

 スマホでぱぱっと調べてみるが、特に固有名詞だったり、有名なメニューというわけでもなさそうだった。ただのビーフシチューは何度か作ったことがあるが、どこかの少し特別なものであれば、流石にレシピとまではいかなくてもヒントが無いと難しい。


『月野:うーん、私も検索してみましたけれど、それっぽいのはないですね? それは何なんです?』


 それだけ返しながら、スーパーの肉のコーナーを回る。今日は鶏肉が随分と安かった。かごに入れるかどうかを迷っていると、再びスマホが震える。


『風間:うーん、おんばが特別な時に作ってくれた料理だったんですけど、もしかしてあれはオリジナルだったのかなぁ』


 オリジナルは難しいかもしれないなぁと、私は思いながら、同時に目の前の鶏肉の値段で悩む心と合わせた返信を送った。


『月野:どんなものか聞ければ再現はできるかもですけれどね。ところで、今日は予定よりも早く帰ってこれたので唐揚げを考えてるんですけれど、晩ごはんまだでしたらいかがですか? 三つかたまりが入ったパックが凄いお得なんです』


 すると、先程よりも更に早い返信が返ってくる。


『風間:是非!』


『月野:後でちゃんとこちらから請求しますからまだ何も送ってこないでくださいね』


『風間:無念』


 少し行動パターンがわかってきた私が先に釘を刺すと、風間さんの会社で作っているキャラクターの、膝をついた無念そうなスタンプだけが送られてきて、やっぱりと思いながらも、口元が緩んでしまった。



 ◇◆



「お邪魔します」


「はいどうぞ、揚げてしまうのでちょっと待っていて下さいね」


 チャイムが押されて、出迎えると随分と歩き方が普通になった風間さんがペコリと頭を下げながら入ってくる。


「ありがとうございます! そして請求額が0が足りなさそうなんですけれど間違ってないですか?」


「はいはい間違ってませんから座っていてください」


 そして、食材費にちょっと端数も切り上げて請求しているのにそんな事をいう風間さんをとりあえず座らせながら、私は揚がり具合を確認しながら声を掛けた。


「さっきの話なんですけれど」


「話ですか?」


「お礼で作ってほしい料理についてです」


「あぁ、でも今日も唐揚げをご相伴に預かるわけですし、正直僕、何もした実感ないので大丈夫ですよ?」


 気を遣っているとかではなく、本当に心からそう思っているんだろうなという口調と声で風間さんがそう言う。


「唐揚げは私が食べたかったものなんで。勿論それが食べたいものという話ならいいんですけど、さっきの昼と夜のビーフシチューでしたっけ、ちょっとどんなものなのか気になるじゃないですか」


「そうですか? うーん、でも僕はいつも食べる専門だったので、そういう料理があるんだと思ってたんですよねえ」


 私の言葉に、風間さんが少し言葉を探すようにした。


「おんばさんが作ってくれたんですよね?」


「はい、僕って昔は野菜があまり好きじゃなかったんですけど……」


「そうなんですか? これまで出したものって、結構サラダも煮物も何でも食べるイメージですけれど」


「今は結構何でも好きです、のぞみさんの作るの美味しいですし。……ただ、そんな僕におんばが作ってくれた野菜も肉もたくさん入ったビーフシチューで、結構何か特別なことがあるたびにねだってたんですよね」


 そう話しながら、どんどんと風間さんの声色が柔らかくなっていく。良い過去に想いが遡っているのだろうなと思った。

 私は、天紙を引いた少し大きめの皿に盛り付けながら言う。


「それなら、私も食べてみたいですけれど、普通のビーフシチューとどう違うんですか?」


 洋食屋さんでも、チルドでも、色んなところにメニューはあるが、基本的にのぞみが家で作るのは牛肉にじゃがいもや人参、市販のルーで作れる安定の味である。

 再現は難しくても、少し近づけてあげるくらいの工夫をしようとは思っていた。


「シチュー自体も凄く味が染みていてコクがあって、肉がとにかく柔らかいんですけれど、何より」


「何より?」


 料理をテーブルに運んで、思い出した味を言葉にしようと頑張っている風間さんに、私は尋ねる。


「うーん、野菜はびっくりするくらいさっぱりして優しい甘みで、口の中でのバランスがほんとに良くて……仕事で連れて行かれた高いお店よりも、ずっとずっとおんばのシチューが美味しかったんです。でもそっか、やっぱ作り方がわからないと難しいですよね」


 正直言って、風間さんの言葉からだけでは、再現どころか近づけることもできなさそうだった。だけど、その顔がとても幸せそうで私は尋ねる。


「……何か風間さんの他にレシピとか作り方を知ってる人とか、ヒントとかはないんですか?」


「え? 作ってくださるんですか?」


 風間さんがきょとんとした顔でこちらを見る。


「できるかどうかわかりませんけれど。話を聞いていて私もそれ、食べたくなってきちゃいました」


「のぞみさんの優しさがカンストでやばいです……」


「そういうのは良いんで、今のままだと無理ですしね」


 私は風間さんの言動を流すようにして、話を先に進めるように促した。

 隙あらば課金するか褒め称えようとしてくる風間さんの行動は予測できるようになっても慣れない。


「うーん、みさきねぇさんならわかるかなぁ?」


「みさき、ねぇさん? お姉さんがいるんですか?」


「はい、おんばのお店で古くから働いてた人で、僕も子供の頃から親戚みたいな感覚ですかね…………それで、色々あって、おんばのお店とか家は、みさきねぇさんにあげちゃったんですよね」


「はぁ、なるほど……? あげた?」


(おんばさんの事を大事そうに話すのに、家をあげるのって何か、騙されたりしてないよね?)


 相変わらず謎が多い人だが、風間さんの言葉に、私の脳内にそんな懸念が湧き上がる。


 風間さんについて、私は断片的にしか知らない。

 知っているのは、生活力が無いことと、金銭感覚がゆるゆるなこと。そして、育ての親のおんばさんが亡くなって一人暮らしを始めたこと。そういえば、住んでいる場所を人にあげることになったと言っていた気もする。


「うーん、考えたこと無かったけれど、おんばってレシピとか残してるのかなぁ。一度帰ってみないと」


「どちらなんですか?」


 考えている風間さんに、私はそう尋ねた。


「ここから二駅先の――――」


 風間さんが言った駅は、ここから二駅ほど先の都心ではないがそれなりに栄えている場所だった。


「…………次の土曜日とか、どうですか?」


「はい、ちょっと電車で移動しないとなんですけれどその頃には腰も……もしかして、一緒に来てくださるんですか?」


「ええ、仕事も落ち着いて、週末の予定は無いですし。それに第一、風間さん、そのメニューのこと本当に聞いて、私に伝えられます?」


「無理です」


 早い返答に、ですよねぇと笑う。


(少し気になるしね)


 勿論、彼は全く実感していないようだけれど、お礼をちゃんとしたいくらいの感謝を持っているのは事実だし、話を聞いて、食べたくなったのもそうだが。 

 ふと頭をぎってしまった懸念は、心配と好奇心にわかれて私の頭の中にどっかり居座っていたし、休みを一日潰して出かけることにはなるが、なんだか不思議な放っておけなさが、風間直人という人にはあった。


「じゃあ、次の土曜日、僕の実家にご招待しますね」


 色々と考えている私の前で、何も考えていなさそうな風間さんが、にこにこと笑っていた。






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