2章4話 自分を一番褒められるのは自分なんですよ
「そちらに座っちゃってて下さい、今お茶を用意しますから」
のぞみさんにそう言われて、僕はそっと座布団の上に座る。
これまでご飯をお裾分けしてくれるときは僕の家に来てくれていたので、改めて中まで入るのは初めてだった。僕の部屋と同じ間取りのはずだけれど、色々と物が置かれていると全く違う部屋に見える。
(…………?)
整然としているけれど、何故か不足を感じた気がして僕は首を傾げた。小物や化粧道具らしきもの、僕には何かわからないものもある。
ドレッサーの上には木製のボードが置かれていて、画鋲の跡だけがあった。何も貼られていない、貼られた痕跡だけがあるそれが、感覚の原因かな。
そんな風に思考が巡って、はっとして僕は自制した。
ようやく歩けるようになった程度なので害は無いと判断したのだとは思うけれど、同時に信用してくれたのもわかるので、あまりきょろきょろしないようにしないと。
「座布団しかないですけれど腰は…………大丈夫そうですね? 正座?」
「いやぁ、最近正座の凄さに目覚めたので。なんとこの体勢、腰が痛くない上に立ち上がるときもピキッと来ないんですよ」
「……あぁなるほど、痛め方にもよるんですけれど、風間さんはそうなんですね。良かったです。椅子とかはなくて、その――――」
のぞみさんの視線を追って、そしてそれに気づいた僕はあわてて首を振った。
「流石にベッドに座らせて下さいなんて言えませんよ、大丈夫です……でもちょっと、緊張はしますね」
「それを言ったら、無断侵入をしてまで、倒れている家主を見つけた私のほうが緊張しましたよ」
「その節は……いや、いつもお世話になってます。そしてお茶ありがとうございます」
ちょっとした照れから、何気ないやり取りを交わしながら、いつものペースになっていく。どこかの僕がふざけたくなってしまうけれど、流石に自重する僕が脳内で勝利した。
「ここの和菓子も結構昔ながらなんですけれど、美味しいんですよね。今日は駅の方まで行かれたんですか?」
話しながら、のぞみさんが向かい合わせに座るのに、僕は頷いて答える。
「はい、月野先生のところに。あれ? そういえばのぞみさんは先生たちといっしょには住まないんですか?」
そして思い浮かんだままに疑問を口に出した。
出してしまってから、もしかしたら聞いてはまずかったかなとも思ったが。
「あぁ、お父さんたちは別にあそこに住んでるわけじゃないですよ? 家はもっと車が無いと不便な場所で、私はちょうど……この物件が空いた時に一人暮らしを始めたんです」
のぞみさんは特に気にした様子もなくそう答えてくれた。
そして、お茶を口元に持っていって潤した後で、「いただきます」と律儀に手を合わせて大福を頬張った。のぞみさんがほっとしたように息を吐く。
「風間さんは食べないんですか?」
「あ、いただきます!」
つい、人が食べる様子をまじまじと見てしまっていたことに気づいて、僕はそう言って自分も手を伸ばした。
「ふふ、頂いたものに対して言うのもなんですけれど、どうぞ遠慮なく。ほんとはこんな夜に甘いものなんてって思いますけれど、共犯者がいれば怖くないですね」
「共犯者って、僕ですか?」
「そうです。でもよく考えたら、風間さんが買ってきてくれたから、むしろ主犯?」
そうのぞみさんがいたずらっぽく言うのに、僕はあはは、と笑った。
そして、二人とも一息をついた後で、彼女はぽつりと職場での出来事を話し始めた。
「朝、聞こえちゃってたかもですけれど。今日、営業から突然、後は提出だけの案件に変更依頼があったんですね……」
僕は静かに話を聞く態勢になる。のぞみさんは、時々お茶を飲んで、ついばむように大福を口にしたりしながら、ぽつりぽつりと話した。
「もともとはPR用のデザインの依頼で、先方の出してきていた写真があったのを差し替えたいって話だったんですけれど、それがあまりにも元のデザインと合わないもので」
「『ささっとでいいよ』とか『そこまで工数ないから』とか『クライアントが無理言ってるから』とか。勿論、それぞれの立場で言ってることは分かるんです」
「もしかしたら、そういう風にした方が丸く収まるし、私もこんなに遅くまで仕事しなくていいのかもしれないですけれど……でも、仕事なんだからちゃんとしろよーって思っちゃうんですよ」
のぞみさんはその先を少しだけ言い淀む。
僕は、なにか返答を求められてるのかなと思って、感じたことをそのまま呟いた。
「うーん、でもいいよって言われても、完成品が納得行かないと気持ち悪いですもんね」
「あ……そう! そうですよね!?」
のぞみさんが、僕の言葉に少し勢いを得たように乗り出してそう言って、そしてはっと恥ずかしがるようにして口元を抑える。
話を聞いている時に関係ないことを考えるのは良くないとわかってはいるけれど一言。その仕草めちゃくちゃ可愛いです。グッドです。
「コホン……時々上司とか営業さんにも言われるんです。月野さんはこだわりが強いよねぇって。そこまで頑張らなくていいのに、とかも。だから、本当はそのままにした方がいいのに私がわがまま言ってるみたいに感じることもあって――――」
「え? 意味がわかんないんですけど」
僕はのぞみさんが言われている内容がよく理解できなくて、そう口に出てしまった。のぞみさんはそんな僕に「え?」という表情を向ける。
「あ、ごめんなさい。のぞみさんが、じゃなくて。その、そんな風に言われる事自体が……僕の仕事仲間は、どんなところでも煙草吸って不健康そうだったり、チャットだとめちゃくちゃ饒舌なくせに直接は会話できなかったり、ゴスロリの格好以外来て出社したら働けないって言ったり、まぁ変な人間ばかりなんですけど」
「……ええ?」
のぞみさんの「え?」の種類が少し変わった気がするけれど、僕はとりあえず続けた。
「でも、そんな中途半端で気持ち悪い仕事はしないですし言わないですよ? プロですもん……」
そして、これだとのぞみさんの会社をディスってるだけだと思って、慌てて付け加える。
「あ、勿論のぞみさんの会社には会社の事情があって、勝手なこというなよって思われるかもしれないですけど。…………うーん、でもやっぱり、ちゃんとしようとしてる人に、ちゃんとしてない人がそんな風に言う方が変だと僕は思いますけど」
「…………なんか、ありがとうございます」
少しだけのぞみさんが小さくなった気がした。
おかしい。あんなに料理ができて、しっかりしてて、仕方ないですねって笑ってくれるのぞみさんが、何故こんなに自信がないんだろうか。
「僕は、結構自分で自分を褒めるんですよね」
「え?」
「だから、のぞみさんももっと褒めていいと思います。変なこと言ってくるやつなんて無視無視です。自分を一番褒められるのは自分なんですよ?」
「褒めるですか?」
「そうですよ、自分の場所をきちんと作って、誠実に仕事して、料理までできる人なんて、めちゃくちゃ偉いじゃないですか。僕なんかの100倍は偉いです。かっこいいです」
そう言うと、のぞみさんはぽかんとした。
(まずった? 余計なことまた言った? いや、もしかしたら、100倍じゃ足りなかったかも?)
僕が無言の時間に内心で焦っていると、のぞみさんがくしゃりと笑った。
くすりでも、あははでもなく、くしゃり。
そしてお茶を手にとって、そっと飲み干して、ほうっと息を吐く。
僕がそんな所作をまじまじと見ていると、今度はにこりと笑って、のぞみさんが言った。
「ありがとうございます……ふふ、最初はどうなることかなって思ったんですけれど、風間さんが隣に引っ越してきた人で、良かった」
「僕はのぞみさんが隣じゃなかったら飢えてたので、良かったどころじゃないですけどね」
そう返すと、のぞみさんは今度こそ声を出して笑ってくれる。
まだ出会ってから一月も経っていないのだけど、僕はのぞみさんの笑い声はとても良いと思っていた。
「今日は愚痴を聞いてくれてありがとうございます。お礼にそうですね、今週末にでも風間さんの好きなもの作りましょうか。何か考えておいて下さい」
笑顔だけでも嬉しいのに、更にそんなことを言ってくれるのぞみさんへの信仰度は増すばかりである。
「なんだか僕、貰ってばっかりなのにさらにお礼まで言われて、すごくお得ですね」
「変わってるなぁっていう印象は変わらないですけれど、そういうところは素敵だと思いますよ」
自分で自分を褒めることは多々あれど、あまり他人から褒められることは少ない僕は少し照れてしまう。
でも同時に、今日の僕はいつもよりもいい仕事をしたんじゃない?と、目の前の笑顔を見て、そう思った。