2章2話 響く親心は少し痛いです(物理)
駅前に不動尊があることから、昔ながらの街並みが残る商店街の一角にその鍼灸院はあった。まだ引っ越してきて一月も経っていないので土地勘は薄いけれど、僕は結構この街並みが好きだ。
「こんにちは、風間さん。……うん、全快にはまだだけど、普通に歩くことはできてますね」
自動ドアのセンサー前に手をかざして建物内に入ると、歩いて向かっているところからこちらに気づいていた月野先生がそう声をかけてくれて、僕はペコリと首だけで挨拶をする。
月野先生は、とてもキレイな白髪に笑いジワを称えた、とても穏やかな人だ。更に言うととても良い声なので、一回目のときは痛みもあったはずだったのに少し眠ってしまってびっくりした。
僕が受付のカウンター越しに財布から診察証を渡すと、月野先生は頷いて、そして代わりに封筒を渡してくれる。見覚えのある、コンビニで買った一番良さそうな封筒である。
「まずは、後で忘れるといけないから。これ、娘からの返却です。預かり期間が少し長かったので、中身も確認してくださいね」
「はい。うーん、本当に感謝の気持ちくらいだったんですけれど。怒られちゃったんですよねぇ……あ、じゃあせっかくなので診療代のチップとして!」
「うーん、話を聞いて、ちょっと多すぎるかなって思いますし、大丈夫ですよ、適正料金を頂いていますから。ご自分で稼いだお金なんですし、ご自身の使いたいことに充てましょう」
僕の同意を求めるぼやきも、提案も、あっさりと躱されてしまう。
(その使いたいことが、お礼したいなんだけどなぁ)
僕はそんな事を思いながらも、これ以上は迷惑行為になるのかな?と考えて受け取る。戦略的一時撤退というやつだ。諦めなければ期は来るはず。そんな事を心に思いながら僕は月野先生に案内されて診療台に横になった。
◇◆
「お隣さんだったんだってねぇ」
最初の診療から十日ぶりだったが、診療台にうつ伏せになって聞く月野先生の声はとても穏やかで落ち着くものだった。
「はい、お世話になってばかりです」
「え? お世話?」
「……え?」
しかし、初手の会話で早速ミスるのが僕というやつです。
想像してみる。腰を痛めたことを理由に、可愛い娘のご飯を食べているやつがいるということを知った父親の反応はどうなのだろうか。
「娘さんから聞いてるわけじゃないんですか? その……あまりに僕が不摂生なのと、動けなかったのでご飯をお裾分けしてもらったりしてて」
と、施術をする準備をしてくれている月野先生に、僕は倒れた後にあったことを説明する。
すると、月野先生は「なるほどね」と呟いて、少し準備を進めた後でそう言った。
「こんな事を頼むのも、きっと余計なお世話で、君にとってもたまたま隣に住んでいる人なんだと思うけれど、まぁよろしくね。あの子は少しだけ抱え込むことが多いから、成り行きであっても夕食を共にする人がいるのは良いことかもしれない」
穏やかなのは変わらないのだけれど、どこか先生としてじゃなくて、親としての穏やかさな気がした。まぁ僕は、いわゆる親というものを知らないんだけど。
ただ、どうやら父親としての娘に悪い虫――僕は違うよ?――がつくのを嫌がるみたいな反応ではなさそうで、そこは意外だった。
「むしろ、怒られるのかなって思ってました」
「怒る? なんでだい?」
「あの、腰が痛いからって娘の手料理を、みたいな。悪い虫がついた、みたいな?」
なんでと聞かれると、うーん? と思いながら、漫画とアニメとゲームで得た父親像を妄想して答えてみると、月野先生はくすっと笑った。
うつ伏せで、顔は見えないけれど、なんだか笑い方がのぞみさんに似ている気がした。親子なんだなって思う。
「おや? 悪い虫になるつもりなのかい?」
「いえそんなとんでもな……いたた」
そんな事を考えているところに、悪い虫かと聞くものだから否定したら、身体に変な力が入ってピキ度が二割増になった。横になっててもね、痛いものは痛いんですよ。
「あぁごめんごめん、力が入ったね……」
そう謝罪の言葉を口にしながら、月野先生が指でぐりぐりっとツボを押すと、全然離れた場所なのに今の痛みが消える。不思議だ。ちなみに押されているところは痛い。うん、痛い。先生? 僕は悪い虫じゃないよ?
「まぁ、もしかしたらもっと君が態度が悪くて、明らかにどうなんだいって思う青年ならそういうこともあるかもしれないけれど。よし、これでいいかな」
「はい、ありがとうございます。そして、態度的には僕は合格ですか? あまり大人の人に褒められたことはないんですけれど」
「合格かどうかは、それは娘が決めることだからね。ただ、僕が言えるのは、君は人をむやみに傷つけるような人じゃなさそうって思ったということさ」
月野先生がそう言うのに、僕は疑問に思って聞く。
「まだ二回、それも腰の治療でしかないのに、わかるものなんですか?」
「まぁ、一対一で話して、体に触れて、を繰り返す職業だからね。なんとなく、感じるものはあるのさ。それにのぞみだってもう子どもなんて年齢じゃない。あの子が判断して、お節介を焼こうと思ったなら、それも縁だろう」
縁。好きな言葉だ。
おんばがよく言っていた。
大事にすることその一つ。出されたご飯は美味しく食べる。
大事にすることその二つ。礼には礼を、優しさには優しさを。
大事にすることその三つ。縁と勘は大事に。
普通のことだけど、僕はおんばに言われたその普通のことを大事に抱えて生きてる。だから、同じものを大事にしている人たちのことは、大好きだ。
「縁。素敵ですね。ところで、のぞみさんはしっかりしてそうで心配もいらないと思いますけれど、やはり父親としても心配なものなんですね」
「うーん、そうだね。しっかりはしている。でもね……ほらここ」
月野先生がそっと僕のお尻と腰の間辺りを軽く押す。軽く……軽く?
「っ!? ピキーンってなりました」
力を込めているようには感じなかったのに、体全体に響くような。
それに月野先生は頷くようにして言った。
「でしょ。これは筋肉が固まってる部分でさ。それよりももっとぐにゃぐにゃしている方が、色んなショックに耐えられるんだよね」
「はい。 はい?」
(ん? のぞみさんのことは?)
僕の怪訝さが背中からでていただろうか。
「ごめんごめん、わかりにくかったかな。……その、うちの娘も張り詰めている部分もありそうだなと。親としては心配だったりもしてね」
月野先生は少し申し訳無さそうにして、そう、ポツリと呟くように言った。
少しだけ、張り詰めている感? というのは思ったけれど、それなら僕も少しは力になれるだろうか、とも感じる。
笑われるのと、気が抜けると言われるのは、得意だった。まぁ、普通にしていたらそう言われるだけで、どうすればいいのかは全くわからないけれど。
「うーん、呆れられることも多いですが、笑ってもらえることも多いですけれど、それで役に立ってますかね?」
なので僕がそう告げると、月野先生は少しだけ手を止めて、くすりと笑って言った。
「あはは、そうだね。その調子で、よろしくお願いするね」
僕はよろしく頼まれた。