100万字を超えてなお書きつづける長編作者と、ネット小説の可能性
ネット小説の多くは「読みやすさ」と「展開の早さ」が求められがちだ。
だから私はそれに抵抗するべく、文章表現にこだわった作品を書きたいと考えている。
もちろん文章による表現には、書き手と読み手の相性がある、とも思う。
ともかくその100万字も書いた小説──私はそれを「小説」として書いていない部分がある。そこに書き表したいのは、一人の人間の「魔導」を追い求める人間の人生そのものだ──は、そうしたネット小説に求められるものとはまったく反した、とんでもなく複雑怪奇な主人公の独白による思考の吐露と、世界の描写に満ち満ちている。
多くの読者はそれを読んだとき、数行で帰っていくだろう(中にはご丁寧に☆1を残していく人もいるだろう)。
それでも私は、異世界の雰囲気を大事にした物語(人生)を書きたいと思っている。だからその世界の描写には無駄にも思える状況の説明や、周囲にある物への描写が書かれる。
私は知っている。
最近の小説なるものが、極力余計な場面の描写を削っていることを。
しかし、私はそこにすら抵抗する。
もしそうしたものを読みたくなければ、読者は私の書いたそれをはじめから読まなければいいし、あるいはその部分の文章を斜め読みしてもかまわない。
ただ私はこれだけは自信をもって言える。
私の書いたそれは、ネット小説の中でも特別に異質なものだろうということを。
そして、どこか「なろう系」にありがちな要素を用いながらも、リアリティにあふれ、その世界に登場する人物の言動にも現実感があると思えるはずだ。
私はマンガじみた人物像を極力排除し(そのためキャラクターの個性が薄い、などと言う人も出るだろう。そうした人は迷わずマンガのような設定の作品だけを読むべきだ)、あくまでリアルさを追求し、はっきり言って地味な物語を書き上げたいと思っているからだ。
たとえ誰に読まれずとも、一部のコアな読者が「こんな変なものは見たことがない」とでも思ってくれれば幸いだ。──そして幸運なことに、私はそうした読者に恵まれている──
もう一度言うが私の書いたその物語は、多くの読者にとって読みづらい文章と、何度も繰り返される──場面の描写にあふれている。
興味本位で目を通さないでほしい。
リアリティのある作品や、ダークファンタジーが好きな人に向けて書いている。
なろうの流行が好きな、テンプレ作品が好きな人にはぜんぜん見向きもされない内容なのは、私が保証する。
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投稿小説サイトが多くの無名の、素人の創作者の投稿作品であふれるはずの場所が、似たり寄ったりな作品であふれるのは、それを評価する読者によるものだと自覚したほうがいい。──気に入らない作品に低評価を付けたり文句を付けたり。それが現状粗製濫造を生んでいる──
異なる個人の書いた作品であるはずなのに、なんの個性もなく、どこかで見たような作品であふれる現状がどれほど異常か。それをよく考えるべきだ。
大衆迎合も結構だが、行き過ぎたそれが何を産むか。いい加減考える時期にきているだろう。
大手の出版社が粗製濫造でも売れるならかまわない、そんな態度に出はじめた。
それに対して「小説家になろう」という投稿サイトがどの程度、坑しえるだろうか?
強力な資本力を持つ大手を前に、まだ同じ粗製濫造品を求めつづけるのか?
読み手も書き手も、そろそろ独自の路線を目指すべきだと私は訴える。
私はいち書き手として、粗製濫造に抗いつづける。
ネット小説は可能性に満ちている。
その可能性の幅を広げられるのは、その可能性に気づいた作者と読者。その双方によってはじめて可能なのだと。
よその投稿サイトが「なろう系」に力を入れはじめている状況で、まだなろう系にこだわる必要があるのか? というか大手に勝てる勝算でもあるのか?
今こそ「小説家」と名乗るのにふさわしい文章や、内容にこだわった作品を評価すべきでは?