第七話
「もしもし、変わりました。遊羽です」
「あっ遊羽? 俺俺、桜季だけど——」
東京で発生した殺人事件のニュースを手に入れた俺は早々に就寝した。
——はずだったのだが、俺はいてもたってもいられず、すぐに遊羽の自宅へと電話をかけた。一秒でも早く、遊羽にこのことを伝えたかったからだ。
だが、俺はその興奮状態のせいで、回覧板に記載されていた電話番号の名前が、『羽鳥』ではなく『吉野』だったことには、この時全く気がつかなかった。
三回のコール音が鳴り、電話へ出たのは年老いたお婆さんだった。
ひどく弱々しい、活気が一切感じられない声である。
俺は一瞬電話番号を間違えたのかなと考えてしまったが、しかし番号を打った際、かなり念入りに確認しながらだったので、それはないとすぐさま否定した。
俺は自分の名前を名乗ると、遊羽に代わってもらうよう頼んだ。
するとお婆さんは「ちょっと待っててね」とだけ言って、受話器を置いた。
今時の電話にはほとんど保留ボタンがついているはずなのだが、それを押していなかったせいで、お婆さんが遊羽を呼ぶ声がしっかりと聞こえてしまった。
「羽鳥くーん。ヤナイハルキと言う子から電話ですよー」
俺はその間、ドキドキと昂る気持ちを整えていた。
ひと様への電話はいつだって緊張する。
俺は遊羽を待ちながら、とりあえず何から伝えたものかと考えていた。
まず東京で起こっている事件のこと……、いや、そもそも遊羽がニュースを見ているのかを先に聞かなくてはならないか……。だからまずは……。
そんなふうに頭の中でシミュレートを繰り返した。
だがそのせいあってか、俺はまたもお婆さんの、遊羽を呼ぶ言い方が名前ではなく苗字だったこと、それから敬語を使っていたことなどには、一切意識が向いていなかった。
それから数分後、ドタドタと階段を降りる音が聞こえ、電話口から知った声が発せられた。
「——それで、要件は何?」
そう言った遊羽の口調は心なしか、早く電話を切って欲しそうな感じに聞こえる。
そういえば時刻はすでに十時を回っていた。
事件のことばかりで、あまりその辺りの気遣いは考えていなかった。
俺は手っ取り早くすませようと、もったいぶらずに遊羽へ訊ねた。
「遊羽はニュースって見るタイプか?」
俺は考えた末、まずそもそも遊羽がニュース番組を見る人間なのかどうかを確認することにした。
見る人間ならば、話は早い。——だが、生憎と遊羽はニュース番組は見ていなかった。
「それならじゃあ、さっき見たニュースの話なんだけれど……」
俺はついさっき風呂上がりで見たニュース。東京で起こったという連続殺人事件について遊羽へ説明した。
被害者が皆男性であること。凶器が刃物であること。そして東京在住であること。(これらは全て、のちに調べたことである)
それら情報を俺はできるだけ詳細に遊羽へ語って聞かせた。
彼はしばらく黙り込んだ後、少しだけ口調を明るくさせて言う。
「確かに今回起こった殺人事件と、東京での事件には何かしらの繋がりがあってもおかしくはなさそうだね」
「だろお——。俺もそう思ったからすぐに電話したんだよ」
興奮状態の俺だったが、しかし遊羽は「ただ」と、釘を刺すように声をいくぶん低くく鎮めた。
「少し、共通点としては薄過ぎるような気もする」
「薄いって、どう言うことだよ」
「今回起こった事件と、東京で起こったっていう事件。この両者の共通点は殺人事件の凶器が刃物であること。被害者が男性で、現在東京都に住んでいる。——だけど、正直共通点としてはざっくりし過ぎている。
まず殺害方法についてだけれど、その方法が包丁での刺殺だなんてのはよく聞く話じゃないかな。他を探せばあとは撲殺や絞殺ぐらい。薬殺は入手経路次第だろうし、銃殺はこの日本じゃあまず難しい。
最も身近にあって、尚且つ手にしやすい包丁での殺人は少し共通点としては苦しい気がする。
それから東京在住の男性っていうのも、この世には女性か男性の二択しかないうえ、人口が最も密集する都道府県なら、それほど珍しくはないと思う。
だから、その三つだけで両者の事件を連続殺人だと決めつけるのはまだ難しいかな」
「そうか?」
——んー、そうかも知れない……。
確かに遊羽の言う通り、この世には計り知れないほどの人間がいる。
上記に該当する事件は、探せば他にも多々あるのかもしれない。
でもどうだろう……、ここ最近でこれほどまでに似たケースは他にあるだろうか。
連続殺人なんて、そんなにたくさん行われているはずはないと思うのだが。
「でも、他に連続殺人と呼べるものがないんじゃあ、やっぱりこれが第一第二じゃないのか?」
東京で起こった二つの事件を警察は連続殺人だと睨んでいると言う。
だが、それ以外にも同じような事件が二つも三つも出てきては、それこそこの世の終わりではないだろうか。
俺の疑問に、遊羽は真剣味を帯びて答えた。
「桜季の言い分はわかる。けれどそもそもの話、この村で起こった事件より前に起こったであろう第一と第二の事件が、ここ最近の出来事だなんて誰が決めたんだい?」
「あ……」
そうか、それは考えていなかった……。
俺は遊羽の言い分に改めて気づかされた。
そうだ。確かに第一と第二の復讐が直近で発生したことだなんて、どこにも書いてなかったじゃないか。
もしかすると遥か昔にあった事件が、今現在に蘇り発生した可能性は十分にあり得る。
共通点のことといい、連続殺人の時期といい、俺が閃いた手がかりは悉く遊羽によって破られてしまった。
彼にとってはこんな情報、わざわざ知らせるほどのことでもなかったのかもしれない。
俺は意気消沈し、遊羽に一言言ってから電話を切ろうと口を開きかけた。
だが、それよりも先に遊羽が喋り出したことによって俺の動きは静止させられてしまった。
「今回の情報は確かに共通点は少なかった。でも、桜季」
別段得する情報でもなく、時間を無駄に浪費したに過ぎないやりとりを経ても、彼は少しも気にしたふうなく、それどころか興味深そうに続けた。
「もし、その東京で起こったって言う事件に、例の手紙が残されていたとしたら、それは紛れもなく連続殺人事件だと考えていいと思う」
「手紙か……」
——ん? 手紙?
「そうだ、手紙——」
今日風呂上がりに見たニュースのことで、俺はずっと気になっていたことがあったのを今思い出した。
俺が見たニュース番組では東京の連続殺人でも手紙の有無どころか、この村で発生した事件ですら手紙のことは一切報道されていなかったのだ。
俺は怒りを覚えながらに遊羽へそのことを話した。すると遊羽は、
「それはたぶん、警察側がわざと隠しているんだと思うよ」
「隠す? 手紙があったことをか? なんでそんなことする必要があるんだよ」
「理由はいくつかあるけれど……。まず考えられることと言えば、模倣犯をなくすため」
「模倣犯?」
模倣犯? なんだそれは……。
模倣……、真似るってことか?
「その通りだよ。警察やマスコミが発表した内容を真似て、似たような犯行を犯す人のことを模倣犯と言うんだ」
「それ、何かメリットはあるのか?」
「当然だよ。例えば——特徴的な現場を残した事件が立て続けに二つ発生したとして、この時の犯人をAとする。そして、警察はそれを元に犯人Aを捜索する。でももし、そこに全く関係のない第三者Bが、これまた同じような特徴を残して犯行に及んでしまうと、警察はこれら三つ全てを連続殺人事件だと括りつけてしまう。当然連続殺人なんだから犯人は一人だろうと……。
だがここでもし、第三の事件が発生した段階で、犯人Aにアリバイがあることがわかってしまうと、警察はこの事件を連続殺人事件だと考えているから、アリバイのあるAを容疑者から外してしまう。
尚且つ、第一の事件と第二の事件で第三者Bにまでアリバイがあったりしてしまうと、警察は一向に犯人を捕まえられなくなってしまうんだ。
それに運が良ければ、第三者であるBは全ての罪をAになすりつけることもできるかもしれない」
「ふん……、なるほど」
つまり元々二人の犯人が引き起こした事件を、警察はその特徴から一人の人物が行った連続殺人事件だと判断してしまう。
そして犯人たちは捕まらずに、まんまと警察から逃げ切ることができると言うわけだ。
うん……。たぶん、理解できている。
俺は遊羽に話を先に進めるよう促した。
「だから警察はこういったことが発生しないように、あえて事件の特徴をマスコミに伏せることがある。
話を戻すけれど、この村で起こった殺人事件に残されていた手紙。もしあれを公表してしまうと、心ないものがそれを利用して新たな事件を起こしてしまう可能性だってある。場合によっては殺人とはいかないまでも、特徴だけを真似る悪戯だって行われる可能性がある」
「はあ、なるほどな……」
と言うことはつまり俺たちは今、警察しか知らずマスコミですら知り得ない情報を持っていると言うことになるのか。
なんだかそう思うと、こう……無性に、体へ疼くものがある。
ごく少数しか知り得ないことを知っていると、謎の優越感が湧いてくるのだ。
——いやいや、今はそんなことに浸っている場合ではない。
そう言えばさっきは俺の言葉で遮られてしまったが、遊羽はこの手紙について何かを伝えようとしていた。
俺はもう一度改めて遊羽へ確かめた。
「手紙の事については理解できた。で、その手紙が東京でも見つかれば、何だって?」
「その手紙が東京の事件でも見つかれば、この両者は連続殺人だと判断していいと思う」
「ああ、そう言うことね」
この村で見つかった手紙と同じようなものが、東京で起こった殺人事件でも見つかれば、これほど決定的な共通点はない。
期待に胸を膨らませ始めた俺だったが、遊羽は対照的に気持ちを沈めていた。
「でも、こればかりは打ち止めだね。マスコミにも伏せているようなものを、警察が関係者でもない僕たちに話してくれるとは思えない。手紙の有無を調べられない以上、僕らの推理はこれで終了だ」
遊羽が珍しく気持ちを込めて諦めを口にする。
確かに、警察に連絡したところで、手紙を有無を教えてくれるどころか、悪戯電話だと逆に通報されかねない。
遊羽の言う通り、ここで終わりなのかもしれない。
——だが、それは通常の場合に限った話だ。
「方法ならある」
「え……」
俺の熱の入った言葉に、遊羽が驚いた声で言う。
「方法があるの?」
「ああ……」
不敵な笑みを浮かべながら、俺はいつもと立場が逆転している事に気がつき、さらに口角を引き上げた。
期待の眼差しを送っているであろう遊羽を想像しながら俺は、自分が今、大事な鍵を握っていることに内心喜び勇んでいた。