第四話
「一本桜で人が死んでた? それ本当か?」
「当たり前だろ。そんな嘘つくかよ」
椅子を横向きに腰掛けた坊主頭の少年が、俺に疑いの眼差しを向けてくる。
その反応が癪に触り、俺は彼にやや荒っぽい返答をした。
周囲を木材で囲まれた部屋。天井も壁も床も、窓やドアでさえ木枠にガラスを嵌め込んで造られた空間。
そんな古臭く、よく言えば歴史を感じさせるこの部屋は、俺が日々生活を送っている学校の教室だった。
里桜小中学校——。
ここは俺の家から最も近くにある学校で、家からだとバスを使って約三十分と言う距離にある。
松月の死体を発見した翌日の二十一日、水曜日。今は登校してすぐの朝礼前。
先生が来るまでの間、教室に待機しながら俺はみんなに、昨日の体験談を語り聞かせている最中なのであった。
もちろんクラスには遊羽の姿もあり、彼の席は俺のすぐ後ろ。
今は机に肩肘をついて、窓の外をぼーっと眺めている。
「桜季。お前、それ見たのか?」
坊主頭の少年が興味深そうに訊ねてくる。
彼の名前は旭谷真琴。中学一年生の十三歳。
ロケットが描かれたTシャツに、下はポケットがたくさんついた短パンと、坊主頭も相まって、いかにもまだ小学生上がりという雰囲気を醸し出している。
身長も中学一年にしてはやや低いらしく、百四十五センチ程度。
身体検査の時にはいつも、俺はそのことで彼を小馬鹿にしていたりする。
——いや、身体検査の時だけではないか……。
俺は真琴の言葉に真剣な顔で頷くと、声を少し低くした。
「ああ……。そもそも死体を発見したの、俺と遊羽なんだからな……。——こう、顔面は血の気が一切感じられないほど蒼白で、唇は紫色。目は飛びでんほどに見開かれ、口は今にも叫び出しそうな様子で開かれてた……。
それはまるで、自分を殺した犯人を地獄の底から呪っているかのように、表情は死を彩っていた……」
まるで怪談でも語り聞かせているかの如く、俺はおどろおどろしくに語って聞かせた。
実際は茶化すことなどできないほどに緊張していたが、今ではそれも嘘のように綺麗さっぱり洗い流されている。
——あいや……、綺麗さっぱりは言い過ぎかもしれない。
だが、怖いものが嫌いな真琴をからかうには持ってこいな題材だと思ったのだ。
俺は話しながら後ろに座る遊羽の顔をちらりと見た。——だが、彼は興味なさげにそっぽを向いたままだった。
そもそもこの会話を聞いているのかさえ怪しい態度である。
「そう、だったのか……」
真琴が視線を下げて、目に見えて大人しくなる。
やはり、今の話し方は効果覿面だったようだ。
俺は真琴の表情をよく見ようと顔を覗き込んだ。
しかし真琴は今語った話に恐怖していると言うよりも、痛い部分を小突かれたかのような、バツの悪い表情をしていた。
「それより、その死んでた人って誰だったんだよ」
「あ? ええっと……、名前は松月咲冴って人なんだけど、真琴知ってるか?」
「——いや、聞いたこともねえな……」
真琴はそう言って眉をいくぶん顰めると、俺から不自然に視線を逸らした。
——おかしな奴だ。いつもならこの手の話には率先して茶化しにくるというのに……、少し驚かせすぎただろうか。それに心なしか、元気もないように見える。
するとそこへ、真琴とは別の——男性的で、どこか柔らかな音を含ませた声が向けられた。
「犯人はまだ見当すらついていないんだよね?」
「たぶんね。関山のおっちゃんも困り顔だったし」
「そっか……」
そう納得して首を引っ込めたのは真琴の席の後ろ。俺から見て斜め後ろに腰掛けている青年——花ヶ崎玲だった。
年齢は十五歳で、俺や遊羽よりも一つ年上の中学三年生。真っ白なTシャツに濃いデニムパンツという出立である。
短く刈り取られた黒髪に、シュッとした顔がかなり大人びた印象を受けるが、垂れた目尻がそれをうまく柔和な印象へと変えてくれている。
怪我をしたのか、今は右頬に絆創膏を貼っていた。
彼はこのクラスの中では最年長で、身長も百七十とかなりでかい。
彼自身そのことを自慢したりは一切しないが、俺や真琴はいつも彼にやっかみを言っている。
それでも彼はこのクラスでは兄のような役回りをしており、なんだかんだ言っても俺や真琴はいつも頼りにしている。主に勉強面で……。
玲は一度引っ込めた首を再度こちらへと向ける。
「犯人像とかはある程度絞られてたりするの?」
「さあ、そこまでは知らない」
「だよね、ごめん……」
意気消沈して目を伏せる玲。
——なんだ。こいつまで今日は元気がないのか。
やはりこの村で殺人が起きたという衝撃が、彼らにも相当なショックを与えてしまったのだろうか。
昨日会った校長や関山も、かなり気持ちが沈んでいたように思う。
俺は沈みかけていた空気を何とかしようと、声の調子をわざとらしく数段上げた。
「まあ、犯人はこの村に住む人とは限らないけどな。松月って人も、東京に住んでいる人みたいだし、そっちに犯人がいるって考えた方が可能性は高いんじゃないか?」
「警察の人がそう言ってんのか?」
「いいや、これは遊羽が言ってたこと」
そう言って俺はもう一度遊羽に目をくれた。それに釣られるように、真琴と玲も彼に視線を送る。
しかしそれでも、遊羽の様子は変わらなかった。
俺はやれやれと呆れながら、真琴のさらに向こうに座る——今日はまだ一言も喋っていない女の子に声をかけた。
「あさぎはどう思うよ?」
「えっ……、あたし?」
少女はまさか自分に振られるとは思っていなかったのか、驚いた顔でこちらを見た。
妙に甲高く、ゆったりとした喋り方。
声を聞いただけでマイペースさが伝わってくるようである。
彼女の名前は右近あさぎ。小学四年生の女の子で、年齢は十歳。
明るい茶髪にラビットスタイルのツインテール。可愛らしいキャラもののTシャツに、下は真っ赤なスカート。
手に持っている鉛筆も筆箱も同じキャラが描かれているものを使用しており、彼女の今一番のお気に入りである。
一応説明すると、彼女の身長はこのクラスでは最も低い百三十センチメートル。
さすがに俺も小学生相手と身長を比べたりはしないが、真琴は自分よりも低い人間がいて内心喜んでいる節がある。
彼女はこのクラスの中では唯一の小学生で、実は言うとこのクラスはこれで全て——と言うか、この学校の生徒がこれで全員なのである。
俺に遊羽、真琴に玲、あさぎを入れれば全部で五人。
これが里桜小中学校の全校生徒なのであった。
ここは元々単なる中学校だったらしいのだが、年々過疎化が進み、子供の数が減少したことがきっかけで、近くの小学校を取り壊し、この学校を併設としたのだそうだ。
それでも以前は生徒が二桁はいたそうなのだが、今はこれだけとなってしまっている。
いや、それでもまだマシな方なのかもしれない。
俺が転校してきた時には三人しかいなかったのだから、今では遊羽入れて五人なのだから増加した方である。
その遊羽はと言うと、相変わらず無言で会話にすら入ってこず、未だ外の景色を眺めている。
昨日のこいつはびっくりするくらいおしゃべりだったから、学校でも少しは変わるかと期待していたのだが、結局はいつもと変わらなかった。
こいつは事件に関することだけは饒舌になる特殊体質なのだろうか。
とてもいい趣味とは言えないが……。
「あさぎに訊いてもわかるわけないだろ」
どう意見したらいいのか迷っているあさぎ。
その様子を見かねてか、俺の彼女を見る視線を遮って、真琴が間に割って入ってきた。
「ものは試しだろ。あさぎの純粋な意見が、何かヒントに繋がるかもしれないし」
「さすがにそれはテレビの見過ぎだと思うよ」
真琴に続いて玲にまで呆れ顔で言われてしまった。
俺は仕方なく、泣く泣くあさぎから引き下がった。
その時、教室の扉がガラガラと音を立てて開かれた。
この校舎はひどく寂れていて、扉の立てつけもかなり悪い。
扉を開くたびに乾いた音が鳴り響くのである。
入ってきたのは俺たちが待ち侘びていた——いや、まったく待ってなどいないのだが、やってきたのはこのクラスの先生だった。
「おはようございます皆さん、ちゃんと席に着いていますね。旭谷さん、体は正面に向けてください。——それでは朝礼を始めます」
元気よく声を発するのはこのクラスの担任、河津華先生である。
彼女は前任である太田洋子先生に変わりこの村にやってきた先生で、タイミングは俺が引っ越してくるよりも若干早かった。
前任だった太田先生は五十五歳とかなり高齢で、五年前、頃合いを見て退職されたそうだ。
玲の話では、彼女はとても面倒見が良い先生だったらしく、生徒一人一人にしっかりと寄り添ってくれて、とても勉強が捗ったと言っていた。
真琴はそんなことはないと言っていたが、あいつはただ単に勉強が嫌いなだけだろう。あさぎも、とても良い先生だと言っていた。
それを引き継いだのが彼女、河津先生だった。
年齢は二十七歳で独身。
以前は東京で教師をしていたそうなのだが、どう言うわけか俺よりも二ヶ月ほど早くこの村に赴任してきた。
目鼻立ちがはっきりとした顔で、かなりの美人の部類である。
長く明るめの茶髪を後ろで一本に縛っており、より小顔がはっきりと見て取れる。
彼女はスタイルも良く、身長は俺よりも十センチ以上高かった。
性格は非常にハキハキとしており、授業時間も正確、いつも時間ぴったりに教室へとやってくる。
太田先生はそこらへん寛容だったらしく、真琴あたりはたまにブツブツと文句を言っている。
——こいつはたまに遅刻をするのだ。完全に遅刻をする方が悪い。
ちなみに言うと、先生も彼女一人だけである。
あとは校長に永源がいるだけだ。
その校長も今は名前を置いているだけらしく、特に授業をしてくれるわけではない。
なので俺たち学年はバラバラだが、彼女が全ての授業を担ってくれている。
しかし、さすがに黒板へ一学年ずつ丁寧に板書するわけにはいかないので、毎回プリントを用意してくる。
俺たちはそれを解き、わからなければ先生が教えると言う感じで、毎日の授業は行われている。
「——。それでは四月二十一日の水曜日。本日の授業を開始します」
河津先生の合図と共に、最年長である玲が号令をかける。
「起立。気をつけ。礼。——着席」
昨日はあんなことがあった後だが、しかし俺たちの日常はこうして、何事もなかったかのように開始されるのであった。