第三話
ブツブツと小さく独り言を始めた遊羽。
会話をする相手がいなくなってしまった俺は浮いた足をぶらつかさせながら、おもむろに周囲へと目を向けた。
最初に比べ、忙しそうに行き来する刑事の姿は少なくなっていた。濃い青色の服を着た人たちも極端に減り、ねずみ色のスーツ姿の大人が増えている。
そんな中、俺は向かいの奥に立つ二人の刑事に目が止まった。
若い刑事の方が、つい今し方やってきた渋顔の刑事に何かを報告している様子である。
「どうだ。あれから何か発見はあったのか?」
「いいえ、何も……。凶器に関しても、ありきたりなものですので、出どころからの捜査は難しいと思われます」
「害者の身元はどうなっている?」
「身につけていた衣服の中から現金とカード、それから免許証が見つかっているので、今確認しているところです。念の為この村の代表者にも連絡を取り、身元の確認をしていただく予定です」
「他にはどうだ。特に気になることはないか?」
「そうですね……。桜の木の近くに不自然な感じで、石が積まれていたくらいでしょうか」
「何だそれは……、この事件と関係がありそうなのか?」
「さあ、それは何とも。ただ、この村の駐在所に勤務している警察官の話では子供の悪戯だろうから、おそらく事件とは何の関係もないんじゃないかと、そう言っていました」
「そうか。——それで、第一発見者である二人の少年たちから話は聞けたのか?」
「はい。つい今し方終えたところです。今のところ、現場の状況と二人の証言に矛盾する点はありません」
「わかった。それなら——」
それから彼らはさらに二言三言会話をすると、若い刑事がその場を去り、渋顔の方は桜の木の方へと姿を消した。
積まれた石か……。
若い刑事が口にしたセリフを思い出す。
俺にはその積まれた石に心当たりがあった。だが……。
それにこの村の代表者とはたぶんあの人のことだ。
さっきの口ぶりからして、もうすぐここへやってくるのだろう。
——にしてもさっきの刑事……。
二人の少年か……、少年ね……。
俺は釈然としない気持ちを抱きながら、徐に自分の衣服へと目を落とした。
真っ白な無地のTシャツにウグイス色のカーゴパンツ。靴はどこかのスポーツメーカーの青いスニーカーで、アクセサリーの類は皆無。
俺は今年で中学二年生になった。
どうやらそろそろ服装にも、気を遣わないといけない年齢になったのかもしれない……。
隣を見ると、遊羽も俺と似たような格好をしている。
だが今はそれがことさら胸に痛いのだ。
以前いた学校ではそれほど気にはしていなかったが、やはりそろそろ……。
俺は若干の決意と軽い落胆を胸に残しながら、大人しく座って警察官の指示を待っていた。
そしてそれからすぐのこと。この場に聞き馴染みのある声が耳に届いてきた。
「わかりました。確認します」
「お願いします」
ひどくしゃがれた声と若くハキハキとした声。
ハキハキとした声は先ほどの若い刑事のものだったが、しゃがれた声の方は今し方やって来た様子である。
俺が馴染みがあるのはしゃがれ声の方だ。
声はだんだんと大きくなっていき、青いビニールの影から二人の姿が現れた。
二人はこちらに一切目もくれず、前を横切ろうとする。
そのまま通り過ぎようとしている片方へ俺は咄嗟に声をかけた。
「校長——」
「ん?」
そう呼ばれた男はすぐにこちらへ振り返った。
浅黒く焼けたシワだらけの顔。つい先ほどまで畑仕事でもしていたのか、白いTシャツには土と泥がついていた。
タオルを首から下げた老人は俺の姿を認めると目を丸くした。
「染井君、どうしてここに? それに、羽鳥君まで……」
隣にいる遊羽の存在にも気がつき、彼は心底驚いた様子で二人の顔を交互に見やった。
この老人の名前は永源治郎。
年は七十を過ぎているお爺ちゃんで、真っ白に染まった髪と長い顎髭がトレードマークだ。
彼は俺たちが通っている学校の校長をしており、何もない日にはよく校庭の手入れをしている。——が、たまに家の畑仕事もしているらしく、学校にいる時間はちらほらだった。
そして同時に彼はこの里桜村の村長のような役割も担っており、誰よりもこの村のことには詳しかった。
桜の木に関する俺の知識のほとんどはあのお爺ちゃんからの受け売りだったりもする。
「そうか。君たちも見てしまったのじゃな……」
校長は悲しげな表情でそれだけを言い残すと、若い刑事に連れられて桜の木の方へ行ってしまった。
どうして彼が呼ばれたのだろう……。
さっきの若い刑事が身元の確認だと言っていたが、校長は死んだ人と知り合いなのだろうか。
不思議に思い、校長が去っていった方向をじっと見つめていると、
「たぶん被害者のことについて聞き出すために、ここへ呼ばれたんじゃないかな」
いつの間にか思考の中から舞い戻った遊羽が、俺と同じ方向を見つめながら言った。
「被害者のことって?」
「被害者が何のためにこの村にやって来たのか、とか。被害者と面識のある人間は誰なのか、とかかな。被害者は東京に住んでいる人みたいだし、何かしらの理由があってここへ来たのは間違いないだろうからね」
「この村に住んでいる人の中に、死んだ男と面識のある奴がいるってことか?」
桜の季節になると、あの一本桜を見るためにやってくる観光客は少なからずいる。
とても彼がそうだとは見えないが、もしかするとそういう目的だった可能性も捨てきれないのではないだろうか。
遊羽は首を傾げて唸った。
「確かにその可能性はあると思うよ。だから警察は近くにある、——全然近くはないのだけれど、ホテルとか旅館とかも同時に調べてるとは思う。ただ、死亡推定時刻が真夜中だからね。そんな時間に被害者がここへいたとなると、親しい人間が彼に宿を提供していたと考える方が自然だと思う」
「そっか、確かにそうかもな……」
この村は町から随分と離れた場所に位置している。
バスの運行は一日二回。当然深夜に走っているわけもなく、辺りに街灯がないため、夜の運転は非常に危ない。
それでも土地勘のあるものならば運転できなくはないだろうが、街まで行くには真っ暗な山道を抜けなくてはならず、そのうえホテルや旅館までとなると、さらに道のりは遠くなってしまう。
遊羽の言う通り、誰かの家に宿泊していたと考える方が自然かもしれない。
「ふう、疲れたわい……」
遊羽と二人、亡くなった人についてそんな会話をしていると、ようやく警察から解放されてすっきりしたと言う面持ちの校長が戻ってきた。
校長はこちらに一直線に歩み寄ってくると、
「すまんが横、失礼するぞ」
遊羽の横に若干空いていたスペースに腰を落とした。
そしてぐいぐいとお尻を動かし、強引に座れるだけのスペースを確保した。
しかしこの長椅子、どう考えても二人用なので、力に負けて反対側にいた俺は押し出される形となってしまった。
ちくしょう……。
俺は仕方なくその場に立つことにした。
すると背後からまた見知った顔が姿をあらわす。
瞬時に振り返ると、そこには先ほどまで姿が見えなかった——この村の交番に勤めている——関山だった。
校長は関山に気がつくと、「おお」と一段声を高くして手招きをした。
永源と関山、この二人は特に仲が良く、暇な時はいつも交番で一緒に将棋を指したりしている。
俺を含めた近所の子供たちはたまにそこへ行っては、彼らに将棋を教わったりしている。
——負け続きだけど……。この二人、絶対手加減してくれないんだ。
「源さんも呼ばれていたんですね」
関山が明るい口調で歩み寄ってくる。
源さんとは校長のことで、親しいものは皆彼をそう呼んでいる。
「うむ。まさかこの村でこんな事件が起こってしまうとはのお」
「そうですね。私もこんな経験は初めてです」
「まったく、どうしてあ奴が……」
腕を組んで深々と頷く校長に、遊羽が質問した。
「校長先生は亡くなった人のことを知っているんですか?」
「ん? うむ、まあな……」
そう言うと、校長は少し遠くを見つめるような目をしながら説明を始めた。
「あ奴の名前は松月咲冴と言ってな。衆議院議員をしている松月正一郎の一人息子なんじゃ。松月正一郎、知っておるか? ——そうか知らんか。まあ良い。
その正一郎と儂は古くから付き合いがあっての、儂はよく正一郎の頼まれごとを任されることが多かった。だが、この村は連絡手段が限られておるから、内容によっては直接届けに来なければならんかった。そこで息子が出てくる。
あ奴はろくな仕事にもつかず年中ぶらぶらしておったから、正一郎が配達の任を言いつけたんじゃ。それでたまあにこの村にやってくるようになったんじゃよ。
今回あ奴がこの村に来たのもそれが理由じゃ。その前は五年前の今頃じゃが、……まあ感じの悪い男じゃった」
「感じの悪い?」
「性格が良くない、と言う意味じゃ」
俺の問いに、校長はまったく見当はずれな答えを返してきた。
俺はただ単に校長の口ぶりから、松月をあまりよく思っていない雰囲気を感じてそう言っただけで、決して感じが悪いの意味がわからなかったわけじゃない。
俺は校長からそんなに馬鹿だと思われているのか——。
ムッとしている俺をよそに、遊羽が改めて訊ねた。
「この村に泊まっていたんですか?」
「うむ、そうじゃ。儂の家に泊まっておった」
「校長の家に?」
驚く俺に校長は笑いながら、
「ははは、何じゃお前たち。警察の真似事でもしておるんか? 大人の真似事はよいが、ほどほどにせんと危ないから気をつけるんじゃぞ? のお、普賢」
「まったくです。今回の事件は子供が首を突っ込んでいいものではない」
「まあ、儂はそこまでは言わんがな。それで、他に聞きたいことはあるかな、刑事さんや」
ほれほれと、校長は楽しそうに俺たちに質問をねだる。
その対応に俺は逆に気圧されてしまったが、遊羽は変わらず質問を口にした。
「今までこの村で、こんな事件が起こったことはないんですか?」
「あるわけがない——」
即答したのは関山だった。校長も力強く頷いている。
「私がここへ赴任してから、もうかれこれ三十年近くは経つが、一度も起きたことはない」
「儂もじゃ。こんなひどい事件、過去に前例がないことじゃな」
「あの手紙も、今まで一度も見たことがないの?」
俺もすかさず訊ねる。
しかし関山も校長も、同じように首を横に振るだけだった。
「でも、それならどうして……」
遊羽が眉間のシワを一層深くして地面に俯く。
俺にも遊羽の気持ちが十二分に理解できた。
手紙に書かれていた言葉。
ここに第三の復讐は遂げられた。
第三の復讐があの殺人のことを表しているのであれば、その前には必ず第一と第二が存在しているはずなのだ。
にも関わらず、この村でそう言った事件が一度として起こったことがないとなると、あの手紙に書かれていた文章は一体どういう意味になるのだろうか。
黙り込んでしまった俺と遊羽。
それを校長は死体を見たショックからと勘違いしたのか、またも見当はずれな励ましを口にする。
「まあ、君たちが気にすることはないぞ。確かに君たちが見た光景はとても見るに堪えるものではなかったじゃろうが、あの男にもそれ相応の理由があったに違いない。じゃから、このことはすぐに忘れるように努めなさい」
「よいか?」校長は最後にそう言い添える。
俺と遊羽はただ黙って、それに頷くことしかできなかった。