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第二話

「終わったのか?」


 大勢のスーツ姿の男たちが行き交う中、遊羽が歩いてこちらにやってきた。

 用意された長椅子に座っている俺の隣に、そっと彼も腰を下ろす。


「うん、終わったよ」


 あれから関山はすぐに応援を呼びに向かった。

 関山は離れる間際まで俺たちに向かって、絶対に死体に近づくんじゃないぞと念を押していたが……。

 ——いやいや、逆に近づけって方が、死んでもごめんだ。


 目を閉じたところで嫌でも思い出してしまう。

 巨大な桜の根本に横たわる、変わり果てた人とも思えぬ何か……。


 死んだ人間が誰なのか、どんな人物だったのか俺にはわからない。ただ、あんな殺され方をすると言うことはおそらく、少なくとも善人ではなかったのだろうと思う。

 恨まれて然るべき理由が、彼にはあったに違いない。


 それでも俺は犯人に同情する気にはなれない。

 殺人はどんな理由があろうともいけないことなのだ。


 この事件が一段落し、再び春が訪れても、俺は変わらぬ感情で満開の桜を見ることができるだろうか。

 ——いや、おそらく無理だろう……。


「くそっ——、何だってよりにもよって、あの場所で……」


 そんな悪態をつくのが、今の俺には精一杯だった。


 横では真剣な眼差しで物思いに耽っている者が一人。


『ココニ ダイサンノフクシュウハ トゲラレタ』


 ミステリー映画に出てきそうな、新聞の切り抜きを貼り合わせた、大小様々なカタカナ文字。

 あれが一体何を意味するのか……。気にはなったが、しかし正直、今そんなことにまで気を回している余裕が俺には微塵もなかった。


 関山が戻ってから数時間後、日ももうとっくに傾きかけたころ、何台もの車がこの桜の木の周りに集結した。

 ゾロゾロと大人たちが車から降りてくると、あれよあれよと言う間に桜の木周辺は黄色いテープと青いビニールで包まれてしまった。


 それからすぐに俺たちは——いわゆる事情聴取を受けた。


 質問してきたのは若そうなお姉さんだったが、俺は緊張から終始ビクビクしていた。

 内容は発見時間や現場の様子。死んでいた男のことなどを執拗に訊かれた。

 当然俺は死んでいた男のことなど知らなかったし、見たこともなかったので首を横に振って答えた。

 四年間この村で暮らしてきた俺だが、あの男には一切見覚えがなかった。


「あの人、結局誰だったんだろうな……」


 俺は何気なくそう呟いた。

 近くにいるのは遊羽一人だけ。彼とてつい一週間前に引っ越してきたばかりなのだ。男のことなど知っているはずもない。


 特別、答えを期待してのものではなかった。

 しかし予想外にも、隣からその解答は返ってきた。


「名前は松月咲冴(まつづき しょうご)。年齢は二十五歳。身長はおよそ百八十センチメートル。住所は東京だそうだよ」

「遊羽、あの人と知り合いだったのか?」


 驚く俺に遊羽は平然と首を振った。


「いや、知らない」

「じゃあ何でそんなことまで知ってるんだよ。身長まで……」

「さっき刑事さんたちが話しているのをこっそり聞いたんだ」

「……何だよ。そう言うことか」


 脅かすなよ……。てっきり遊羽の知り合いが亡くなったのかと思ったじゃないか。


 安堵する俺をよそに、遊羽はさらに死んだ男に関する情報を口にする。


「遺体は刺殺。凶器は体に刺さっていた包丁で、包丁自体はごくありふれたものらしい。死因は体から大量に流れたことでの出血死、だそうだよ」

「そりゃあまあ、あんだけ真っ黒だったからな」


 凶器は包丁、か……。


 ごくありふれたってことは、家にあるものと同じ包丁が凶器ってことだよな。

 俺だって考えたことぐらいはあるが、本当にあれで人って死ぬんだな……。


 黒く汚れた衣服の、その奥に見える無数の真っ暗な穴。光を失った瞳。紫に変色し、歪に歪んだ唇……。


 ——うっ、また思い出しちまったじゃないか。


 脳内に巻き上がってくる光景を、俺は必死になってかき消していく。——にも関わらず、隣に座っている男はまだ話し続けた。


「だけど死体にあった傷は一つ二つじゃないんだ。胸部から太ももにかけて何重もの刺し傷が残されていたそうだよ」

「何重ものって、いっぱい刺したってことか?」

「そう。犯人はこうやって、被害者に馬乗りになる形で刺したらしい」


 遊羽はその場で包丁を持って刺す仕草を実演する。


「松月って人にものすごい恨みを持っていた人が犯人ってことか……。それか、ちゃんと死んだのかどうか不安だったから、用心のために刺したのかも」

「いや、それはどうだろう」


 遊羽が顎に手を当てて深く考え込む。


「前者はともかくとして、後者なら二、三回で事足りたと思うんだ。それに、不思議なのはそこだけじゃない。これも警察の人が言っていたことなんだけれど、現場に残っていた血の跡が、どうも少なかったらしいんだ」

「血が少ないって、どう言うことだよ」

「遺体から流れたであろう血と、実際に残されていた血の量が合わなかったってことだよ。普通あれほどまでに刺されたのなら、もっと地面に血が流れているはずだって警察の人は言っていた」

「それが何か関係あるのか?」

「松月さんは別の場所で殺害された可能性があるってことだよ」

「別の場所……」


 ——亡くなった男の人は別の場所で殺された。


 遊羽のさらりと言ってのけた言葉が、俺の脳内を駆け回る。

 実際はその事実よりも、遊羽のあまりにも冷ややかな口調の方が、俺には信じられなかった。


 どうして遊羽はそこまで……。そんなにも、冷静でいられるんだ……。


 俺は唐突に、彼のその意味不明な冷静さが恐ろしく——、そして取り乱し始めている自分が悔しく感じ、生唾を飲み込んで遊羽の話す内容に話を合わせる覚悟を決めた。


「そ、それなら……松月って人は別の場所で殺されてから桜の木まで運ばれたんだろうよ」


 俺はいたって冷静を装って意見を口にする。——いや、少し声は震えていたかもしれない。だが生憎と遊羽は気がつかなかったらしく、幸いそこへ突っ込んではこなかった。


「それがどうも、そう簡単な話じゃないらしいんだ」

「どう言うことだ?」


 遊羽は神妙な顔つきで地面に視線を落とす。

 まるでサスペンスドラマに出てくる主人公のように……。


「桜の木のそばで、被害者が暴れた形跡が残っていたそうなんだ」

「ん、んん?」


 それが何——?


 俺の混乱している様子に気がついたのか、遊羽は自分から詳しい説明を始めた。


「いいかい。桜の木のそばに被害者の暴れた形跡があったってことは、松月さんはそこで犯人に襲われたのは間違いない。でも遺体のそばに流れた血は少なかったことから、彼は別の場所で殺害されたことになる」

「それは単にほら、桜の木で襲われた松月が逃げて、それを追いかけてきた犯人に捕まって殺されたってことじゃないのか?」


 それならば桜の木で暴れて、尚別の場所で殺された説明にもなっている……よな?


 しかし、遊羽は納得してくれなかった。


「それならどうして遺体を桜の下に戻す必要があるんだい?」

「それは……」


 それは……、確かに変だな……。


 別の場所で殺したのなら、死体はそこに置いておけばいい。わざわざ桜の木の下へ移動させる必要はない。


 遊羽は初めからそれが気になっていたのか。

 それならそれで、ひどくもったいぶった言い方をするじゃないか。

 いや、そもそも遊羽がここまで饒舌に話をする場面を俺は見たことがなかった。


「犯人には桜の下へ死体を運ぶ理由が何かあったってことか」

「そう言うことだろうね」


 遊羽は理解した俺に満足したのか、前屈みだった状態を起こし、長椅子の背もたれに体を預けた。


「死亡推定時刻は深夜の零時から午前二時の間だそうだよ」


 遊羽が唐突に言った。


「詳しいことまではまだわからないらしいけれど」

「そんなことまで聞いてきてのかよ」

「いいや。これはさっき事情聴取の時に刑事さんが言ってた内容」

「あっ、そう……」


 ——と言うことは俺の事情聴取の時にも話していたのだろうか。

 緊張のせいか、刑事さんが何を話していたのかよく覚えていない。


「そうなんだ。——うーん、零時か……真夜中だな。その時間なら、俺もうとっくに寝てた気がする」

「僕もだよ」


 そして黙る俺と遊羽。


 辺りはまだ、忙しなく行き来する警察の姿があった。


 するとまた唐突に遊羽が口を開く。

 こいつがこんなに喋るなんて、本当に珍しいことだ。


「僕はそんなことよりも、あの手紙に書かれていた内容の方が気になる」

「手紙って、あの死体の近くに置いてあったやつだよな」

「うん」


 ——ここに第三の復讐は遂げられた。


 手紙にはカタカナでそう書かれていた。新聞か何かから切り抜かれた文字。それを並べて印刷したような歪な文章。


 うーん……、改めて思い返してみると、確かに気になる。

 そもそも第三って一体……。


「そう、それなんだ。僕もそれが気になっているんだ」

「うおッ——」


 急にぐいっと顔を近づけてきた遊羽に、俺は驚いて咄嗟に身を引いてしまった。


 本当にこいつ、昨日と同じ羽鳥遊羽なのか? 全くの別人みたいだ……。


「第三の復讐と言うことは自然と第一、第二があったと言うことになる。この村で他にそう言った事件が起こったって記録はある?」


 遊羽の問いを受けて、俺はすぐに記憶を掘り起こし始めた。——いや、掘り起こすまでもないな。覚えていればすぐに思い当たったはずだ。


「いいや、聞いたこともない。少なくとも、俺が越してきてからはなかったと思うぞ」

「そうか」


 それだけを言うと遊羽はまた黙り、深く考え込み始めてしまった。


 ——こいつ、まさか自分で犯人を捕まえる気でもいるんだろうか。


 遊羽の横顔を見ながら俺はふとそう思ったが、いやいやと大仰に首を振ってそれを否定した。


 いくら何でも、それはさすがに無理だろう……。

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