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第一話

奥館(おくだて) (こよみ)と申します。

本作は春の推理2022という企画で桜の木をテーマに書いた小説です。

内容は推理小説ということもあり、伏線を要所要所に散りばめておりますので、その辺りも意識して読んでいただけると幸いです。

限られた時間をこの作品へ割いて頂けることに最大の感謝を——。


この作品を書いてからちょうど一年が経ち、改めて見直し修正を加えました。

文章がだいぶ長くなってしまいましたが……、頑張って読んでください。

 G__県T__郡にある村の一つ、里桜(さとざくら)村。俺は今そこで暮らしている。


 緑の山々に囲まれたこの場所は都会から随分とかけ離れた場所に位置し、周囲には民家や田畑しかなく、たまにすれ違う人々も年老いた者ばかりだった。


 そんな辺鄙な場所にあるこの村にも、他に引けを取らないものが存在した。

 それが今、俺たちが向かっている先にはある。


 民家から少し離れた場所にどっしりと根を張った巨大な桜の木。

 大山桜(おおやまざくら)という品種のこの桜は里桜村のシンボル的な役割を担ってくれている。

 樹齢はすでに三百年を超えており、枝の端から端までの長さがおよそ十七メートル、幹回りだとおよそ五メートルを超えるそうだ。


 そんな桜を一目見ようと、一日に二本しかないバスに乗ってやってくる者は少なくない。桜の開花ごろに合わせてカメラを片手に歩く観光客とすれ違うことがよくあるのだ。


 真下まで近づいて桜を見上げるのも確かに乙ではあるのだが、おすすめは少し遠くへ離れ、水の張った田んぼを間に挟んで見るのが一番いい。

 緑の背景も相まって、扇状に広がった桜が水面に反射し、まるでピンク色の花火が咲いているかのように、丸まった桜を見ることができるのである。


 桜の話はこのくらいにして、俺たちは今その桜を目指して歩いている最中なのである。


 俺の後ろには黙々とついてくる男子が一人。


 ところどころピンと跳ねた黒髪に、やや大きめな瞳。華奢な体格も相まってなのか、俺と同じ中学生でありながらも少し幼く見える。

 だが、身長は俺よりも八センチ高い百六十二センチ。俺がまだ子供だからなのか、彼の落ち着いた態度を見ていると、少し大人びても見えるのである。

 その相反する印象に、俺は不思議と惹きつけられていた。


 彼がこの村へ転校してきたのは今から一週間ほど前になる。


 朝礼の時、先生に連れられて教室に現れた彼は促されるままに自己紹介をした。

 ——自己紹介とは言っても、名前と学年を言っただけの簡素なものではあったのだが……。


 羽鳥遊羽(はどり ゆう)と名乗った青年は元々東京に住んでいたのだそうだ。

 詳細は親の事情という言葉でぼかされたが、何か聞き出しにくい事情があることは先生の雰囲気から察せられた。


 俺は遊羽と同じ学年ということもあり、彼がこの村に慣れるまでの間、面倒を見ることになった。

 笑いもせず、照れもせず、緊張している様子すら見せない彼の態度に、俺を含めたクラス全員、どう声をかけていいものか悩んでいた。


 だがそれも三日、いや二日もすれば自然と慣れるもので、今では皆名前で呼び合う仲になっていた。

 遊羽自身もそれはいやではないのか、不満を表すことはなかった。

 ——そもそも、こいつが嫌そうにしている顔が俺には想像できないが……。


 そんな感情が全く見えてこない鉄仮面を顔に貼り付けた遊羽は今、俺——染井桜季(やない はるき)の後ろを二歩ほど離れて歩いていた。


「もうそろそろだぞ。もうちょっとで桜が見えてくるはずだ」


 俺はそう言って振り返り、彼の様子を伺った。

 別にそれほど歩いたわけではないのだが、都会育ちにはこの道のりは少し長く感じたかもしれない。


 かく言う俺も、都会育ちである。東京ではないものの、その近辺と言って差し支えない。

 遊羽とは違い四年前の春、小学五年生の時にこの村へ引っ越してきた。

 引越しの理由自体は父親の仕事の都合というごくありふれたもので、ここへやってきてしばらくは見るもの全て驚くことばかりだった。


 周りには家と田畑と森しかなく、買い物をするにも車で二時間以上も離れた先にある名前も知らないスーパーだけ。当然コンビニなど存在しない。

 娯楽といえば体を使った遊びが大半で、あとは釣りぐらいしかすることがない。

 初めの頃はなんてところに引っ越してくれたんだと親を恨んだりもしたが、四年も経てばすっかりこの村の住民である。今では田舎暮らしも悪くはないなと思えるほどになっていた。


 後ろを振り返った俺と目が合うと、遊羽はただ一言「そう」とだけ答えた。


 ——そうって、それだけかよ。まあいいけど……。


 俺は頭の後ろに手を回しながら、静かに、そして着実に目的地へと足を進めた。


 それから三十分後。民家を抜け、交番の前を横切り、ようやく目的のものが見えてきた。


「おっ、見えてきたぞ遊羽。あれだよ、お前に見せたいって言ったもの」


 遊羽は顔を正面に向けると、俺が示す先を見て目を窄めた。


「あれが……?」

「そう。あれこそこの村が唯一誇る、巨大な一本桜だ」


 澄み渡る青い空。緑の山々を背景に輝くピンクの一本木。まるで俺たちが来るのを待ち望んでいたかのように、その桜は悠然と佇んでいた。


 俺たちは進む足に力を入れて、根元を目指した。


「校長の話だと、あの桜——大体三百歳くらいなんだとさ。それで種類は確か……オオヤマザクラって言ったかな」

「そうか、大山桜か……」


 その声は予想よりも近くで聞こえ、ふと真横を向くと、先ほどまで後ろを歩いていた遊羽はすぐ隣にいた。

 どきりとする俺をよそに、遊羽の視線は徐々に大きくなっていく桜に釘付けとなっている。

 彼は感心したように小さく呟くと、


「あの木に名前はあるの?」


 ここに来て初めての質問を口にした。

 俺は目線を彼から逸らし、空中を見た。


「忘れた……」


 その会話を最後に、俺たちは目的地に向かうことだけに集中した。

 近づくにつれ、次第にその巨大さをあらわにしていく大桜。辿り着く頃には俺たち二人とも見上げる格好となっていた。


「大きいな……」

「だろーーッ」


 学校の休み時間。雑談の最中、遊羽がまだこの村の桜を見たことがないという話をしたのをきっかけに、「そんなのもったいない」と俺はすぐさま彼をここまで案内した。

 それは別に、遊羽とさらに仲良くなろうとか、そんなことを思ってのことではない。ただこの桜の木の素晴らしさを、少しでも多くの人に知ってもらいたかっただけなのだ。


 ピンク色の花びらを一面に着飾った大木。普通の木と違い、花びらの隙間から流れる木漏れ日さえも、心なしかピンク色に染まって見える。

 枝のどこかに留まっているのだろう、鳥のさえずりも同時に聞こえている。


「俺、ここの桜が何より好きなんだ」


 瞬間、微かな風が流れた。


 優しくそよぐ風が、枝を揺すって過ぎ去っていく。その拍子に桜の花びらが飛び散り、視界いっぱいにピンクの幕が下りた。

 まるでこの瞬間だけ、世界から切り離されたかのような……。そんな錯覚にさえ陥る。


 隣を見ると、彼は静かに目を閉じていた。

 口角を上げ、体全体で桜を感じているのが傍目でもわかる。


 転校してきてから一週間。初めて見た、遊羽の穏やかな表情だった。


「どうだ。遊羽も気に入っ——」


 その時だった。俺の視界の端に、何か黒いものが写り込んだのである。

 巨大な幹の影に何かが置かれている。


「どうしたの?」


 そんな様子に不審を抱いた遊羽が険しい顔で俺を見た。


「あいや……そこに、何か……」


 そう言って俺が指差す方向を遊羽も振り返る。


 ——何か……、何かがそこにある。


 自然とそちらの方へ足が吸い寄せられていく俺と遊羽。しかしなぜだか進むにつれて、俺の心はざわつき始めていた。


 行ってはならない……。

 見つけてはならない……。


 そんな何の根拠もない不安が、心の中に渦巻きつつあった。


 前を行く遊羽も同じように予感を抱いているのか、その足はひどく重そうだった。

 斜め後ろから見た彼の表情にも、何やら不穏な気配が感じられる。


 距離にして高々数十センチしかないものの、時間はその何十倍にも感じられた。


 徐々に得体の知れない影が姿を現していく。


「————ッ」


 布で覆われた物体。人型をしたそれを見て、俺は咄嗟に言葉を失った。

 呼吸すら喉を通らない——。


 遊羽を見ると、彼も目を大きく見開いて固まっていた。


 木の根本に仰向けに倒れたもの。それは紛れもない人だった。——いや、(⚫︎)(⚫︎)(⚫︎)(⚫︎)(⚫︎)(⚫︎)、そう表現する方が正確かも知れない。


 やや紫色に変色した顔。青紫色の口元はぱっくりと開き、目を剥き出しにした男は身じろぎ一つ見せない。水色の薄い開襟シャツは胸から足にかけて真っ黒に濡れ、ちらりと見える木製の柄が不自然な形で体から突き出していた。


 ——木製の柄自体は妙に見覚えのある、ごくありふれた……。


「桜季……」


 絞り出すような声を発したのは遊羽である。

 彼は一点を凝視したまま、


「速く警察に……、警察に知らせてくれ」


 それでも動けずにいる俺へ、彼はさらに声を張り上げた。


「速くッ——」

「わ、わかった……で、電話だな」


 俺は彼の大声で緊縛から解放されると、すぐにその場を駆け出そうとした。だが、それを遊羽が静止させる。


「いや、ここからなら交番に行った方が速い」

「だな……」


 俺は今度こそ桜の木を背に、その場から逃げ出すかの如く走り出した。


         ******


「速く、こっち——」

「ま、待ちなさい……」

「もうッ——」


 俺は後ろをノロノロと走ってくる男の背後に回ると、背中を強く押しながら走った。


 この村に唯一存在する交番——より正確に言うならば駐在所か——そこに勤務しているのがこの男——関山普賢(せきやま しんげん)だった。

 うっすらと白髪を生やし、大きな黒縁メガネをかけた大男。大きな四角い顔は険しく威厳たっぷりで、この村では珍しく厳格で真面目な警官だった。


 俺は桜の木を離れると、遊羽の言う通りすぐに交番へ向かった。


 このご時世、小学生ですらスマホを持っている時代。かく言う俺もスマホを持参している。しかしこの村へ来た時点で、それはただの四角い鉄の箱と化してしまった。


 電話会社の電波がこの村まで届いていないのだ。近々それもなくなるらしいのだが、この村はその数少ないエリアに該当した。

 家まで帰ればWi-Fiという便利なものもあるが、一度外に出てしまえばスマホは外界との接点の一切を絶たれてしまうのである。


 それゆえ住民の連絡手段は備え付けの固定電話が主流で、外出時は皆無と言ってよかった。


 俺は桜へ向かう途中にあった交番に急いで戻ってくると、中へ入り関山を呼んだ。

 だが、室内からの返事はなかった。


「くそっ、なら裏か——」


 俺はすぐさま思い立ち、交番の裏手に回った。


 こんな辺鄙な村では警察ごとは滅多に発生しない。ゆえに関山はいつも暇を持て余している。


「——おっちゃん」


 交番の裏に広がる畑に関山はいた。野菜がいっぱいに積まれたリアカーを押しながら、彼は不思議そうにこちらを見ていた。


「どうしたんだそんなに慌てて、何かあったのか?」


 相変わらずの圧を感じる、低い声だった。


「どうしたじゃないよ——」


 俺は説明は後と、彼の腕を引っ掴むと、急いで桜の木へと引っ張っていった。


         ******


「連れてきたよ遊羽」


 別れた時と変わらない位置でしゃがみ込んでいた遊羽はこちらに気がつくと、すっくと立ち上がり歩み寄ってきた。


「一体どうしたと言うんだ」


 関山が訳がわからないと言ったふうに俺たちを見下ろす。

 無理矢理に走らされたためだろう。激しく肩を揺らしながら、ぜいぜいと荒い呼吸を繰り返していた。


「そ、それが……」

「そこの桜の下で、人が殺されています」


 言い淀む俺とは対照的に、遊羽は冷静な態度で桜の木の方角を指差した。

 先ほどまであんなに驚愕の表情をしていたと言うのに、彼はもうすっかり落ち着きを取り戻していた。


「——な、何だって?!」


 関山は半信半疑で遊羽の指差す方向に目を向けると、俺たちを押し退けて桜の木に近づいた。

 そして死体を見つけると、うわっ——と警察官とは思えないほどの動揺を見せた。


「なんてこった……」


 青ざめた顔の関山。そのそばへ遊羽が近寄っていく。


「ああこらこら、近づいちゃいかん。離れていなさい」


 慌てて遮る関山を無視して、遊羽が死体の一箇所をまた指差す。


「あれは何でしょうか?」

「ん、何だ?」


 関山も気になって視線を移す。

 俺も慌てて駆け寄ると、あまり死体を直視しないようにしながら、遊羽の指差す先を見た。


 死体のそば、木に寄り添って倒れている男性のすぐ近くに、それはあった。


「何だ、これは……」


 ところどころ血が染みついた白い紙には、それぞれ違ったデザインの文字が刻印されていた。ご丁寧に風に飛ばされぬよう、重石まで乗っかっている。


 紙に書かれた文字を遊羽が読み上げる。


「ココニ ダイサンノフクシュウハ トゲラレタ」


 この場にいる皆が口を閉ざしてしまった。


 ——呆然と立ち尽くす三人。


 背後を流れていく生暖かい春の風が、突如冷ややかなものに感じられ、俺は急な眩暈に襲われた。

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