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第十八話

 休日である土日を挟んだ月曜、二十六日。俺はいつもと変わらず学校へと登校した。


 先週の月曜日に発生した殺人事件。それは金曜日、玲たちが建てた秘密基地にて終わりを迎えた。

 合わせて四日という、長いようで短かった事件の波は泡沫のように跡形もなく消滅した。——いや、後ならたくさん残っているか……。


 自供した関山はひとしきり泣き終えると、皆を招いて森を出た。


 彼の殺人は子供たちのためであったことを俺たちは十分に理解している。

 だから俺たちは何の抵抗もなく、連れ立って森を抜けた。


 再開した雨はそのころにはまた止んでいた。

 まるで皆と同じように、泣き疲れたかのようだった。


 関山は俺たちの方へ振り返ると、もう一度帽子を取った。そして深々と頭を下げる。


「改めて、本当に君たちには迷惑をかけた。私の招いた過ちに君たちを巻き込んでしまったこと、本当にすまないと思っている。特に——」


 関山は俺と遊羽に体を向けた。


「君たち二人には感謝してもしきれない。私の過ちを指摘してくれたこと、本当に感謝している」


 そう言うと、彼はもう一度深々と頭を下げた。


「おっちゃん……」


 関山は顔を上げると、不器用な笑みを湛えた。


「おっちゃんはこれからどうするんだ?」


 俺は森を抜ける最中からずっと気になっていた質問をぶつけた。


 きっかけは白雪里桜の死を事故として片づけた松月や警察の人たちだ。

 しかし殺人を犯してしまった以上、その罪を正当化することはできない。

 当然、罪に問われてしまうだろう。


 関山は重い沈黙を挟むと、暗い表情のまま答えた。


「そうだな……。もちろん私はこれから警察に向かい自首する。しかし、そうなると……」


 関山は目線を下げ、目の前の少女を見下ろした。


 彼女は森を抜ける時からずっと俯いたままだったが、彼の視線に気がついたのだろう。顔を上げ、口を開いた。


「あたしも行く」

「あさぎ……」


 真琴が辛い表情であさぎを見ていた。


 玲や真琴はあさぎの行いを知り。そして隠すことを選択した。

 それはひとえにあさぎの気持ちを汲んでのものだったが、しかし今回は違う。

 彼女は自分の意志で警察に行くと決断したのだ。

 いくら真琴でも、その決意に口を挟む道理はなかった。


「ごめんよ」


 関山はもう何度言ったかわからない謝罪の言葉を口にする。


 あさぎはそんな彼の顔を見上げながら笑顔を浮かべた。


「ううん、大丈夫。おじちゃんがいれば、あたし怖くないから」


 そんな彼女の言葉に、関山はまた目を潤ませたが、グッと堪え彼女の前に手を差し伸べた。

 あさぎはその手を取ると、二人並んで歩き出す。


 大小並んだ二つの影。日をまともに確認することはできないが、すでに暮れており、灰色の世界はうっすらと暗い闇に染まり始めていた。


 俺たちは4人並んで、その後ろ姿を黙って見送った。


 薄暗い世界の中で見たその影はとても小さく、ひどく頼りない。

 それでも視界の端に見えた巨大な桜の木。未だにピンクの衣を纏ったそれは、静かに二人の行く末を見守っているかのように、俺には見えた。


         ******


 俺はいつものように下駄箱に靴を入れ、自分の教室である桜組へと向かう。

 いくつかの教室を素通りし、木製の扉に手をかけた。


「おはよう、桜季」


 いの一番に玲が朝の挨拶を口にする。

 その後、俺の存在に気がついた真琴がぶっきらぼうに挨拶する。


 俺は教室に一歩踏み出すと、にやける顔を隠しながらそれら挨拶に答えた。


 教卓の前に並んだたった3列の机。その中央の列に真琴と、その後ろに玲がいる。


 窓側の列の最前列に俺はカバンを置いた。


 真琴を挟んだ廊下側の席は空いている。

 いつもならそこにはもう一人、甲高い声で話す少女がいるはずなのだが、姿は見えなかった。


 カバンに入った教科書類を片づけ、彼らとの談笑に混じる。


 休日は何をしていたのか。どこへ行ったのか。どんなテレビを見たのか。それがどうれだけ面白かったのか。

 そして最後には今日提出である宿題を、今更思い出して慌てる俺と真琴。

 玲はいつものようにやれやれと肩をすくめる。


 皆何事もなかったかのように毎日を始めようとしていた。

 金曜の出来事がまるで夢だったんじゃないかとさえ思えてくるが、ここにいない彼女の存在が、それが幻でないことを物語っていた。


 きっと玲や真琴も俺と同じように、寂しい気持ちを抱いているに違いない。

 たった四年程度の付き合いである俺ですらそう感じているのだ。

 ここで生まれ育った彼女を知っている彼らがそう思わないはずもなかった。


 しかし彼らはそれを覆い隠す。

 どんなに辛いことがあろうとも、それがどんなに忘れたい思い出だとしても、人は抱えながらに生きていかなければならない。


 時には過去を振り返るのもいいかもしれない。でも前を歩くにはやはり前を向かなければならないのだ。

 後ろを向いて歩くから、人は躓いてしまう。


 だから——。


 だから俺はできる範囲で、前を向いて歩こうと思う。


 それが今回の出来事を経て俺が学んだ全てだった。


 和気藹々と他愛もない会話を繰り広げている俺たち。

 そうこうしていると、頭上から厳かなチャイムの鐘が鳴り響いた。


 朝礼の開始を告げる音だ。これから心底退屈な学校が始まる。

 そして廊下からはそれを待ち侘びていたかのように河津先生が姿を現す。


「おはようござます、皆さん。これから朝礼を始めます。——旭谷さん。体を前に向けてください」


 いつものように、最上級生である玲が号令をかける。

 席を立ち上がる一同。


 ——あれ?


 俺はその時ようやく異変に気がついた。


 各々席を立ち上がる音。その音がいささか少なかったことに——。


 あさぎはいない。それはわかる。だが、それにしても少ないのだ。


 俺は後ろを振り返った。


 ここ最近、俺の後ろには同い年の青年が座っていた。


 羽鳥遊羽。黒髪で仏頂面をした、面白みの少ない男子。


 そんな彼の姿がそこにはなかった。


 ——風邪でも拗らせたか?


 金曜日の放課後、森を抜ける際、俺たちは誰一人として傘を差していなかった。

 皆雨に打たれるがまま森を歩いていた。


 もしかすると、それが原因で風邪を引いてしまったのかもしれない。


 これだから都会の人間は……。


 俺はふっと口元を緩めると、河津先生の注意で前方に向き直った。


 号令をして席に着くと、先生は開口一番暗い雰囲気で一同に視線を巡らせた。


「まず初めに、皆さんには大変残念なお知らせがあります」


 俺は瞬時にあさぎのことだと気がついた。


 あの日の夕方、あさぎは関山と一緒に警察に出頭したのだろう。

 その後どうなったのか、俺は知らない。

 玲や真琴も、誰も話題に出そうとはしないが、俺と同じように気になっているに違いない。だが、誰に訊ねられるはずもなかった。


「このクラスに在籍していた右近あさぎさんが先日、ご両親の都合で転校する形となりました。彼女は私が学校にやってきてすぐの生徒で、この村では彼女の方が先輩でした。この村で生まれた彼女は当然、あなたたちの方が親しかったでしょう。

 急なことで皆さん大変混乱しているでしょうが、彼女の輝かしい未来をみんなで願うことにしましょう」


 先生の言葉は一見平坦ではあったが、いつもよりも微かに熱の入った宣説だった。


 俺たちはあさぎの転校の理由を知っている。

 先生の方はそれを知っているのだろうか。


 知っているのであれば校長辺りから聞いたのだろうが、例の事件に関する話を知って、彼女はどう思ったのだろうか。


 驚いただろうか。それとも嘆いただろうか。もしくは激しく憤ったのかもしれない。

 しかし俺はついぞその質問を投げかけることはしなかった。


 なんとなく、その質問は俺の胸の中にしまっておくべきだと判断したからだ。


 先生はあさぎの件をこれで打ち切ると、「それからもう一人」とさらに続けた。


「それこそ少し前の出来事ではありますが、このクラスに在籍していた羽鳥遊羽さん。立て続けで、これも非常に残念ではありますが、彼も親御さんの都合で昨日転校されました」

「——は?」


 先生の発言に驚きの反応を見せたのは俺だけではなかった。

 いや、そもそもこれは驚きですらなかった。玲や真琴も、我が耳を疑っていると言った感じである。


 遊羽が、転校——?


「まだまだこのクラスでの生活は短いものでしたが、彼も立派なこのクラスの仲間に違いありません。右近さん同様、彼の今後のご活躍を皆さんでお祈りしましょう」


 河津先生は最後にそう締めくくると、「では今日の予定ですが……」と早速授業について話し始めた。


 俺は今だに先生の言った事実が受け入れられず、その後彼女が何を話したのか一切耳に入って来なかった。

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