第十七話
関山晋賢——この村唯一の交番に勤務している警察官である。
「おっちゃんがどうしてここに?」
皆驚きが隠せない中、遊羽だけは変わらない冷静さを保っていた。
「たぶん僕と桜季の後をつけてきたんだよ。ですよね?」
遊羽の問いに関山は黙って頷いた。
関山と最後に会ったのは俺たちが桜へ行く途中、交番の前を横切った時だ。
あの時俺たちは呼び止める関山を強引に振り切った。
彼はその後も俺たちをつけていたのか……。
そう言えば、俺たちが秘密基地を目指している最中、遊羽が一度だけ俺の後ろを振り返ったことがあった。
あの時は何でもないと言っていたが、もしかすると遊羽はあの段階ですでに、関山の存在には気づいていたのではないか。
こいつ、一体いつからこんな状況になることを想定してたんだ。
遊羽は冷たい眼差しと、冷めた声音で関山に確認する。
「松月咲冴を殺害したのはあなたですね?」
決定的な質問。先ほどまでのやり取りがまるで遊びであったかのように、遊羽は単刀直入に切り出した。
関山は重い口ぶりで、
「……そうだ」
と一言漏らした。
「何で、関山のおっちゃんが……」
いまだに信じられない展開に俺の頭はパニックになりつつあった。
関山のおっちゃんが突然やってきて、遊羽が犯人だと指摘し、おっちゃんはそれを肯定した。
俺の頭には無数の疑問符が駆け抜けている。
なぜ? どうして? 何のために?
そう思っているのはたぶん俺だけじゃないだろう。
玲に真琴、そして包丁で刺したと自白したあさぎですら、こんな状況になるなんて夢にも思っていなかったはずだ。
あさぎの時ですらまともに理解するまでに時間がかかった俺は、こんないきなりの展開に当然ついていけるはずもなく、身じろぎ一つできないでいた。
「理由は玲たちと同じですね。白雪里桜の復讐。そのためにあなたは松月を殺害した」
「そうだ……」
遊羽の言葉に関山は低く肯定する。
白雪里桜の復讐。松月咲冴の死を望んでいた人は他にもいたのだ。
玲たちだけじゃない。関山もその一人……。
ふとまた校長の言葉が頭の中に呼び起こされる。
……白雪里桜という少女はこの村のアイドル的な存在だった。
……中には彼女の笑顔に励まされて、毎日を生きとるもんもおった。
……だからあの子が亡くなった時は、村のみんながショックを受けていた。
だが、そのほとんどの人たちは彼女の死を事故死として認識していた。
——二人を除いては……。
「おじちゃん……」
あさぎが涙ながらに関山を見つめていた。
彼女にしても、まさか自分がやったと思い込んでいた殺人に、真の犯人がいたと言うのだから、あさぎの混乱は想像に難くない。
関山はそっと目を閉じると、あくまでも落ち着いた声で説明を始めた。
圧を感じさせるあの声は、今の彼には微塵もない。
「羽鳥君の言う通りだ。私が白雪ちゃんのために松月を殺した。私はあの男がどうしても許せなかった」
「殺害した場所は交番ですか?」
遊羽の問いに関山は頷く。
「あの夜、あの男は突然交番にやってきた。君の言う通り、太ももに包丁が刺さった状態でね。そして救急車と警察を呼ぶように私に命じた。当然その時は私も驚いていたし、急いで彼を助けなければと、受話器を取った。だが……」
「自分を刺した犯人が子供であることを仄めかしたんですね。この村にいる子供は僕たちしかいない。だからあなたは気がついた」
「ああ。きっとあの子たちがやったんだろうと……。白雪ちゃんのことは、私もずっと心残りだった。あの子たちの誰かが彼女の復讐のために、決死の覚悟を抱いて行ったんだろうと……。
それを思うと、私は自分で自分が許せなくなった。何が警察だ。何が正義だ。子供も守れず、犯人を捕まえられず、歪んだ真実を正すこともできない。——結果、全てを子供たちに託す形となってしまった自分を……私は誰よりも憎んだ。
そして私も決心がついた。あの子たちの勇気を無駄にするわけにはいかない。私はもう、迷うわけにはいかないのだとね」
子供たち全員に視線を巡らせた関山は最後に遊羽へ向き直る。
「羽鳥君。君の言う通り交番——正確には交番の裏の畑だがね。そこで私は彼を殺害した」
「太ももにまで刺し傷を残したのはカモフラージュのためですね?」
「遊羽……それどう言う意味だよ」
遊羽の断言に近い言葉に、俺はたまらず口を挟んだ。
太ももにまであった刺し傷がカモフラージュ?
それは一体どう言う意味なのだろうか。
——しかし知ってしまえば何のことはなかった。答えはすでに出ていたのだから。
「松月の遺体には胸から太ももにまで刺し傷があった。仮に憎しみから滅多刺しにしたとして、犯人に馬乗りになったのなら、太ももまで傷口があるのは明らかに不自然だ。馬乗りになった状態で胸から太ももは範囲が広すぎる。だから犯人は一度座る位置をズラして刺したことになる。
でももしそれが太ももに残された傷口を隠すためだとしたら、話は簡単だ。木を隠すのなら森の中とよく言うけれど、関山さんはあさぎのつけた刺し傷を隠すために、不必要な刺し傷を大量に作ったんだ」
彼は木を隠すために、わざわざ森を作ったんだよ——。遊羽は最後にそう言い添えた。
あさぎのつけた太ももの傷跡を隠すため……。
「胸以外にも太ももにも刺し傷があれば、少し不自然に思えたんだ。もしそこに目をつけられれば、そこから捜査の目が背の低い人物に向かう可能性がある。だから私は刺し傷を隠蔽した。
遺体の移動をしたのはその後だよ。畑にあったリアカーを使って、遺体を桜の木の下へ戻し、あの手紙を残した」
「あの手紙はやはり、玲たちに?」
「そうだ」
関山は顔を上げると、どこか遠くを眺めるかのようにすっと目を細めた。
「里桜の件は私の中に澱を産んだ。それはずっと溜まり続け、今の今まで消え去ることは決してなかった。だが染井君がやってきて、徐々に元気を取り戻しつつある子供たちを見ていると、自然と自分の心が軽くなっていることに気がついた。
子供たちは今前を向いて生きている。子供たちはこんなにも今を一生懸命生きようとしているのに、自分は未だあの時の後悔に取り残されたまま。立ち止まったままではないか。
だから私はせめて……、せめて子供たちにはこのまま未来を見続けたまま生きて欲しい。そう願って……」
関山は玲、真琴、あさぎの順に視線を投げ、悔しそうに歯噛みした。
「私の使命は、この村に住む子供たちの輝かしい未来を守ることだ。だからもう、あの男のことなど気にせず。前を向き続けて欲しかった。だから私はあの手紙を残した」
「ダイサンの復讐は遂げられた。あれは白雪里桜の死に対する怨恨の、いわば終止符を打つ言葉だったわけですね」
遊羽の静かな言葉が森の中へと消えていく。
関山はもう話すことはないと、口を閉ざしてしまった。
玲も真琴も、あさぎも何をどう口にすればいいのか迷っている様子だった。
白雪里桜の死と、真実を知る残された人たち。
わずか数人しかいない者たちの運命は、たった一人の少女の死をきっかけに歪められてしまった。——いや、元々白雪里桜の死を警察が隠蔽した時点から、すでに歪んでいたのかもしれない。
きっと彼女の死の真相を知らなければ、この話はこんな結末を迎えることなんてなかったはずなのだ。
白雪里桜の死は事故として、この村の不幸な出来事の一つとして残され、玲たちはその不幸を胸に前を向いて生きていく。
関山も彼女の死をたまたま起きてしまった不幸として、後世に語り継いでいったに違いない。
しかし、そうはならなかった。
さまざまな偶然が折り重なり、今俺たちはここに集まっている。
仕方がないことだった。これはなるべくしてなったことなのだろう……。
仕方がない……。
仕方がなかったんだ……。
「何で……」
気がつくと俺は指の関節が痛くなるほどの握り拳を作っていた。
「何で、何でだよ……」
無意識に言葉が口をついて出ていく。
「何で、どうしてこんなことになったんだよ——」
「桜季……」
知らず、俺は叫んでいた。
元々静まり返っていた森が、この一言と共により一層静寂の中へ身を落としていく。
胸が苦しかった。手も痛かった。もしかすると泣いていたかもしれない。
だけど……。だけど、この激しく胸打つ焦燥が、俺の自制を許さなかった。
「それが正しいことなのかよ。確かに松月のやったこと。警察のやったことは許せない。でも……、でも俺は、あんたのやったことにも全っ然理解できない——」
俺は顔を上げて関山を見た。
彼は目を丸くして俺を見ている。
きっと驚いたのだろう。俺も正直驚いている。
まさか自分がこんなことを言うなんて——。
「未来を見続けたまま生きて欲しい? 子供たちの輝かしい未来を守ること? それが何で、どうしてこんな結果につながるんだよ。——あんた警察官だろ。大人なんだろ。だったら子供に励まされてないで、前向きな姿勢を俺たちに見せつけなきゃダメなんじゃないのかよ——」
この時はっきりと認識した。
俺は泣いていた。叫んだせいで喉も痛かった。
まだまだ言いたいことは山ほどあったのに、うまく声に出せなかった。
すると見かねた遊羽が一歩前に踏み出し、俺の肩に触れた。
「確かに、桜季の言う通りです。多く憎まれた人への復讐はきっと誰かのためになるのかもしれない。でもそれを行った本人が、果たして救われるのでしょうか」
遊羽は後ろでうずくまっているあさぎを見た。
「僕は彼女を見ていると……とても、そうは思えません」
俺は何とか呼吸を整え、涙を拭い、顔を上げた。
すると関山の目にも同じように涙がこぼれていることに気がついた。
後ろから足音がした。
振り返ると、あさぎがのろりとした足取りで関山に近づいていく。
「ごめんさない……」
関山の足元までやってきて、あさぎは彼の裾を引っ張った。
「ごめんなさい、おじちゃん……。あたし……あたしが、あんなことしなかったら……」
顔を上げたあさぎの顔はくしゃくしゃになっていた。
泣きすぎたせいだろう、すでに涙と鼻水の区別もでいなくなっていた。
関山はゆっくりと腰を下ろすと、目線をあさぎと合わせた。
「ううん、違うんだ。違うんだよ……右近ちゃん。これは全て、全て私が……。私の弱さが、招いたことなんだ……」
関山はあさぎの腕を優しく掴むと、帽子を取り頭を上げた。
「——本当に、すまないことをした」
頭を突き合わせた二人の鳴き声だけが、森の中に残されていく。
一人の少女の死によって招いた事件はこうして幕を下ろす。
空は未だ暗いまま。太陽はどこにも見当たらない。
いつかこの空は晴れてくれるのだろうか……。
見上げた俺の頬に、冷たい何かがピタと触れる。
するとおりしも灰色の空から、まるでこの時を待ち望んでいたかのように、透明な雫が溢れ始めた。