第十六話
俺は自分の目と耳を疑った。
玲が、人を殺した……?
玲は今、自白したのか?
「玲、お前——」
「僕が月曜日の夜、桜の木の下にいた松月咲冴を包丁で刺したんだ」
同じように驚く真琴に、玲は目だけで制し先を続けた。
「だから警察に捕まるのは僕だけでいい」
唖然としている俺は信じられない現実にうまく言葉が絞り出せなかった。
松月を殺害したのは玲だった。
本当に……。本当に、玲が?
確かに玲は今、自分で殺したと言った。けど……どうしてか、俺はその真実を素直に飲み込むことができずにいた。
俺は隣に立つ遊羽の表情を伺った。
彼は眉間に縦ジワを刻んだまま微動だにしない。
玲がこちらに一歩踏み出した。
——本当にこのままでいいのか? 玲が犯人で、このまま警察に……。
玲が二歩目を踏み出そうとした瞬間、真琴が彼の腕をガシッと掴んだ。
「ま、待ってって……、玲は嘘をついてる」
真琴は俺たちに向かって、ものすごい勢いで捲し立てた。
「松月を刺したのは玲じゃない。俺だ。俺なんだよ。俺が松月を殺したんだよ。——だから、玲やあさぎは関係ない。警察へ行くのは俺の方だ」
「真琴……。違う、僕だ。僕が殺したんだ」
いきなりの告白に玲も驚いていたが、しかし彼も引こうとはしなかった。
玲は真琴の手を振り解こうと力を入れる。だが、真琴もその手を決して離そうとしない。
俺はもう何がどうなっているのか理解が追いつかなかった。
二人はお互い自分が犯人だと主張し、一歩も引こうとはしない。
片方が犯人なんだとしたら、もう片方は嘘をついていることになる。
それなら一体、どっちが……、どっちが犯人で、どっちが相手を庇おうと嘘をついているのか……。
いやそもそも二人共が犯人で、自分だけで罪を背負おうとしている可能性すらあるのではないだろうか。
今まで遊羽と話し合った中で、共犯者の話は一切出てこなかった。
けれどもし、二人が協力して犯行に及んだのだとしたら、片方を庇う気持ちは十分に理解できる。
でもそうだとしたら、これからどうなるんだ……。
俺は改めて二人を見た。
彼らはいまだに自分が犯人だと主張し、相手は嘘をついていると断言している。
正直、俺はそんな二人を見ていられなかった。
いつも温厚な玲はいつにも増して声が荒々しく、真琴は口調は荒いが目には再び涙が溜まっていた。
そんな二人の攻防はさらにもうしばらく続くかと思われた。
「二人ともやめてえ——」
甲高い一声が、しんと静まり返る森の中をこだました。
「もうやめて。やめてよ二人とも……」
見ればあさぎが、ぼたぼたと大粒の涙をこぼしながらうずくまっていた。
「あさぎ……」
真琴は掴んていた腕を降ろした。
玲もあさぎには目を向けないまま、悔しそうに俯いている。
「そうか……。松月を包丁で刺したのは、あさぎなんだね」
「は……?」
遊羽があさぎにそっと投げかけた。
俺は玲や真琴が犯人であることよりも到底信じられず、同様にあさぎに訊ねた。
「本当なのか。あさぎ……」
しかし、あさぎは俺の期待とは裏腹に、震える声で肯定した。
そんな……、まさか……。あのあさぎが?
いつも静かだけど、生意気で——、たまにわがままになってみんなを困らせる、あのあさぎが……?
未だ現場の整理が追いついていない俺をよそに、遊羽は静かにあさぎを見据える。
「松月を刺したのは、あの桜の木?」
遊羽の質問に頷いたあさぎは震える声のまま、その日の夜のことを語り始めた。
「本当は夜に校長の家にまで行ったんだけど、でもちょうど家から出てきたところで、それであたし……後についていったの。そしたら桜の木で立ち止まって……、それであの人……タバコを吸い始めて……」
「それで?」
先を促す遊羽にあさぎはブルブルと首を振った。
「あんまりよく覚えてない。あの人、また吸ってたタバコを桜の下に捨てたの。だからあたし、守らなきゃって……。りおちゃんの代わりに、あの桜を守らなくちゃと思って……。
でも、その後のことはよく思い出せない。持ってた包丁で刺した……と思う。それであたし、怖くなって……。気づいた時には家で眠ってた」
「このことを玲や真琴に言ったのはいつ?」
「次の日。あたし本当に覚えてなくて……、けど桜の木で人が死んだって聞いて、だから……」
次の日ということは、俺が真琴たちに事件の話を始めてした時よりも前だ。
おそらくあの時にはすでに玲たちはあさぎから事件のことを聞かされた後で、だからみんな、様子が少しおかしかったのだ。
「包丁は調理室から盗んだの?」
「うん。松月って人を見た次の日くらいに……」
「そうか……」
遊羽は静かに瞑目すると、一段と深い深呼吸をした。
遊羽も気を張っているのだろう。顔色はあまり優れない。
俺は遊羽に成り代わるつもりで、別の質問をした。
「例の手紙は何のために残したんだ?」
死体のそばに置いてあったあの手紙。
——ココニ ダイサンノフクシュウハ トゲラレタ——
あの言葉の意味はつい先ほど判明した。でも、一体なぜそんな手紙を残したのか、それはいまだ判明していない。
しかしあさぎは不思議そうに首を傾げるだけだった。
——紙って何のこと? 口には出さないが、今にでもそんな声が聞こえてきそうな顔をしていた。
「あれだよ。『ダイサンノフクシュウハ……』って書かれてた手紙」
必死に伝える俺に対して、あさぎはまたもフルフルと首を振るだけ。
「ううん。あたし知らない。そんなの……」
「はあ? いやだって、俺たちが見つけた時には死体の近くにその手紙が……」
「違う。あたり知らない。本当に知らないもん」
何度説明してもあさぎの答えは変わらない。
「どう言うことだよ……」
混乱を隠せない俺は後ろ手で頭を掻いた。
死体のそばには確かに手紙が置いてあった。しかしそれはあさぎが置いたものじゃない。だとしたら一体……。
俺は助けを求める形で、遊羽を振り返った。
遊羽は顎に手をやったまま、深く考えている様子である。
そしてしばらくして、口を開く。
「あさぎじゃない誰かが、その手紙を死体のそばに置いたってことだよね」
「あさぎじゃない誰かって、誰だよ」
遊羽は俺の返しなど想定済みであるかのように、いくつかの疑問点を口にした。
「そもそも考えてみなよ。あさぎは夜間、桜の木の下にいた松月を襲ったって言ってるけど、その後彼にあさぎが止めまで刺せたと思うかい? それに、被害者の体には無数の刺し傷が残されていたんだ。あさぎの体力でそれが成せたとは到底思えない」
「それは……」
確かに、そうだ……。あさぎはまだ小学四年生の十歳。身長だって百三十センチしかない女の子なのだ。
そんな小さな子にあんな殺し方ができるのだろうか……。
——遊羽が言いたいのはそう言うことだ。
「おかしな部分はまだあるよ。被害者はあの現場で襲われた。けれど、現場に残された血痕は明らかに傷跡に比べて少なかった。つまり、被害者はあの場で襲われはしたが、殺されたのは別の場所だった。だけど、あさぎの話にはそんな場面は一度も出てこなかった」
火曜日、死体を発見した後、遊羽と遺体の話をした際に出てきた話だった。
複数の傷跡に、不自然に少ない出血量。
それは今の今まで棚上げにしてきた問題だった。
しかしそれを今さら考えたところで、何が解決すると言うのだろうか。
犯人はすでに自供したのだ。それが覆ることはない。
「それなら、どうなるんだよ」
俺は興味なげに遊羽へ先を振った。
だが、遊羽は今までの鎮痛な面持ちとは対照的な、
「そんなの簡単だよ」
——あの得意げで、自信たっぷりな表情で言い放った。
「あさぎとは別の犯人がいるんだよ」
「別の、犯人……?」
「考えればおかしな部分しかないじゃないか」
呆然と呟く俺に遊羽はさも当然のように、俺にも分かりやすく不自然な点を列挙する。
「被害者の身長は百八十センチ前後。一方あさぎはせいぜい百三十センチほどしかない。そんな身長差で包丁を刺そうとしても、太ももあたりに刺さるのが精一杯。到底急所である胸には届かないよ。
それに第一の襲撃を受ければ、被害者が気づき、抵抗する。いくら足に重傷を負っていたとしても、あさぎくらいの体格なら、跳ね除けるのもそう難しくはないよ」
あさぎはその夜の出来事をあまりよく覚えていないと言っていた。
襲い掛かったのは間違いないが、どこをどう刺したかまでは覚えていないのだと言う。
ならばあさぎの包丁が、本当は松月の太ももに刺さっていたとしても特に不思議はない。
「それならあさぎが包丁で襲った時には、まだ被害者は死んでいなかったってことなのか?」
「そう考えるのが妥当だと思う」
遊羽は自信たっぷりに言った。
遊羽の断言には玲たちも驚きらしく、動揺を隠せない様子だった。
そんな中、玲が代表するように口を開く。
「でも、松月は桜の木で亡くなっていたんだよね?」
「うん。それは間違いない」
「もしかしてあさぎの後にやってきた誰かが、そこで止めを刺したってこと?」
玲の予想を遊羽は即座に否定した。
「ううん、多分違う。それじゃあ、遺体の出血量の謎が不明のままになる」
「それならどう言うこと?」
「あさぎに襲撃を受けたところまでは間違いない。けど、被害者は死んでいなかった。——桜季」
突然名前を呼ばれ、俺はドキリとした。まさかここで俺に話を振られるとは考えていなかったからだ。
少し驚いてしまった自分を誤魔化すように、俺は遊羽に当たり気味に返事をした。
「何だよ……」
しかし遊羽はそんな俺の態度など気にも留めずに質問する。
「もし桜季があの桜の下で怪我をしたらどうする?」
それはあまりにも脈絡のない質問だった。
俺は一瞬返答に詰まったが、遊羽の真剣な眼差しに俺は考え答えた。
「どうするって……、そりゃあ家に帰るだろうよ。それで絆創膏を貼るなり、冷やすなりする」
遊羽はさらに質問を繰り返す。
「その怪我が病院に行かなければならないほどだとしたら?」
「そんなに重傷なら家の人か、救急車を呼ぶだろうな。スマホで……、あっ——」
俺は遊羽の説明する状況を頭の中で逐一想像していると、あることに思い当たった。
重傷であるならば、当然救急車を呼ばなければならない。そして救急車を呼ぶには電話がいる。
固定か、携帯か……。
だが残念なことに、この村では携帯——スマホは使えないのだ。
「そう。この村は電波は届いていないから、スマホでは救急車は呼べない。そうなれば……」
「近くにいる誰かに助けを呼ぶか、電話ができる場所まで歩いていくしかない」
玲が神妙な顔つきで先を口にする。
その言葉に遊羽は力強く頷き、
「被害者はおそらく後者を選んだ。もしかすると先に前者を試してから後者に及んだのかもしれないけれど、とにかく被害者は電話のある場所まで歩いた。もしあさぎが刺した場所が太ももだった場合、片足はまだ生きているから、足を引き摺りながら歩いた可能性はある。それに包丁を抜かなければ出血も少ないだろうしね。
そして被害者は桜の木から一番近い場所まで辿り着き、そして助けを呼んだ」
俺はすぐに村の地図を頭の中に思い描き、桜の木から最も近い場所はどこかを探った。
「そこから一番近い場所って言えば……」
「——交番、と言うことになる」
だがその答えは俺が辿り着くよりも前に明答されてしまった。
俺たち五人の誰でもない、低く張りのある声が背後から聞こえたのだ。
皆が一斉に、森の方へ顔を向ける。
そこにいたのは——、
「関山のおっちゃん……」
大きな黒縁メガネをかけた男。青い服に、紺色の帽子とチョッキ。腰回りにはジャラジャラとさまざまな道具をぶら下げた——いわゆるお巡りさんがそこには立っていた。