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第十五話

「でも仮にダイサンがオオヤマザクラのことだとして、オオヤマザクラの復讐って一体何のことだよ」


 俺は改めてノートに視線を落とし、遊羽に訊ねた。

 このノートに書かれている『ダイサン』と言う単語が、あの死体のぞばに置かれていた手紙の『ダイサン』と同じ意味なのはほぼ間違いない。だが、その復讐とは一体……。

 ——いやもちろん、俺だってそんなことは十分わかってはいるんだ。けど、それは……。


「そんなの一つしかないよ」


 遊羽も確信を持って答える。

 だから俺は尚のこと、強く訊ねざるを得なかった。


「いや、ちょっと待てよ。白雪里桜の復讐? でもあれは、自分で足を滑らせての事故死だって」

「あれは事故なんかじゃねえ——」


 突然の大声に、俺も遊羽も揃って目を丸くした。


 声を発したのは真琴だった。

 真琴は両手とも硬い握り拳を作り、わなわなと震わせていた。


 自分でもまさかこんな大声になると思っていなかったのか、真琴はバツが悪そうに顔を背けると、もう一度小さく繰り返した。


「どう言うことだよ、事故じゃないって。朝話した時は……」


 今まで見たこともない真琴の不可解な言動に、俺は胸中で膨らんでいく不安を禁じ得なかった。


 それは、聞いてはいけない……。

 知ってしまえばもう、無関係ではいられなくなる。


 そんな不安が終始湧き上がっていた。


「白雪里桜の死は事故じゃなかった」


 真琴に代わり、何も知らないはずの遊羽がボソリと言った。


「——殺害されたんだね。一昨日亡くなった、松月咲冴によって……」


 遊羽の発言は決定的なものだった。

 黙ったままだった三人の表情には、より一層険しいものが浮かぶ。


「本当のなのかよ、玲……」


 俺は真実を知りたかった。

 この予想が本当なのか、あるいはただ考え過ぎなだけなのか。知る恐怖はもちろんあったが、何よりもこの宙ぶらりんな感情をどうにかしたかったのだ。


 玲は泣き笑いのような顔でゆっくりと頷いた。


「本当だよ。遊羽の言っていることに間違いはない。里桜は松月に殺されたんだ」

「でもそんなこと、誰も……」


 誰も、言っていなかった。

 三人だけじゃない。校長である永源も、関山のおっちゃんも、誰も……。


「うん。里桜の死は公には事故死ってことになってるからね」

「何があったの?」


 玲の言葉に遊羽が優しく問いかけた。


「五年前のことだよ。その年も桜の木は満開で、里桜だけじゃない。僕も、真琴も、あさぎも、毎日のようにあの桜に通ってたんだ。

 でもね、ある時この村に、ひどい雨が続いたんだ。それは一週間くらい降り続いて、僕たちは何日も桜を見にいくことができなくなったんだ。だから僕たちは自然とこの——秘密基地に通うことが多くなっていた」


 玲は素朴な出来栄えである秘密基地を見る目を細め、


「小さいけれど、ここから桜の木はよく見えるんだ。ここなら屋根もあるし、座ることもできる。雨が降ろうと、桜を見張ることができたんだ」


 ——ここへ来るまでが大変なんだけれどね。と玲はこちらを見て悲しそうに笑った。


 俺はその顔をとてもじゃないが、直視できなかった。

 いつも優しそうに笑っているはずの、玲の初めて見せる表情。


 俺はその顔からすぐにでも目を逸らしたかった。けれど幸いなことに、玲の方が先に顔を背けた。

 自分が今どんな顔をしているのか、玲自身気がついたのかもしれない。


「だけど、里桜はそれだけじゃ満足できなかった。——一日二日雨が続いた程度ならよかったんだろうけれど、あの時は本当に雨が長引いてね。止むころにはもう桜が全部散ってしまうんじゃないかとさえ噂されていたんだ。

 ——でもね。そんな中、一度だけ雨が止んだ瞬間があったんだ」


 玲は天を仰ぐように顔を上げた。


「——今みたいに」


 俺も釣られて上を見上げた。


 上空に伸びる緑の穴から灰色の空が覗いている。

 いつまた雨が降り出してもおかしくない。そんな不安定な空模様だった。


「気がついた時には秘密基地に里桜の姿はなかった。今思えば、誰かが後を追いかければよかったんだけれど、僕たちはいつものことだろうと流してしまったんだ。

 案の定、桜の木に里桜の姿が見えた。でも、すでにそこには里桜だけじゃない。もう一人、男の人がいたんだ」

「それが松月咲冴……」


 遊羽の言葉に玲は頷いた。


「松月は桜の近くまで行くと、ポケットからタバコを取り出して吸い始めた。もちろん、それだけなら別に珍しくないよ。

 だけど松月は、その吸い終わったカスをそのまま桜の木にポイ捨てしたんだ。里桜は誰よりも正義感が強かったから、それが許せなかったんだろうね。松月にタバコをちゃんと捨てるように言ったんだ。だけど松月は里桜の言うことを全く聞かなかった。それどころか、そのまま里桜を振り払って帰ろうとしてた。でも里桜はそれでも彼に食い下がって……」

「それで揉み合いになり、松月は白雪里桜を突き飛ばした……」


 玲は小さく首を振った。


「揉み合いってほどじゃないよ。松月も突き飛ばした気すらなかったんだと思う。でも結果的に里桜は体勢を崩し、桜の木の根元にあった石に頭をぶつけた」

「松月はその後、どうしたの?」


 俺は思わずわかりきっていることをあえて訊ねてしまった。

 いつも遊羽と話している癖が、ここにきて出てしまったのかもしれない。


「逃げた……」


 だが、それに答えたのは玲ではなかった。——真琴だった。

 真琴は見る見るその幼い顔に深いシワを刻んでいき、


「逃げたんだよ、あいつ——。倒れた里桜を置き去りにして、そのまま逃げたんだ——」


 怒りの形相で喚き散らした。

 肩を上下に揺らし、必死に自分を律しようと、荒い息遣いで呼吸を繰り返している。


 玲は真琴を励まそうと肩にそっと手を置くと、代わりに先を継いだ。 


「僕たちが急いで駆けつけた時には、すでに里桜の体は冷たくなってた。急いで交番に駆けつけ、救急車を呼んだんだけれど、もう……」


 見ればあさぎや真琴はすでに涙を浮かべていた。


 それに比べて玲はひどく落ち着いた様子だったが、彼はこの中では一番の年上。普段から自分がしっかりしなければと、厳しく己を律しているのかもしれない。

 ——玲だって本当は辛いはずなのだ。


 白雪里桜は松月咲冴によって殺された。

 その言葉が徐々に俺の心へ重くのしかかってくる。


 ふと校長の言葉が思い出された。


 ——白雪里桜という少女はこの村のアイドル的な存在だった。


 どこか虚空を見つめながら呟いた校長の一言。

 おそらくそれは玲たちにとっても同じだったんじゃないだろうか。


 青空に浮かぶ太陽のような存在。それが白雪里桜という少女だったのだろう。

 だがそれはある日突然、何の前触れもなく消失した。

 太陽をなくしたこの村からは、当然のように光が失われたのだ。


 真っ暗な空が上空を覆い尽くすだけ。

 まるで今現在、頭上を埋め尽くしている鈍色(にびいろ)の雲のように……。


「玲たちはそれを警察へちゃんと話したのか? 松月がやったって、見たこと全部話せば、警察だって……」


 今更言ったところでどうにもならないことはわかっているけれど、それでも俺は言わずにはいられなかった。


「話したさ。当たり前だろ」


 しかし真琴にあっさりと投げ捨てられてしまった。


「でも……」


 言い淀む真琴に、遊羽が先を予想した。


「取り合ってもらえなかった?」


 頷くだけの真琴に、玲が代わる。


「真琴の言う通り、僕たちは見たこと全て校長や関山さんに話したんだ。二人も驚いていたけれど、ちゃんと警察に事情を説明してくれたらしい。だけど……」


 だけど……。


 玲はその先をとても言いずらそうに、口をぱくぱくと空振らせた。

 話したいのに心が声に乗せられない。体ではなく心が、それを激しく拒んでいるかのようだった。


「そうか。もみ消されたのか……」


 そう言ったのは遊羽だった。


「もみ消されたって、どう言うことだよ」


 誰も肯定とも否定ともとらない現状に苛立ち、俺は遊羽へやや八つ当たり気味に訊ねた。


「校長が言っていたでしょ? 松月咲冴の父親は議員をしているお偉いさんだって。だからおそらく警察は玲たちからの証言を聞かなかったことにしたんだよ」

「——そんな」


 火曜日の夕方。多くの警察に囲まれながら俺たちは確かに校長からそんな話を聞かされた。

 衆議院議員をしているお偉いさん。松月咲冴はその息子だと。


 その息子が殺人を犯した。

 それは議員をしている父親にはとてもではないが世間に公表できない重大な汚点となり得る。

 だから父親は警察へ圧力をかけ、この事実を握りつぶした。


 ——遊羽はそう説明した。


 そんな話、俺はドラマでしか聞いたことがなかった。

 玲たち三人の顔を見るに真実なのだろうが、現実にそんなことが起きるなんて、それこそ信じれない話だった。


 玲は自分で言わなくてすんだことに胸を撫で下ろしたのか。元の優しい笑みを取り戻していた。


「遊羽の言う通りだよ。警察は僕らの証言を全てなかったことにしたんだ」

「でもどうしてそのことに気がついたの? 警察から言われたわけじゃないでしょ?」

「聞いたんだよ、偶然……」


 遊羽の問いに、目元を拭いながら真琴が答えた。


「交番の前を通った時、関山のおっさんが校長と話してるのをたまたま聞いたんだ。警察は子供たちの証言をなかったことにしたって……」


 玲が真琴の頭をぽんぽんと叩き、先を受け継ぐ。


「僕とあさぎは真琴からその話を聞かされたんだ。その頃にはもう里桜の葬儀は終わっていて、彼女の両親もこの村から離れた後だった。松月も、何事もなかったかのように東京へ帰っていた」

「でも五年後の今、松月は再びこの村にやってきた」


 遊羽は目を一層細め、挑むかのように玲を見据えた。


「うん、そうだね……」


 玲は優しい眼差しを守ったまま、目を閉じる。


「だから……」


 ——そして、


「だから、僕が殺した」

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