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第十四話

 それから少しして、俺たちはついに鬱陶しかった森を抜けた。


 そこは生い茂った森の中にぽっかりと空いた場所。短い草だけが生えた、少し開けた空間が広がっていた。

 そこにはまとわりつくような緑はなく、たった数分の出来事でありながらも、こんな開放感を味わったのは久しぶりだった。


 だがそれも束の間。俺たちは目の前に立つ存在に目を奪われた。

 あちらも俺たちの存在に気がつくと、驚いたように目を見開いていた。


「なっ、遊羽に……桜季……、どうしてここに……」

「真琴——お前こそ、何でここにいるんだよ」


 坊主頭に半袖短パン。

 それは紛れもない俺のクラスメイト、旭谷真琴だった。


 真琴は左手で持ったノートの一角へ、右手を押しつけた格好のまま固まっていた。

 そして右手に持っているもの、あれは……百均などで売っているライター、か?


「お前、何やって……」

「こっち来るな——」


 俺が近寄ろうと足を踏み出した瞬間、真琴は血相を変えて吠えた。

 そしてこちらを威嚇しながら真琴は、必死になってライターの回転式ヤスリに手をかけた。


「くそっ、くそっ——点けよ。点けったら——」


 おそらく先ほどの雨が影響しているのだろう。

 ここら一帯の空気が湿っているせいで、着火しづらくなっているようだった。

 それにもしかすると、ライター自体も少し濡れてしまったのかもしれない。


 真琴は何回も、何回もライターに手をかけるが、多少火花が散るだけで火は点らなかった。


 こちらを警戒しながら必死になってライターと格闘する真琴。

 その姿はどこか滑稽で、俺にはひどく哀れに思えた。


「まさか、自力でここへやってくるなんてね」


 その時、また別の方角から声をかけられた。


 その声は真琴のさらに向こう——木と木の間に造られた鉄と木材の塊から発せられたものだった。

 その中央に大きく空いた空洞から、青年がぬるりと顔を出す。

 四つん這いに這い出てきた男は玲。そしてそのさらに後ろからはあさぎも姿を現した。


 玲は膝についた泥をパッパッと払うと、ライターを持つ真琴の手にそっと自身の手を添えた。


「真琴、もういいよ」

「でも、それじゃあ——」


 まだ諦めきれないの真琴が玲に訴える。

 しかし玲が伏し目がちに首を左右へ振ると、真琴は今度こそ諦めたように右手を静かに下ろした。


 玲がこちらに振り返る。

 その後ろにいるあさぎはまるで何かに怯えるかのように、彼の影に隠れている。


「二人ともどうやって……、ううん、どうしてここへ来たの?」


 どうやって——その質問はおそらく、場所を教えていないのにどうやってここへ辿り着けたんだ? と言うものだったのだろう。

 しかしそれを問い質したところで意味はないと判断したのか、玲は言い直した。


 今大事なのは『どうやって』ではない、『どうして』ここへやってきたのか——だ。


「ここに来れば、何かわかると思って」


 遊羽は淡白な答えを返す。

 そして真琴が持っているノートに目をやると、スッと手を伸ばした。


「それ、見せてくれない?」


 真琴は素早い動きでノートを抱きしめると、遊羽から遠ざけ声を大にした。


「ダメだ。これは……ゴミだから、これから燃やすんだ」

「燃やすんだったら、その前に見せてくれてもいいだろ」


 俺がそう言ってもなかなか離そうとしない真琴に、隣に立つ玲が先ほどと同じセリフを繰り返した。


「真琴、もういいんだ」

「——何言ってんだよ。分かってるのか? それじゃあ何もかも……」


 玲の弱々しい言葉に真琴は怒りをあらわにする。

 そして玲の瞳に諦めの色を見出した真琴はもう一度ライターに手をかけた。


「くそっ——点けよ……。点いてくれよ……」


 ——とその時、真琴の持つライターがカチッと確かな音を奏で、真っ赤な炎を点した。

 ゆらゆらと揺れる炎は弱々しく、速くしなければすぐにでも消えてしまいそうなほどだった。


 真琴は火が点いたことに喜ぶのも束の間、すぐに手に持っていたノートをライターの方へ近づけていく。

 だが——、


「やっぱりダメぇ——」


 甲高い叫び声と共に現れた影に、真琴のノートは奪い去られてしまった。


「あさぎ、何やってんだ」


 真琴が奪った本人に叫ぶ。

 あさぎは真琴から数歩距離を取ると、ノートを胸にうずくまった。


「やっぱり燃やしちゃダメッ」

「バカヤロウ。それを残したら……、何もかもバレちまうんだぞ」

「それでもダメなの——」


 説得では埒が明かないと、真琴はあさぎの懐に手を伸ばす。だが、あさぎも必死の抵抗を見せる。


 揉み合う二人。

 するとそこへ、見かねた玲が歩み寄る。


 玲は真琴の肩を掴むと一旦後ろへ下がらせ、そしてうずくまるあさぎの頭にそっと手を乗せた。


「……あさぎ」


 優しく声をかける玲に、あさぎは顔を上げた。

 しばらく二人、無言で見つめ合っていたが、玲が腰を上げるのに合わせて、あさぎも立ち上がった。

 真琴は少し離れた位置からその様子を伺っていた。

 もうあさぎからノートを取り上げようとする気はないのか、黙ったまま二人を見つめている。


 一連の騒動を前にして混乱を隠せないでいる俺と遊羽。

 遊羽はただ黙って見つめているだけだが、俺はとてもじゃないが我慢できず声を出した。


「それ……そのノート、一体何なんだよ……」


 こちらを振り返った玲が答えた。

 彼はいつものように微笑んでいたが、しかし彼から発せられるその声はひどく悲しげだった。


「このノートはね……、僕たちがまだ四人だった頃に書いていた、観察日記なんだ」

「観察日記?」


 観察日記とは、何かを観察しながらその経過を記録する日記のこと。

 四人だった頃ということは、おそらく俺が越してくるよりも前、白雪里桜という女の子がまだこの村にいたころのことだろう。


 今あさぎが持っているノートはそのころに書かれたものということだ。

 観察対象は、訊くまでもない……。


「あの桜の木、のか?」


 玲は黙ったまま頷くと、あさぎの肩へもう一度触れた。

 あさぎは最初、困惑げに顔を見上げていたが、彼の表情から何かを察したのか、胸のノートを掴み取ると、それを玲に渡した。


「ありがとう」


 なぜかお礼を口にする玲に、あさぎは頷くだけだった。


「おい、いいのかよ」


 一歩離れた位置に立つ真琴が玲に問いかける。

 だが彼もあさぎ同様、玲の瞳から何かを受け取ったのか、それ以上は何も言わなくなった。


 玲はあさぎから受け取ったノートを手にこちらへ歩み寄ってきた。そしてそのノートを俺たちに差し出す。


 俺はそのノートを受け取ると、遊羽にも見えるようにページを開いた。


「四月五日、火曜日。里桜村親えい隊ができて初めての日誌。大桜にできた蕾はまだ開花していない。玲。——四月六日、水よう日。二日目。さくらはまだ(⚫︎)(⚫︎)(⚫︎)していない。まこと。——4月7日……」


 観察日記には、やはりあの桜についてのことが書かれていた。

 日記には日づけだけしか書かれていないため、これが何年の出来事なのかまではわからない。

 しかし内容からして、全て今ぐらいの時期に書かれたものであることだけは間違いなかった。


 この日記を書いているのは玲に真琴、あさぎはおらず、その代わりにいるのはあの少女——白雪里桜だった。

 

 初めのころの観察日記は主に桜のことしか書かれておらず、蕾の様子や開花のこと。花が散り始めた具合など、全体的に短い文章で締めくくられていた。

 しかしそれも後半になるにつれて段々と長くなっていき、いつからか観察日記は、ただの日記のように変化していた。


 その日何が起こって、どうなったのか——。

 誰が何をして、どうしたのか——。


 そんな桜とは何の関係もない話題でノートは溢れていた。


 俺は段々と読むのが面倒になり、パラパラとページを捲り始めた。

 すると隣で覗き込んでいた遊羽が、ある1ページを指して声を上げた。


 俺はそのページに書かれている内容に興味を引かれ、再び声に出して読んだ。


「四月二十日、木曜日。この日学校では「村の歴史を知る」というテーマを元に、みんなで調べた内容を発表するという授業があった。

 調べるテーマはあらかじめ決めていて、私は当然あの桜について調べることにした。

 私はいろいろな人たちから話を聞いて回り、資料を集め、できる限りの手を尽くしてあの桜について調べ上げた。そしてそのまとめた内容を大紙に書き写し、準備は完了。

 するとさっきまでパソコンを触っていたお父さんが「これを見ながらだと発表しやすいよ」と、台本を用意してくれた。私はそれが嬉しくて、忘れないようにすぐにカバンの中へしまった。

 そして発表当日。まず玲がこの学校の歴史について発表した。どうやらこの学校は元々……。

 ——————。

 そして玲の発表が終わり、私の番になった。

 私はまず今現在の桜の状況——樹齢が三百年を過ぎていること。左右の枝から枝の長さ、幹の太さなどを説明した。

 お父さんが用意してくれた台本はとっても役に立ち、私はずっと緊張しっぱなしだったけれど、おかげで噛むことなく話すことができた。

 そして私は次に桜の品種の説明に入った——のだけれど、そこでお父さんの用意してくれた台本に一つだけミスがあった。

 あの大桜の品種はオオヤマザクラと呼ばれるものらしく、私は資料に『大山桜』と漢字で書いていた。でもお父さんが作ってくれた台本にはカタカナで『ダイサンザクラ』と書かれてあったのだ。

 本当ならすぐに気づいてもよさそうなものだったけれど、私は緊張のせいかよく考えもせずにそのまま『ダイサンザクラ』と読んでしまった。

 その後すぐに太田先生が訂正してくれたのだけれど、真琴には大笑いされ、玲にもくすくす笑われて、私は顔から火が出るほど恥ずかしかった。

 それからしばらくはお父さんとは口を利かないようにしていたんだけれど、でもどうなんだろう……。

 これを機に、あの桜のことをダイサンと読んでみるのは——。あの時の発表を思い出すとまだ少し恥ずかしいけれど、でも何だか秘密組織の暗号みたいで格好いい。後で三人にも聞いてみようっと。

 ——桜は今日も異常なし。里桜」


 可愛らしい丸文字で書かれた長文。後にも先にもこれが一番長く書かれた文章のようで、その後は全て短くまとめられていた。


 俺と遊羽はその文章に書かれた一文に釘づけとなっていた。


「おい、これ……、これまさか……」

「そうか……、そう言うことだったんだね」


 戸惑いを隠せない俺とは反対に、遊羽は至って冷静に、ここに書かれてある文章について答えを出した。


 答え——。そう、答えだ……。


 この一連の事件の最も大きな謎だった部分。

 その答えが今、出されたのである。


「例の手紙に書かれていた『ダイサンノフクシュウ』。あれは三番目のことなんかじゃない。大山——つまりこの村にあるあの、オオヤマザクラのことだったんだ」


 俺はノートから顔を上げて、三人の顔色を伺った。

 彼らは皆同じ反応で、口を固く結び、俺たちから視線を外すように目を伏せていた。

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