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第十一話

 就業のチャイムが鳴り、教室を後にした河津先生に続くように、たった今帰り支度をすませた真琴と玲、あさぎが颯爽と教室を飛び出していく。


 今日の授業は全部で四時限しかなかった。

 だから調理室で作ったご飯を食べた後は、掃除をして終礼を行うだけだった。


 そんな彼らに出遅れる形で、俺は一人教室に取り残されていた。

 後ろを振り返ると、遊羽の姿もどこにも見当たらない。


 誰もいなくなった教室に、静かな雨音が響き始める。

 天気予報では今日は曇りだと言っていたのに、空は耐えきれず大粒の雨を降らし始めていた。


 俺は窓の外に広がる、ねずみ色をした世界に目を馳せる。


 調理室から姿を消した一本の包丁。

 木製でできた持ち手に銀色の刃がついた、いわゆる万能包丁と呼ばれている代物。


 一昨日、殺人現場で見た光景がまざまざと蘇ってくる。


 ドス黒い血で染まった腹部から突き出た包丁。

 あれは間違いなく調理室にあったものと同じ形だった。


 まさかその一本が、あの殺人に使われたものだとでも言うのだろうか。

 いや、そんな確証はまだどこにもない。

 それこそ、似たようなものならどこにでも売っているではないか。


 同じ包丁だからと言って、ここから持ち出されたものである物的証拠は見つかっていない。


 もしかすると以前使った誰かが、ただ単にしまい忘れでもしたのかもしれない。

 それか、この授業の前に先生があらかじめ古くなっていたものを見つけて、処分したと言う可能性もある。


 そう……。


 きっとそうなのだ……。


 だからこれはきっと、単なる偶然で……。


「……帰ろう」


 俺はその場を立ち上がると、鞄を引っ提げて教室を出た。


 ——そう言えば遊羽はどこへ行ったのだろう?

 終礼の時には間違いなくいた。でも遊羽がみんなと一緒に帰るとは考えにくい。


「まさか誰よりも早く、一目散に帰ったのか?」


 薄情なやつだ。帰り際にでも、例の包丁について話をしたかったのに……。


 未だ心の中で燻り続けている不安を押し留めながら、俺は一人下駄箱を目指して廊下を進んだ。

 すると下駄箱の方から聞き馴染みのある声が届いた。


「——遊羽の声だ」


 それは紛れもない羽鳥遊羽の声だった。

 その声は一人で喋っていると言う感じではなく、誰かと会話をしている。そんな感じだった。

 だがその声は俺が下駄箱に辿り着く前に止んでしまった。


 俺は駆け足で下駄箱に飛び出す。


「うわっ、びっくりした——」


 しかしそこにはすでに遊羽の姿はなく、その代わりに違う人物が俺の登場に驚いていた。


「——校長」


 この学校の責任者でもある、校長の永源だった。


 彼はいつもと同じボロボロのTシャツを着ていたが、今日は曇り空なためか、麦わら帽子は首から下げていなかった。


「なんじゃ、染井君か……」


 突然飛び出してきたのが俺だと認めると、校長は安堵の息をついてこちらに歩み寄ってきた。


「走ると危ないぞ染井君。特にこんな……、雨の日は特にな。足を滑らせる可能性だってある。十分気をつけて帰るようにの」


 少し声のトーンを抑え、真面目な顔で忠告する校長。だが次の瞬間には表情を崩し、ニコッと微笑んだ。


 俺はすぐに別れを告げ、遊羽の後を追いかけようと足に力を込めた。

 だがふと、先ほど二人で話していた内容が気になり、走り出すのをやめた。


「さっきは遊羽と何を話してたんだ?」

「ん? うむ……」


 校長はやや困り顔で目を閉じると、しばし悩んだ末、結局教えてくれた。


「学校の鍵と、それから調理室の鍵は誰が持っているのかを訊かれたよ」

「調理室ッ——」


 調理室のことを遊羽が訊ねたということは、あいつも今日のことは気になっていたのだろう。


 やはり今すぐにでも遊羽を追いかけて話を聞くべきかと再び足に力を込めようとした。——が、校長はさらに気になるワードを口にしたことで、俺はまたもその場に留まる選択を余儀なくされた。


「里桜の……、白雪里桜という女の子について訊かれた」

「え……」


 白雪里桜……。

 それは今日朝礼の時に遊羽が持ち出した少女の名前だった。


 五年前までこの村で育ち、俺と入れ違いになる形でこの世を去った女の子。

 この村にあるあの桜の木が誰よりも大好きだった女の子の話を、遊羽は校長から訊き出そうとしたのか……。


 俺はもう完全に遊羽を追いかけるのをやめ、その遊羽が聞いたという内容をもう一度校長に話してもらうことにした。


 どうやら校長が言うには、先ほどの会話は白雪里桜という女の子がどんな子だったのか。何が好きで何が嫌いだったのか。そして五年前に何があったのか。

 ——そう言った内容を執拗に訊かれていたのだそうだ。


「羽鳥君は里桜のことをものすごく気にしているみたいじゃった……。まあ、あの子たちが造った墓標があそこに置いてあるんじゃ、いつかは気がついてしかるべきじゃがな……」

「校長はあの桜の下に墓があること、知ってたのか?」


 俺の問いに校長はさも当然のように頷いた。


「もちろんじゃ。あの子たちがせっせと造っている姿を、儂は影から見ておったのじゃからな。近所の人の中にはすぐに壊すよう言う者もおったが、儂にはそんなこと到底できんかった。

 里桜はこの村の誰よりもあの桜が好きじゃった。彼らはそんなあの子のために、春——桜が咲く頃にいつでも見られるようにと、あの場所にお墓を建てたんじゃからな。

 じゃからあの墓は儂が村のみんなに、あの場所に残してもらうようお願いしたものなんじゃ」

「そうだったのか……」


 それは、知らなかった……。


 あのお世辞にも綺麗とは言い難い、側から見ればただの悪戯とも思われかねないあのお墓が、五年前の今でもちゃんと残されていることにはちゃんとした意味があったのだ。


 それはひとえに、皆が白雪里桜と言う一人の女の子を大切に思っているがゆえの……。


「その白雪って女の子はどんな子だったの?」


 これは先ほど遊羽もしたと言う質問。

 きっかけは遊羽とは違うのかもしれないが、俺も段々と、その女の子について興味が湧いてきた。


 校長はご自慢の顎髭を数度撫でると、瞑目してからゆっくりと口を開いた。

 遥か昔に過ぎ去った……、今は亡き、遠い過去へ思いを馳せるかのように……。


「あの子はのお、それはそれはとても正義感の強い子じゃった。ダメなことは素直にダメと言えるし、たとえ相手が自身の倍以上も歳が離れていようとも、きちんと自分の意見を貫ける。——そんな子じゃった。

 もちろん、相手のことだけではないぞ。自分の方に落ち度があれば、それもきちんと筋を通して謝る。——これができる人間はそうはおらん」

「そう言えば前に、校長の酒癖の悪さを注意したって話を聞いたな……」

「はははっ、そんなこともあったのお」


 そうじゃったそうじゃった——と豪快に口を開けて笑う校長。

 だがその表情はどこか暗く、物悲しい響きを帯びている。


 そして口元に微笑を残したまま、校長はポツリとこぼした。


「——でもよかったよ。君がきてくれて……」

「は……?」


 そのあまりにも脈略のないセリフに、俺は思わず聞き返す。


「どう言うことだよ。その子の死と、俺がこの村に越してきたことに何の関係があるんだよ」


 校長は微笑みを絶やすことなくそれに答えた。


「五年前に里桜が事故で亡くなってからはな。あの子ら皆……、いや、この村のみんなから活気が失われてしもうとった。里桜はのお、この村の……いわばアイドルみたいな存在じゃった。儂ら老人の中には彼女の笑顔に励まされて、毎日を生きとるもんもおった。じゃからあの子が亡くなった時には、村のみんな本当にショックが大きかったんじゃ。

 しかしそれから一年後、君がこの村にやってきた。——染井君、君は気づいておらんじゃろうがな。君が元気に村を走り回るだけで、元気を貰っとる者は確かにおるんじゃよ。あの子が亡くなって元気をなくしてしまった儂らのような連中も、段々と回復しつつある。

 少し大袈裟かもしれんが……、君は新しい、この村の希望の星なんじゃよ」


 校長は最後に「それに君は里桜と同じ、名前に桜を背負っておるしの」と付け加えた。


 ——希望の星って……。


 そんなことを言われたのは初めてだった。

 無意識に顔が熱くなっているのを感じる。


 ただでもそんなことを言われたところで俺には何もできないし、そんな期待を背負わされても、正直困るのが本音だった。

 ——まあ、悪い気はしないのも本当ではある……。


 よくそんな小っ恥ずかしいことが言えるなと、改めて校長に感心してしまう。

 いつも酒ばかり飲んで、近所の連中と騒いでいるだけではないということか……。


 しかし、どうだろう……。

 性格面に関してはその白雪里桜という女の子と俺では、似ても似つかないはずだ。

 そんな俺が彼女の代わりになど、果たしてなり得るのだろうか……。


 ——んー、そう言うもの、なのだろうか……。


 納得がいかず首を傾げている俺に、校長はガハハと笑った。


「まあ、君自身が深く考えることはない。君はいつも通りにしていればそれでよいのじゃ——」


 校長はそこで一旦言葉を切ると、


「じゃが、これだけは覚えておいてほしい」


 そう言って改めて俺に視線を投げた。

 その表情は真剣そのもので、滅多に見ない校長の顔に、俺の背筋も自然と伸びていた。


「君が来たことで、旭谷君も花ヶ崎君も元気を取り戻した。右近君に関してはやはり君の存在は大きい。里桜が亡くなって一番ショックが大きかったのはあの子なのじゃからな。——じゃから……、じゃからどうか、君の許す限りでよい。あの子たちとできるだけ長く、一緒にいてやってくれ」


 校長は最後に、にっこりと微笑んだ。

 俺は彼の言葉に何をどう返事すればいいのわからず、無言になってしまった。


 俺はここへ来た時のあいつらしか知らない。


 確かにここへ転校してきた当初は少し暗い雰囲気を感じていた。

 だが、蓋を開ければ今の感じと差して変わりはない……ように思う。


 ——そう言えば、白雪里桜の話を遊羽が持ち出した際のあいつらの様子。

 あれは俺が転校してきた時の雰囲気に、どこか似ていたな……。


 そう思って視線を上にしていると、しんみりしていた校長が突如、何かを思い出したように手を打った。


「おっと、少し話が長くなってしまったの。そろそろ帰らないと暗くなってしまう」


 校長は最後にまたにっこり微笑むと、「さようなら」と、下駄箱を抜けて廊下の方へと去っていった。

 俺はその大きな後ろ姿を見送り、姿が見えなくなってからようやく靴を履き替え、校舎を後にした。


 さすがに校庭には誰の姿もなかった。

 いつも真琴たちがボールなどで遊んでいるグラウンドも、今は雨でずぶ濡れになった土だけが寂しげに取り残されている。


 俺は水色の傘を差し、雨粒がビニールを叩く音に耳を澄ませながら校門を出た。


「——桜季」


 ちょうど道路に足を踏み出した瞬間だった。

 校門の影から黒い傘を差した一人の青年が姿を現した。


「遊羽——。お前、帰ったんじゃなかったのか?」


 それはちょっとばかし前に校長へ別れを告げ帰ったはずの羽鳥遊羽だった。


 俺が最後に遊羽の声を聞いてから、その後下駄箱で校長と別れを告げるまでの間には、すでに十五分近くの時差が存在している。

 遊羽はその間ずっと、校門で俺を待っていたというのだろうか。


「そう。桜季を持ってた」

「え?」


 その疑問に遊羽はあっさりと肯定する。

 真っ直ぐな目をした、いつもの泰然とした顔である。


「例の包丁の話もしたかったし……」

「ああ、なるほど……」


 確かにそれは俺もしたかった話ではある。


 ——こう言うところは本当、こいつらしいよな……。


 俺は遊羽の元まで駆け寄ると、


「んじゃあ帰るか」

「うん」


 今度は二人、傘を並べて歩きだした。

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