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第九話

 翌日の朝礼前。日づけは二十三日の金曜日。


 桜組の教室にはいつものメンバー。——俺に遊羽、玲に真琴、あさぎの五人が席に着き、河津先生を待っている最中の出来事。


 俺は今、とんでもない窮地に立たされていた。


「頼む。この通りだッ」


 手を合掌のポーズにして、俺は玲に向かって必死に頭を下げる。

 ——こんなことを頼めるのはお前だけなんだ。


 俺の懸命な懇願に、しかし玲は無慈悲にも非道な声を浴びせかける。


「ダメだよ」

「どうして——」


 顔には笑みを湛えているものの、返ってくる言葉はあまりにも頑なな決意ばかり。さながら、取りつく島もないと言った感じである。


「問題の解き方を教えるのはいいけれど、答えは教えられない」

「けちー」


 俺は頭を上げると、椅子の背にどっさりと体を預けた。


 ——何だよ何だよ。少しぐらい教えてくれてもいいじゃないか。


 唇を突き出し不貞腐れる俺に、あさぎの可愛らしい野次が飛んでくる。


「ズルはダメよ」

「ちぇ——いいじゃねえか、それくらい」

「ダメなものはダメ」


 俺はあさぎから逃げるように窓の外へ視線を逸らした。


 今日の天気は生憎の曇り空。厚い灰色の雲が、今日は朝から空を覆い尽くしている。

 気温も少し低い。天気予報では雨は降らないとのことだったが、この分では正直それも当てにはならないなと思った。


 俺は後ろに座る遊羽を見た。

 彼は相変わらず外の曇り空にご執心である。


 転校してきた当初と何も変わらぬ無表情な顔。しかしそんな遊羽も、今回に限っては少し違っていた。


 一見外を見ているようではあるが、しかしよくよく見てみると、外の景色とも焦点が合っていないような、どこか虚な表情をしている。

 二人で事件を調査し見解を述べている時の彼とは似ても似つかない。


 一体どちらが彼の本性なのか……。

 当然俺としては、断然後者であってほしいのだが……。


「宿題を忘れた桜季が悪いな」

「何だよ。お前はちゃんとやって来たのかよ」


 腕組みをして偉そうに語る真琴。俺はさすがに聞き捨てならないと、すぐさま突っかかる。

 こいつこそ、よく宿題を忘れる常習犯だ。

 どうせ今回だって、やってないに決まっている。


 しかし予想に反して、真琴は余裕綽々の笑みを俺に見せた。


「あったりまえだろ。こんなの余裕だっての」

「何っ——」


 誇らしげに鼻を鳴らす真琴。その仕草に、俺は信じられないものでも見た思いだった。


 ありえない——。あの真琴が……。

 夏休みの宿題さえ、一つも手をつけずに登校したことがあるあの真琴が……、ちゃんと宿題をしている、だと……。


「馬鹿な……」

「ふん。まっ、せいぜい頑張るんだな」


 絶望する俺の肩を、真琴はまるで高みから見物するかのように叩く。


「その様子だと、どうも本当みたいだね。真琴がちゃんと宿題をしてくるなんて、桜季じゃないけれど本当に驚きだよ。よくやれたね、二つもあったのに大変だったんじゃない?」

「えっ……、二つ……?」


 玲の言葉を耳にした瞬間、真琴はまるで雪女にでも氷漬けにされたかのように固まってしまった。


 あさぎが後ろから、不審げに様子を伺う。


「まこと、どうしたの?」

「真琴、お前まさか……」


 大体の事情を察した俺は、自分でもわかるほどに顔がにやついていることに気づいた。


 やはりお前は、いつものお前だよ……。


 真琴は先ほどとは打って変わり、素早い身のこなしで両手を突き、つい今し方披露した俺とまったく同じポーズをした。


「——頼む、玲」

「ダメだよ」


 玲の返答も、それに負けないくらい素早いものだった。


「遊羽はちゃんと宿題やって来たのか?」


 真琴と玲の押し問答をよそに、俺は何となく遊羽にも訊ねてみた。


「うん」


 簡潔な答え。当然わかりきっていたものである。


 俺は右頬を掻きながら恐る恐る……、あくまで自然体で確認をする。


「ちなみにその宿題、見せてくれたりとかは……」

「ああ——はるき、ズルしてるー」

「おいっ、ずりいぞ」


 だが即座にあさぎと真琴に見咎められ、俺は渋々諦めざるを得なかった。


 肩を落とし項垂れる俺に、すると突然、何の前触れもなく、真琴が顔をぐいっと近づけてきた。

 その動きに驚く俺を、真琴は気に留めず口元を手で隠す。


「なあ桜季。お前この間、遊羽と一緒に帰ってたよな」

「あ、ああ……。それがどうした?」

「もしかしてその時もあいつ、あんな感じなのか?」

「あんな感じって?」


 何が言いたいのかいまいち理解できず、俺は真琴に問い返す。

 真琴は口ごもりながらも正確に伝えようと頑張っていた。


 どうやら真琴にしては珍しく、言葉を選んでいるようだ。


「だから——その……、冷たいのかってこと」

「……ああ」


 そう言うことか。


 俺は真琴が気にしているポイントを正確に理解し、やや大げさに頷いてみせた。

 そして彼から顔を離すと、親指で遊羽を指しながら、皆に聞こえるようなボリュームで言った。


「こう見えても遊羽はな、事件に関することだと、結構生き生きしてるんだぜ」

「事件に関すること?」


 首を傾げる玲に俺は頷く。


「ああ。最近、俺と遊羽が一緒に帰ってるのはな、例の桜の木で起きた事件を調べてるからなんだ」


 別に隠しておくことでもないだろう。


 俺はそう思い、ここで大々的に告白しようと考えた。そしてあわよくば、皆に協力を要請しようとも……。

 考える頭は多ければ多い方がいいに決まっている。


 だが、結果——玲含め、真琴、あさぎまでもが驚きの顔で固まってしまっていた。


 謎に沈黙する教室。


 しばらくして、ようやく声を出したのは真琴だった。


「調べてるって、あの事件をか? 何で……」

「何でって、そりゃあ犯人を捕まえたいからだよ」


 苦虫を噛み潰したかのような顔を見せる真琴。その後ろから玲がそろりを顔を出す。


「やめた方がいいんじゃないかな、そういうの……。ほら危ないしさ、それに警察の人にも怒られるかもしれないよ」

「まあ……」


 それはそうなんだが……。でもそれじゃあ、その反応は一体……。


 真琴の背後ではあさぎが居心地悪そうに視線を下げているのが見える。

 何かを言いたいが、しかしそれを必死になって堪えようとしているみたいな……、そんな顔で口を固く結んでいる。


 ——昨日と同じだ……。


 そのはっきりとしない状態に、俺は知らず昨日の光景を重ねていた。

 あの時も、妙な雰囲気が終始漂っていたように思う。


 何か……。いや、何もかもがパッとしない空気。


 俺はその空気に、段々と苛立ちに近い感情を覚え始めていた。


「お前らは何とも思わねえのか? あの桜の木、玲たちだって大事にしてただろ。それを、あんなところで人を殺して、そのくせ包丁で滅多刺しなんて……、いくら何でもやり過ぎだろ」


 この村自慢の大きな桜の木。

 一昨日俺が遊羽へ見せたみたいに——、俺が転校して来た時にも、玲たちは俺に桜の木を紹介してくれたのだ。


 その時玲は言っていた。


「僕たちにとってこの桜は、何よりも大切なものなんだ」


 と……。


 なのに何で……。お前たちはそれを、汚されたとは思わないのか?


 再び静まり返る教室。

 そこへ玲の声だけが響く。


「滅多刺しって、どう言うこと?」


 それは意外な、それでいて純粋に疑問に思った——、そんな感じの言い方だった。


「知らないのか? 殺された松月って人、体を包丁で何回も刺されて亡くなってたんだ。それに死体のそばには手紙も落ちてた」

「手紙?」


 あさぎが首を傾げている。


「ああ。手紙には『ココニ ダイサンノフクシュウハ トゲラレタ』ってカタカナで書かれてたんだぜ。ちょっと怖いよな」

「おい。それ本当なのか——」


 真琴が噛みつく勢いで俺に掴みかかって来た。


「何だよ急に……」

「本当に——、本当にその紙に『ダイサンノフクシュウ』って書いてあったのか?」

「ああ、書いてあったって。遊羽も見たし、間違いねえよ」


 真琴は両の目を大きく見開き、口を開けて呆然と虚空を見つめていた。

 よそを見れば、玲もあさぎも声には出していないが、共に言葉を失っている様子だった。


「どうしたんだよ、一体……」

「いや……」


 心配になって訊ねる俺に、玲はあからさまに視線を逸らす。

 無言に戻る全員。教室にはたちまち静けさが回帰する。


「——ねえ」


 場を包んでいた静寂を、意外な方向から破る存在が現れた。


 声のした方へ振り向くと、それは俺の席の後ろ、遊羽から発せられたものだった。

 彼は俺ではなく、玲たちに向かって投げかけていた。


「白雪って女の子、どんな子だったの?」


 それは本当に意表のつく質問で、どうして今その質問をしようと思ったのかさえ俺には謎だった。

 だが、その質問を受けた玲たち三人は皆一様に、苦い表情を顔に貼りつけた。


 それはまるで、どことなく予想していたものの、それでいて来て欲しくなかったものがついに来てしまった。——そんな、この世の運命でも呪うかのような表情に、俺には感じられた。


「どうしたんだよ。何で……何で遊羽が、その名前……」


 角ついた笑みで言葉を絞り出す真琴に、俺が説明を挟む。


「桜の木の下に墓があるだろ。ほら、お前らが建てたってやつ。あれを昨日遊羽が見つけたんだ。だから……」

「そっか……」


 玲が小さく呟いた。

 諦めにも似た、声と笑みである。


「桜季の言う通り、その墓は僕らが建てたものだよ。里桜のために……」

「おい、玲——」


 咄嗟に口を挟もうとした真琴に、玲は目だけでそれを制した。


「まだ桜季が転校してくるよりも前の話なんだけれど、この村には僕と真琴、あさぎの他に、もう一人女の子がいたんだ。それが白雪里桜——」

「事故で亡くなったって聞いたけど」


 遊羽が訊ねると、玲はこくりと頷いた。


「うん……そうだよ。里桜はね、誰よりもこの村が大好きだったんだ。——ほら、名前の漢字も、この村と同じ『里桜』。だから、尚更だよね」


 玲はアルバムを捲るかのように、柔らかな笑みを浮かべながら語っていく。


「里桜はその中でも特に、あの一本桜が大のお気に入りだったんだ。毎年桜が咲くころになるといつも一番に様子を見に行ったりして、時には土砂降りの中でも桜が散らないか心配になって、一人出ていくこともあったんだ。——その次の日は予想通り、風邪を引いたりとかしてね。

 とにかく、里桜はあの桜の木が大好きだったんだ。

 だから見かねた僕らは近くの森に秘密基地を建てて、そこから雨の日でも観察できるようにしたんだ。おかげで里桜は何時間もそこに居座るようになって、自然と僕らもそんな里桜に付き合うことが多くなった」


 しかしその表情は突然、硬いものへと変わる。


「でもある日……。今からだと、ちょうど五年前だね。その桜の木の下で、里桜は亡くなったんだ。頭から血を流して……。まるで、眠っているみたいに……」

「それを見つけたのはもしかして……」

「……うん。僕たち三人だよ。桜の木の下で誰かが倒れているのを発見してね。近くまで行ってみたら、そこに里桜が倒れてたんだ」

「原因は何だったの?」

「いつものように桜を見に行った里桜は、何かしらの理由で体勢を崩したんだろうね。それで近くにあった石に頭をぶつけて、そのまま……。校長はそう言ってた。

 たぶん里桜のことだし、上ばかりを見てて足元をおろそかにしたんじゃないかな」

「足を取られて、か……」


 五年前に亡くなってしまったという白雪里桜。

 彼女の思い出、そして最期のお話は遊羽の呟きと共に終わりを迎えた。


 その時ちょうど、天井に吊るされているスピーカーが単調なリズムと共に盛大な音楽を響かせた。

 それを合図に河津先生が、いつものハキハキとした調子で入ってくる。


 皆、いつもと変わらない彼女の様子を見てホッとしたのか、気がついたころにはみんな、いつもの調子を取り戻していた。


 俺は最後にちらりとだけ遊羽の様子を伺う。

 彼は珍しく窓の外を見るでもなく、真剣な顔で物思いに耽っていた。


「染井さん、前を向いてください」

「あはい、すいません」


 こうして俺たちの、体幹にして高々数十分の談義は終わり、そしてこれから長い……。

 とても長い一日が、始まるのだった。

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