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「はぁ……はぁ……」
背後で轟音が聞こえてからネリネは全速力で逃げてきた。いつもの森、いつもの道のりがやけに遠くに感じられた。
突如遠くからギャリギャリ……バキバキ……という聞いたことの有るような無いような音が聞こえてくる。それは自分の方に近づいているためネリネは体をこわばらせた。
そしてバキバキと細い枝木をなぎ倒しやって来たのは、
「せ、先生!」
『早く乗車してください』
やって来たM42戦車に安堵の表情よりも先に驚きを浮かべる。80t/14m近くもある戦闘車両がすごい速さ(M42側からすれば遅い)で木々をなぎ倒しながらやって来たのだから当然だろう。M42の存在感はネリネが今まで見たことが無いほど圧倒的であった(3ヶ月ほど一緒に暮らしていたネリネだが本格的に動いているところを見るのは初めてである)。あの魔獣の恐怖すら忘れさせるほどであった。
だがすぐに我に返り、脇に避けると、M42はその隣にやって来て停車した。
この3ヶ月でネリネは車体への乗り方もマスターしていた。すぐに車体のサイドスカート部にある凹部に手をかけると勢いを付けて車体上部に上る。そして車長室のハッチを開いて中に滑り込む。車内はいつもの通り座り心地の良い椅子と周囲にはモニターパネルや車体を操作する操縦桿や各種ボタン類が並んでいた。それらの役割についてネリネはM42からある程度説明を受けており緊急時には車体の全てを動かす程度は出来るぐらいにはなっていた。学のないネリネがたった3ヶ月でこのレベルに達したのはナノマシンの補助効果と共に『スキル』に関連する力が働いたからである。
尚、M42戦車の内部は少々特殊で車長室は車体内部(操縦室の隣)にある。場合によってはここからAIを含む車体全てに指示を出す為、最も情報の集結するところでもある。(砲塔は砲手1名が乗車する事に対し砲塔の大きさは通常戦車と同レベルであり、弾薬を多く積むことが可能となった。また車長席から操縦手席、砲塔や後部スペースとも狭いが通路でつながっている。尚、車長が車体に乗ることに対しては現場の兵士からは不評であったという。)
閑話旧題
ネリネはようやく自分は助かったのだと実感すると呼吸を整え始めた。M42戦車の中はおそらくこの世界では最も安全な部類に入る場所である。そうしてある程度落ち着いてきたところで気になるのは自分の村の様子であった。ネリネにとってみれば良い村では無かったがそれでも故郷である。確かに自分は嫌われていたがそれでも……
ネリネは車長席に座るとすぐに周囲の状況を確認し始めた。周囲の状況――村の様子だ。ただここは森の中で光学機器を使用しても木々が邪魔をして村を直接見ることが出来ない。
「先生、村まで先生を移動させても良いですか?」
『ネリネ、あなたが命令する側です。許可を取る必要はありません。忠告するとすれば魔獣の能力が不明なので接近は避けたいですね。』
「分りました……お願いします。村に行きたいです。」
『アイマム』
ネリネの言葉により、M42は村へと向かった。
****
村は地獄図にはなったが、阿鼻叫喚となったりはしなかった。単純に全員殺されてしまったからだ。ただ魔獣の動き回る音と、家が倒壊する音が聞こえる。村はただただ静寂であった。
避難場所であった地下室は早々に見つかり天井部分を壊され内部に侵入された。一カ所しか無い出入り口は既に固く閉ざしてしまった後なので、逆に身動きがとれず中にいた村人は全て殺されてしまった。地下室の内部や周囲には人のパーツが散乱し、地面を赤黒く染め上げていた。
その様子を村の外れから観測する影があった。M42戦車だ。
M42戦車は森の縁ギリギリの場所までやって来て、その光景を各種センサーで見ていた。日本の植生に合わせた森林迷彩とこの村付近の植生――やや乾燥して背の低い植物が多い場所では多少浮いているが、動かなければ早々にバレないだろうという距離だ。
そして観測の様子はネリネの願いもあり、車長席のモニターにも映していた。
『ネリネ、大丈夫ですか?』
「大丈夫です。……不思議ですね。人が……両親が死んでいるのに何か遠くの出来事のようです。」
(ネリネは大丈夫か。多少感情に揺れがあるが問題ない範囲だ。それにしてもあの魔獣とか言うは何だ? 動物なのか? 観測結果としては機動性はともかく、攻撃力、防御力共脅威になるレベルでは無いな。主砲を使えば粉々だろう。おそらく機銃でもいけるレベルだ。)
カメラの先では既に村人を殺し終わり静寂が訪れていた。魔獣もこれ以上の獲物はいないと判断したのか今はゆっくりと村を徘徊している。
ネリネの心配は不要だったようで、多少の不快感、気持ち悪さ、寂しさなどは感じているようだが、悲鳴を上げたり嘔吐したりと言ったレベルでは無い。もしかしたらモニター越しと言うことで現実感が湧いていないのかも知れない。
魔獣に関してはM42が観測する限りは確かに生物としては驚異的だが、兵器として分析した場合はゲリラや機動戦向きであり、間違っても戦車とガチンコ出来るようなレベルでは無い。足の動きからそこまで重量が無いことが発覚したので、皮膚が硬いと言っても鋼鉄のような金属では無いだろう。生き物の常識や皮膚の伸縮具合から言っても防御力はさほど無い。機動性については狼などのイヌ科特有の動き方だが大きさや重量に対して非常に機敏だ。魔法というモノを知らなければ、薬物によるモノだと判断していたかも知れない。攻撃力に関しては牙や爪だろうと予測できるがその鋭さやパワーなどは不明。殺された人間の切断面などを観測する限りある程度の鋭さはあるようだが。
――結論。生き物として逸脱するレベルでは無く近代兵器の脅威となり得ない。
と言ってもこれはM42だから言えることであり、5mクラスの魔獣と言えば剣と槍で戦うこの世界では大きな脅威だ。
さらに熱源探知を行うことで心臓の位置もつかんでいた。魔獣も生物であるのだろうか、ある程度発熱しているのでセンサーを用いれば補足は容易だろうとも。魔獣はどちらかというと圧倒的な力で狩る側なのだから隠れると言うこと自体やる必要が無いのであろう。
(心臓部分が最も高温だが……2つあるな。心臓が2つ? 見た目は狼のようだがあの体躯であの機動性はおかしいな。魔法というモノを使用しているのか? まあ生き物でもそうで無くても心臓を潰せば黙るだろう)
『ネリネ、あの魔獣ですが、観測の結果排除可能です。どうしますか?』
「えっ、あの魔獣を退治できるのですか。さすが先生です!」
ネリネは何かすごくキラキラした目でM42を見ている。おそらく尊敬の念であろう。がM42が今言いたいことはそういうことでは無かった。
本来、ネリネもM42戦車の戦闘力は訓練により知っているはずなのだが。
(女の子に尊敬されるって良いな。8歳だけど可愛いし。でも質問の意味は分ってない様だ。まあ私も出来ればここで撃破可能か判断したいな)
『もしネリネが望むであれば命令を』
「え、あの……それって」
ようやく理解できたようだ。ネリネの命令でM42は動く。この場の最上位者はネリネだ。彼女の命令一つで多数の軍人やロボットが必要になる敵性生命体を殺すことが出来るのだ。
ネリネは少し考えた後、こくりと頷き
「お願いします。先生」
そう言った。
命令されれば迅速に。軍人の教えであり、AIにも言えることだ。
すぐに砲塔を旋回、目標に対し主砲を向ける。
砲塔後部の砲弾ラックから自動装填装置を介して主砲へ砲弾が送り込まれる。
センサー機器により彼我の正確な位置関係を確認。敵の未来位置、砲弾の弾道等最先端コンピューターによるシミュレートは完璧。
さらにネリネも今までに受けてきた訓練を思い出し車長席から各種システムを動かし始める。
『ネリネ車長、照準良し。発射ボタンを預けます』
「分りました。」
訓練の結果流れるように、ネリネの指がボタンに添えられる。
だがその際にふと疑問がネリネの頭をよぎる。
「あの、先生。私が発射ボタンを押さなくても良いんじゃ無いでしょうか?」
『ネリネ車長は私の上官です。乗車している場合は全ての決定権はネリネ車長にあります。』
M42は緊急時に備えてAIでの無人運用も考えられた戦車ではあるが、人間がいる場合はそちらが上位者となる。AIはあくまでサポートなのだ。人間がいる状態でAI側が勝手に戦闘などを行ったりすると軍紀違反の恐れがあるとなる(実際にはそこまで行かないだろうが)。そのため、最終的な判断は人間が下すと言うのが理想的なのだ。
と、そうこうしているうちに魔獣がM42の方を向いた