008 花房雫、ストーカーに悩まされる。その3
土曜日、駅前の百貨店に入っていくワンピース姿の雫をビルの陰から眺めながら、紅緒は兄に目配せをした。
「今のところ、不審人物の陰はありませんね」
「いや、俺たちが十分不審者だと思うけど……」
天気は晴天。銀糸雲市は都市部から離れているが、駅前の繁華街は若者や家族連れでそれなりに賑わっている。
紅緒は長髪をポニーテールにまとめ、大きめのトップスとタイトなスキニーパンツに身を包んでいる。軽やかにスニーカーで足踏みし、蒼衣を見上げて両手を握り込んだ。
「頑張って、雫ちゃんのストーカーさんを見つけましょうね!」
「俺らがストーカーと間違われるんじゃねえのかな……」
蒼衣はパーカーの袖をまくり、困惑して頬を掻いた。
紅緒たちは、雫のストーカー調査のために、雫の許可を取って尾行をしているところだった。妖魔の仕業なら、紅緒一人で対処できる。しかし、人間の呪いならば蒼衣の『言霊』が有効だろうと大学が休みの兄を引き連れてきたのだ。
だが、周囲には特に怪しい人物の影はない。むしろ、糸原兄妹の行動が一番不審だという有り様だった。
「とにかく、もう少し雫ちゃんの後をつけてみましょう」
「まじか……」
頭を抱えた蒼衣を引きずり、紅緒たちは百貨店で買い物をする雫の姿を遠目から見守る。アクセサリーを購入し、バーガーショップで昼食をとる雫を見届けたところで、蒼衣が罪悪感に音をあげた。
「紅緒、兄ちゃんは紅緒の友達へのストーキングに心が折れそうなんだが……」
「お兄さま、人聞きが悪いですよ。ちゃんと雫ちゃんには話を通しているんですから、堂々とされてください」
「堂々と尾行するって、それはそれでどうなんだ……」
うなだれた蒼衣の腕を引き、紅緒は押し殺した声で「あ!」と声をあげた。
バーガーショップの建物の陰に隠れながら、蒼衣が妹に問い掛ける。
「なんだ、ストーカーが見つかったのか」
「いえ、そうではないのですが、雫ちゃんがナンパされているようでして……」
交差点の手前、雫は年上の男に声をかけられていた。男は二人組で、髪を明るく脱色し、見るからに遊び慣れているような風貌をしている。
男の一人が雫の肩に腕を回し、もう一人が雫の腰を抱き寄せる。その光景に、紅緒は焦って身を乗り出した。
「あっ、あれは大丈夫なのでしょうか⁈ あのっ、割って入って助けた方がいいでしょうか⁈」
「紅緒、一回落ち着けって」
その時、蒼衣の肩を叩く男の手があった。
「うわあ!」
蒼衣は驚いて身を引き、紅緒を腕で男から隠した。男が無表情のまま言う。
「あなたたち、雫のストーカーですか」
頬をひきつらせ、蒼衣が弁解する。
「すっ、すみません、雫さんのご家族の方ですか。俺たちは確かに雫さんの後をつけてはいましたが、決してストーカーなどではなく……!」
狼狽し早口になる蒼衣を、男は無表情で見つめる。見た目から推測するに、男は二十代の後半ほどで、長めの黒髪が隠しているが顔立ちは整っている。
「あの、雫さんのお兄さんでしょうか? すみません、妹が雫さんの友達で……」
弁明を続けようとする蒼衣のパーカーの裾を、紅緒が強く引いた。
「お兄さま! 雫ちゃんにごきょうだいはいません……!」
妹の言葉に、蒼衣は表情を凍り付かせた。