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蒼と紅-糸原兄妹の退魔奇譚-  作者: 砂原翠
糸原紅緒、退魔師になる。
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005 糸原紅緒、退魔師になる。その5

「紅緒、どこから妖魔なんて拾ってきたんだ……!」


 焦る蒼衣に目もくれず、紅緒は不敵に笑い、白菊に血の滴った指を差し出した。


「白菊、食事の時間よ」


 血の雫を舐め、白菊は双眸を青く光らせる。全身の毛がぶわりと逆立ち、全身が大きく膨らんだ。白菊は低く屈み込んで後ろ足を蹴り出すと、鎌鼬めがけて飛びあがった。

 白菊とぶつかり合うように、鎌鼬が飛び掛かってくる。矢のごとき速度の獣はぶつかり合い、白菊が鎌鼬の首もとの肉をかみちぎり、鎌鼬の爪が白菊の片目を抉った。


 火花が散るように、二頭は一斉に距離をとった。睨み合いながら、間合いを測るように歩みを進める。

 飛び出したのは、紅緒だった。

 驚いて飛びあがった鎌鼬の腹をジェルネイルで飾られた爪で切り裂くと、瞬時におのれの式鬼へと合図を送った。


「白菊、今よ!」


 一陣の風が吹き荒れたかと思えば、白菊が鎌鼬へと飛び掛かり、その首を食いちぎった。

 鮮血が周囲に飛び散ると、鎌鼬の体は砂のように崩れていった。

 顔から腹にかけてを血に染めた白菊が、誇らしげに紅緒を見る。紅緒は相好を崩し、式鬼に向かって両手を広げた。


「よくやったわ、白菊」


 白菊が紅緒に飛びつき、紅緒が抱き締めるように腕を抱えると、式鬼の体は光の粒となって主人の体へと溶けていった。

 紅緒が蒼衣のほうへ振り向いた。綺麗に繕って出かけたはずのその姿は、今や怪我と返り血に汚れ、長い黒髪が乱れていたが、その表情は自信に満ち溢れ輝いている。


 蒼衣は安堵の息を吐き、妹へ歩み寄った。紅緒の汚れた頬をてのひらで拭ってやると、紅緒は甘えるように頬を摺り寄せた。蒼衣は表情を緩めて言う。


「がんばったな、紅緒。式鬼のことも……びっくりしたけど、紅緒がちゃんと使いこなせているようで安心した。努力したんだな」


 紅緒は兄を見上げて笑った。


「はい。わたくし、お兄さまを守れるくらい強くなりたくて、白菊と訓練しておりましたの」


 蒼衣は苦笑した。今日の紅緒は、蒼衣でさえも見惚れるほどの戦いぶりだった。初日で白菊を使わなかったのは、おそらく羅刹の被害者を白菊に喰わせるわけにはいかないと思ったのだろう。優しい妹の頭を撫でる。


「紅緒はさすがだな。もう霊力を使いこなしているなんて。俺が教えられることなんて、残ってないかもしれないな」


 紅緒は蒼衣の手を取り、首を振った。


「それは違いますわ、お兄さま。紅緒が強くなれたのは、お兄さまのおかげですもの」


 首をかしげた蒼衣に、紅緒は言い募る。


「お兄さまも、お父さまもお母さまも、お爺さまもお婆さまも、いつも体の弱い紅緒のために、元気になれるようにと祈ってくださいましたでしょう」


 紅緒は兄を見つめてはにかんだ。


「その祈りが幾重にも積み重なって、紅緒を守ってくれたのです。だから、わたくしが強くなれたのはお兄さまたちのおかげなのです」

「紅緒……」


 紅緒は、蒼衣の手を包む手に力を込めた。


「わたくしは、もう家族の誰も失いたくありません」


 彼女の黒い瞳が決意に輝く。


「だから羅刹は、わたくしがこの手で倒します」



 糸原家がある銀糸雲市の大地主、藤隅家の屋敷に、糸原紫苑は招かれていた。座布団の上で足をくずし、肘置きに上体をあずけた藤隅家当主、藤隅勲(ふじくまいさお)を前に紫苑は正座で進言する。


「やはり、銀糸雲神社の鎮守の森の注連縄が切られておりました」


 溜息を一つ落とし、勲は言う。


「強力な呪を断ち切るとは、ついに羅刹が動き出したということか……」


 藤隅家は、銀糸雲市の治安を守るため、退魔師の家系糸原家を抱える雇い主の立場だ。江戸時代の後期には主従関係に他ならなかったが、時の移り変わりとともに雇用被雇用の関係に形を変え、綿々と現在まで続いてきた。

 勲は皺のよった額を、同じく皺にまみれた手で撫でた。


「糸原は文字通り命懸けで紅緒を守ってきた。隠しておくには惜しい力だが、お前達の心情を思うと戦から遠ざけておきたい気持ちは分かる」

「いえ、紅緒から申し出がありましたので、今は蒼衣と共に退魔師の修行をさせております」

「ほう、お前もよく決断したな」


 紫苑は静かに首を振る。


「あの娘はあまりに強く聡い。己の血濡れた歴史を知りながら、全て飲み込み、祝福を掬い取って己を寿ぐ気高さを持ち合わせています」


 血を流しながらおのれの式鬼を抱き締めた孫娘を思い出しながら、紫苑は言う。


「紅緒はもっと強くなる。戦いの中で清濁を併せ飲む経験が、紅緒をより輝かせるでしょう。人を救うのはあやつのような退魔師です」

「では、羅刹は倒せそうか」


 勲の問い掛けに、紫苑は視線を鋭くさせた。


「儂の目の黒いうちには必ず」


 細い月の霞む夜が、さらに更けようとしていた。


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