その9
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快速電車で八駅進み、適当に乗り換えて再び二駅を進む。馴染みのない地名と駅名に気分を良くしながら、男は足取り軽く改札を通った。
通行口は北口と南口しかなく、行き来する人口が多い南側についてゆく。意味はない。ただ何となく人の流れに身を任せるのが、自分にとって自然な成り行きに思えた。
駅前のロータリーに停車する二台のタクシー。バス停に備えられたガードレールに腰を落ち着ける若者。大きめの時計台を見上げると、時刻は夕方五時をすぎだばかりだ。
駅から掃き出される者の多くが学生や会社員の身なりをしている。マフラーで首もとの防寒対策をする者が多かった。
彼らが向かう方角はまばらでも、それぞれの動作に迷いがない。誰かと待ち合わせて遊びにゆくというより、住み慣れた地域に根を下ろして暮らす者がほとんどだろう。
会社勤め風の女性を見つけた。
男は充分な距離をあけて彼女を尾行した。だがすぐに大手コンビニ店に入ってしまう。見込み違いをした自分に苛立ち、男は歩道脇に張られた金網フェンスに背を預けた。
これだから若い女はだめだ。
コンビニで作られる便利で手軽な加工品ばかり食べるから、胃も悪いし、髪も痛むし、肌も汚いし、口も臭い。きっと頭もおかしいのだろう、男はそう考えた。
諦めて、近くの横断歩道を渡ってみる。
数メートル先を左折すると、スーパーの看板らしき光を見つけた。男は小躍りしたいほどの昂揚感を覚えたが、平然を装いながら勇んだ足を向けた。すれ違う人々が乳白色のビニール袋やお洒落なエコバッグをぶら下げている。間違いない。男はほくそ笑んだ。
出入り口は狭く、赤いプラスチックの籠が積まれている。
左手で籠を掴んで自動ドアをくぐった。まずは生鮮食品コーナーに迎えられた。冷房にさらされた棚に野菜が並んでいる。男はそれらを吟味する仕草をしつつ、買い物客たちが獲物に成りうるかを横目で物色した。できれば主婦がいい。籠の中身を調べれば相手がどんな暮らしをしているか判断できる。男はセロリを手に取り、再び棚に戻した。
魚介類コーナーでは店員が半額の値引きシールをせっせと貼っている。中年女性がそれらを片っ端から籠に放り込んでゆく。あれは嫌だ。気にくわない。
男は精肉コーナーへと急いだ。
どう考えても一人暮らしとしか思えない不格好な男たちが占領している。腹が立つ。見ているだけで吐き気がする。男は顔をしかめて方向を変えた。
そこは調味料の棚で、ちょうど特売だったマヨネーズが目をひいた。ああいった普段から必要な調味料はいい。たくさん買い置きしておいても不意にきらしてしまうようなポピュラーなものはとくに程良い生活感を味わえる。
男が手を伸ばすも、ひとりの女性が先に商品を取って籠にいれた。特売品を目当てに来店したのかもしれない。――いい。すごく理想的だ。
沸き上がる興奮を抑えて、男は彼女のあとを尾けた。彼女の籠には他に、しらたきと長ネギと春菊と白菜と牛肉がある。鍋かもしれない。次に卵を買ったらスキヤキかも。
男はくすくすと含み笑う。
その後、彼女はシュークリームをふたつ買った。自分でふたつ食べるのか、招待する友達の分なのか、親なのか、彼氏なのか、旦那なのか――。
さらに冷凍食品コーナーを素通りした態度が好印象だった。決めた。彼女にしよう。
腹を据えた男は、ようやく彼女の顔を眺めた。
年は二十代前半くらいで、目がふたつあり、鼻がひとつ、口もひとつだ。髪を耳にかけて野球帽をかぶっている。若い女だ。若い女がいい。
彼女がレジに並んだので、男は慌てて籠を戻した。精算を終える前に先回りして、外で待機するのが得策だ。幸い、夕時のレジは混み合っている。
自転車が並列する店の前から少し離れて、男は待った。目線はしっかり出口に注目していた。彼女が出てくると、男は強く強く心で念じた。
彼女の家が徒歩圏内であるように、と。
自転車で帰られては追いつけない。もし男が走って追いかけたなら不自然きわまりなかった。なるべく怪しまれるような行動は控えたい。
幸運にも彼女は徒歩だった。品物をキャリーバッグにつめたのか、ネギの頭が突き出たバッグをがらがらと引きずっている。
男は入念に距離をとって追跡し、彼女の自宅を記憶した。成果はまずまず。男はご機嫌な足取りでコンビニに立ち寄り、弁当とカップ麺を三つ購入して帰路についた。
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