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特殊執行鬼 ネロ+  作者: 田中志摩貴
6/27

その6

 *


 男の趣味は旅行だ。

 暇を見つけてはパンフレットを眺め、時刻表を調べ、テレビの旅番組に見入る。そして夢想に耽る。そこに住んだらどんな暮らしになるだろう、と。

 男は東京郊外で育ったので田舎暮らしの経験がない。さらに父母共に東京出身なので、盆暮れに親に手を引かれて、鮨詰め状態の新幹線で里帰りをすることがなかった。

 十代の頃は単純に、新緑あふれる木々や宝石箱めいた紅葉、荒々しい波飛沫をあげる海や雄大な丘や急峻な山々の尾根に憧れた。大自然と触れ合って生きることこそが、人として真っ当なのだと思いこんでいた。競うように建てられる高層ビルや無茶な埋め立てを繰り返す人工的な東京の方が間違っているのだと、そう考えていた。

 高校を卒業すると、男はふらりとバス旅行で全国に足を伸ばすようになる。

 九州や北海道でない限り、深夜バスを利用すれば往復一万円でお釣りがくることも少なくない。なので手軽に行ける名古屋や京都大阪、仙台、新潟は実に慣れたものだった。

 特に何を食べるでもなく、観光を楽しむでもなく、男は街をぶらぶらと散策する。住宅街をうろつき、小さな公園のブランコに揺れながら、近所の子供たちが走り回る光景をぼんやり見つめる。そうすることで、自分もこの土地の住人になれる気がした。地域と一体化する瞬間は、胸に細い光が灯って微かな安堵が生まれる。その至福は男を幸せにした。

 例えそれが、帰宅すれば消える一時的な旅の錯覚だとしても。

 現実逃避と罵られようが、外界に依存していると叱られようが、男にはどうでも良いことだ。どう指摘されても構わない。男はせっせと小都市へ通い続けた。

 高校卒業と同時に入学した専門学校では、似た性格の人間と会話が弾んだ。

 和気藹々と馬鹿話で盛り上がる。時には友達の付き添いで秋葉原や渋谷にも出向く。だが男は楽しくなかった。メイド喫茶にも萌えないし、キャバクラや合コンは気を使うばかりで面倒なだけだった。表向きは笑顔を繕う。それは単に友達の手前、楽しんでいるフリをした方が無難だと判断を下したに過ぎない。

 旅行が趣味なのは公言している。なぜか友達のほとんどは、男が鉄道オタクだと思いこんでいた。バスを利用していることも知らないし、住宅地の散策がメインだとは想像もしていない。学校で親しい者すべてが、男の旅行先に触れない。質問されたことがない。興味がないのだろうと男は解釈していた。

 そういった距離感が東京にはある。お互いに踏み込まないでおこうという不可侵の領域が暗黙のうちに完成されていた。専門学校を卒業した仲間たちは地元に帰り、それきり連絡もない。当然、男も同級生たちの連絡先など控えてなかった。


 一期一会。

 会うべくして顔を合わせ、別れるべくして離れる。

 それでいい。それが自然な人生だ。


 整頓された印象を与える庭。白く清潔な壁。鮮やかな赤ペンキを塗った門。

 男の生家は人気のミニチュア模型を再現して建てられた。絵本に出てくるお菓子の家みたいだと同級生に誉められたこともある。

 その外観とは裏腹に家庭内は冷え切っていた。まるで会話がなかった。物心がついた時から大人になるまで、一貫して両親が喋らない。だから男は幼い頃から必死に話題を捻り出し、学校では見せないような明るく活発な子供を演じて食卓を盛り上げる。父母はいつまでも非協力的で、暗い面持ちでたまに頷くだけだった。

 そもそも男は社交的なタイプではない。

 仕方なく立候補したピエロの役目がどんどん重荷になり、高校卒業後にようやく男は自らのはめた足枷を捨てた。気遣うことをやめた。知らず知らずのうちに神経が磨り減り、命まで削られてゆく気がしたからだ。

 男が愛想笑いをやめても父母は相変わらずだった。

 高校を卒業した翌月に両親が離婚届を提出した。男には一言の相談もなかった。

「あなたが一人前になるまでは、と思って」

 息子が精神的に独り立ちする年齢までは離婚せずにいようと、十何年も昔に取り決めていたらしい。仲を修復する腹づもりがないのなら、早く離婚すればよかったのだ。嫌いな者同士で顔をつつき合わせる苦痛など誰も望むものか。

 男は腹を立てた。

 せめて話しておいてくれれば、無駄な労力を使わずに済んだのに。と。

 両親が離ればなれになって家族の籍が分離するより、道化になりきった努力が、最初から報われない徒労であると通告されたことが辛かった。

 両親は離婚後も同居を続けた。今さら新しい恋人を作ったり別の家庭を営むことが億劫らしかった。かと言って別々に居を構えるのも金銭的に難しい。

 相変わらず会話はない。

 自然と食事は各自好きなものを食べるようになった。いつしか男も無言になり、在宅時は部屋に閉じこもった。家庭の存在意義を根底から疑い始めた。

 ある日の夕方、男は総菜を買いにスーパーへ出掛けた。

 ちょうどタイムセールの時間帯だったのか、主婦が必死の形相で獲物に食いつく。男は急に虚しくなり、殊更に強い疎外感を味わった。

 何も買わずに店を出て、電車で数駅先のスーパーまで足を運ぶ。初めて入ったスーパーの店内も、やはり主婦ばかりだった。ここが別の土地だと思うと新鮮味が湧き、心に平穏が広がってゆく。旅先で堪能する暖かみに似ていた。

 やがて――見知らぬ駅で適当に降りてぶらつき、スーパーに立ち寄って、子供連れの主婦を眺めるのが男の習慣になった。


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