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特殊執行鬼 ネロ+  作者: 田中志摩貴
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その4


 先入観に捕らわれる者は本質を見誤りやすい。

 外からの風評や外聞、事前に得た予備知識から推測する実体のない虚像。それが先入観へと変貌をとげる。

 司法に携わる限り、先入観よりも事実や本質で判断するべきだ。

 なのに僕は扉という言葉から銀色のノブを探した。最初に入室した扉がふつうの開き扉だったために、次の扉も同じ形だという先入観を抱いてしまったのだ。

 ということは、だ。

 先ほどの上品で清楚な女性も中身まで清楚とは限らない。魅力的な年頃に見えたが、本当はずっと年上かもしれない。いやそもそも、髪の長さや声のトーンで女性だと思いこんでいたが、女性だとは限らない。

 ――反省しよう。

 僕はひとつ咳払いしてから扉を押し開けた。そして驚愕する。目を疑い、忙しくまばたきを繰り返す。ここはどこだろう。まるで異世界じゃないか。

 いくら僕が世相にうとく、現代の流行を知らなくても一目でわかる豪華さ。

 広さはゆうに五十畳を超える。奥一面には開放感のある厚手のガラスがはめ込まれていて、日射量が多く、景観も良さそうだ。

 まず目についたのは足下に敷かれた虎の毛皮マット。四肢を伸ばした虎が地面に腹這いになる形で床に張りついている。まさかこんなものが実在するとは。あるとしても石油王並みの大富豪の邸宅にしかないと思っていた。まさか職場に、しかも霞ヶ関で遭遇するとは想像もできなかった。――ああマズイ。これも先入観か。

 天井に釣られたきらびやかなシャンデリア。深みのある渋い焦げ茶色の振り子時計。革張りの応接セット。どれも高価そうな代物だ。奥まった部分に見え隠れするキッチンにはニュースで紹介していた新型カフェオレメイカーが鎮座している。

 どこを見てもゴージャスという感想しか出てこない。室内にかかった費用は総額で幾らになるのだろうか。驚きのあまり感嘆の呻き声がこぼれた。頭が真っ白になる。

 その時、

「あら、いらしてたのね。ようこそ検察庁へ」

 どこかで聞き覚えのある妖艶な声と共に、長身の影が視界でゆらめいた。

 女性だ。しかも白と茶が混じった毛皮を肩に羽織っている。こちらを振り返る時にひらりと裾が広がった。一瞬だけ、そう一瞬だけ、絶対に内緒だけど――熊が出たと思った。こんな場所で熊が威嚇してきたと思った。死んだフリをしようかと思った。

 僕の気配に気づくまでは、どうやらソファに身を沈めていたらしい。

「いつまでも立ってないで、こちらにいらっしゃればいいのに」

「はあ」

 僕は曖昧な返事で場を濁しながら、何とか状況を正しく呑み込もうと懸命に頭を回転させた。そうして思い出した。ぴったりと記憶が符合した。

 この派手な美女は、僕の面接官と同一人物だ。

 名前は北大岡響子。髪型が違うし、面接時には黒いスーツを着ていたから咄嗟にわからなかった。それも道理。検察庁に勤めるキャリア女性が、まさか勤務中に毛皮姿でくつろいでいるなんて、たぶん世界一のクイズ王でも正解できない。

 響子は左手で番号を押すと受話器を右耳にあてた。

「ちょっと未夜さん? お客様がいらしたなら、ちゃんとそう伝えてくれないと。ええ、はい頼みますね」

 物腰は丁寧なのに妙に威圧感のある口調だ。受話器を戻すと、響子は大きな口を真横に引いてにんまりと笑う。

 たっぷりと紅を塗ったふくよかな口唇も、茶色の化粧品でしっかり補正した眉も、目頭から目尻までしっかり縁取ったアイラインも、くるんくるんに巻かれた長い髪も、ラメを散らせた艶のある肌もすべて、どこか人造人間めいていた。

 面接で顔を合わせた時は、毅然と働く三十代くらいの女性検事のイメージだったのに。

 女は化けるという言い伝えは事実らしい。

「あの、未夜さんと言うのはさっき待合室にいた……」

「そうですよ。あの方が未夜さん。何かありましたか?」

「いえ、何でもないです」

 意を決して質問するも、彼女が何者かまでは踏み込めなかった。

「ああ訂正しますよ? あの方は未夜さんで間違いありませんけど、彼女がいた場所は待合室ではなくて玄関です。よろしくて?」

「はあ……」

 僕は脱力した。喋り方が浮世離れしていて検察官のイメージと重ならない。

 響子と向き合う形で座ると、僕の重みで、ソファに張られた革が柔和にしなった。初めての高級品に感動する余裕もなく、いつ粗相しても万全に対応できるよう浅く座り直す。

 脊柱に鋼を通したように背筋をぴんと伸ばした。

 響子は足を組んでからひとつ頷く。彼女がやや前傾姿勢になったことで気づいたが、豊かな胸が深い谷間を作っている。見てはいけない。見ては失礼だ。咄嗟に目を逸らしたものの、無意識のうちに視線が釘づけになってしまう。

 気づいているのかいないのか、響子は愛想笑いを見せた。

「では確認いたしますね。姿見ハルさん十六歳。この年で司法試験の第一次を突破するなんて随分と優秀なのですね」

「いえそんな……あの、日々精進します」

「まあ謙虚な」

 響子は口許に手をあてて、おほほと笑った。

「高校生が司法試験に受かるなんて、わたくしの世代では考えられないほどの快挙ですわよ。もっと胸をお張りなさい」

「はあ」

 胸とか言わないでほしい。

 見ないように頑張っているのに、つい目が戻ってしまうじゃないか。

「そうですね。このまま順調に試験を通っていただけるとわたくしも安心です。けれど慢心してはいけません。油断大敵です。わたくしもこう見えて、着実に一歩一歩前に進みたい堅実なタイプなんですよ? 夢は大きく持ちたいものですわ」

 ――胸は大きくモチみたい?

 ちがう。聞き間違えだ。僕は邪念を捨て去ろうと自分で自分の頬を打った。

「まあ、どうかなさいました?」

「や、別に」

 集中しろ集中。僕は、露わになった響子の額を見つめた。注視すればするほど眉の角度が人工的だった。よく見ると眉毛部分に毛らしいものはなさそうだ。化粧を落とすと眉毛がなくなるかもしれない。――うん。いい調子だ。この案配で胸から意識を逸らそう。いや待て。また胸を思い出してしまった。悪循環から脱出できないので、ぐいと目線を落として、手前に置かれたテーブルを凝視する。

「わたくしの夢……気になります?」

「え。い、いや胸なんて」

「胸?」

「い、いえ何でも……」

 僕は情けなくごにょごにょと声を濁した。

「わたくしは法を信じています。法を遵守し遂行する責務も負っていますし、罪を犯す者には適切な罰を望みます。社会の安全を守るためには秩序を保つことが重要だからです。ですが悲しいことに、発覚しない犯罪や見逃されたまま時効を迎える犯罪者が多いのも事実。姿見ハルさん。わたくしは、すべての犯罪者に等しく、相応しい罰を受けていただきたいのです。理解していただけます?」

 響子のぽってりとした口唇から吐き出される言葉が、次第に熱を帯びてゆく。

「ええわかっています。こんな戯言、理想主義だとお思いでしょうね。ですがわたくしは叶えてみせます。諦めません。わたくしの志が折れる時はわたくしが死ぬ時。それまでは意志を曲げません。例えそれが、限られた人員と少ない予算で成し遂げるには困難を極める理想であっても……」

 僕は小さく頷いた。

 理想を掲げて目的に進むことは合理的だし、何より、正義の味方みたいでカッコイイ。

 僕の美意識とも共通している。

「姿見ハルさん。あなたの志望は検事、で間違いありません?」

「はい!」

 僕は自分の決意を示すように膝に置いたふたつの拳を固く固く握りしめた。

 しまった。勢いあまって顔をあげてしまった。仕方がないので、胸の谷間を見ないように努め、響子の厚化粧を睨みつけていた。

「では、あなたは検事の役割をどのように捉えています?」

「特殊な例を除き、検察官は治安機能維持能力を持たないため、犯罪者の逮捕はできません。検察官は、主に刑事事件における公判を受け持ちます。そして法に基づく適切な求刑を裁判所に訴えます」

「大変いい返答です。声も大きく明瞭で簡潔な部分が評価できますね。学力も問題ありません。では本題に移りましょうか。実は今日呼び出した理由というのは」

 ――きた。

 僕は身を強張らせた。

 何の効果を狙ってか、響子は意図的に喋るスピードを緩める。

「あなたを『特殊検察官』として採用するかどうか、テストを行いたいのです」


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