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特殊執行鬼 ネロ+  作者: 田中志摩貴
24/27

その24


 現代の東京拘置所に戻るまで僕は一切口を開かなかった。凛然寺もマーシャルも口を噤んでいたし、珍しくネロと暁も大人しかった。

 拘置所の地下の地下にある個室を包む静寂を、きんという金属音が打ち破る。帰りは、時間移動した手順をきっちり真逆になぞってゆくだけなのだろう。

 マーシャルが足早に廊下を駆けていった。廊下の先には検察庁の待合室があり、北大岡響子の待つ正規の執務室に通じているはずだ。

 足取りが重い。隣に並んだ凛然寺が訥々と喋り始めた。

「私たちが過去へ戻る理由は犯人に相応しい苦痛を与えるためだ」

「報復ですね?」

「そうだ。悪事がバレなければいいという考えは下劣で好かない。殺した者の勝ち逃げなど許さない。逃げても追ってやる。私が捕まえる」

 凛然寺は冷徹に断言した。長いまつげが微かに揺れた。

「……今の司法は復讐や報復の観念を認めていません」

「確かに今の司法制度はそうだ。しかしそれは私個人の意見とは異なる。私は犯罪者の更正を信じない。秩序の枠組みに我慢できず、所詮は犯罪に手を染める安易な者だ。そんな奴が、出所後さらに風当たりの厳しくなった社会条件の中で更正できると思うか」

「できるかもしれません」

「検事様のご高説か。もし更正できたとしても僅かだ。大抵は懲りずに堕落の道に戻る。奴らは犯罪を繰り返す。社会で他人様に危害を加えるよりは、多少の税金を投入してでも隔離する方が社会のためだ」

「僕は……刑罰とは、罪人の矯正や更正にも役立つと信じています」

「綺麗事を言うな」

 凛然寺は鼻先で笑った。

「人間は平等じゃない。時代が進み科学が進歩しても均等にはならない。能力が違うし環境が違うからな。だが過去は今よりもっと不平等だ。今と同じ行為をしても昔ならば罪にならない場合もある。時代によって命の重さや罪の重さが一致しない」

「そうかもしれません」

 僕はぼんやりする頭を回転させた。

 公訴時効も時代によって期間が違うため、罪の重さが違ってくる。

 そもそも時効は必要なのか。罪を犯したのに償いもせず許される事情とは何だろう。どんな定義で公訴時効が設けられたのか、納得のゆく説明がほしいと切実に思った。

 僕の歩調に合わせて、凛然寺がゆっくりと爪先を交互に踏み出す。

「法律は権力者に都合よく作られる。古代からそうだった。暴君が人民の命をどれだけ奪おうと罰せられない。階級や身分によって人の命の重さは変化する。刑罰も変わる。罰を逃れる者もいる。罪が暴かれぬまま死する者もいる。大勢を殺しても、権力があるというだけで何の罰も受けないなんて、おかしいとは思わないか?」

 罪は罪。罰は罰。

 法律は誰の頭にも、公平に、その効力を持つべきだ。

 社長であれ新入社員であれ、教師であれ生徒であれ、役職や地位に左右されずに罪は罪として償うのが平等というものだ。例えそれが王様とて同じこと。

 凛然寺の言い分はわかる。

「私はこれからも過去へ戻る。罪から逃れた犯罪者を追いつめて刑罰を与える。それが私の仕事だ。私は特殊刑務官という任務に誇りを持っている」

「そういえば」

 僕は静かすぎる空気に気づき、激しく動揺した。ネロと暁の気配がない。いつのまに消えたのだろう。まるで気づかなかった。

「いいんですか、凛然寺さん。ネロと暁がいませんよ!」

「慌てるな」

 凛然寺は警棒を握りしめ、グリップに装備した小さなボタンを押した。すると小さな光がほんのり明滅する。凛然寺がそれを壁に向けると、壁が映画館のスクリーンの役目を果たして、光の加減で絶妙な展開図が映写された。一つぴこぴこと反応の強い場所がある。

「これがネロがいる位置だ」

「あ。ちゃんと把握してるんですね」

「調べなくても見当はついている。いや待て。ということはつまり、お前は気づいていなかったというわけか。とんだ間抜けだな」

「何がです?」

「お前が未来からの刺客に襲われた時、ネロの背中が焦げていただろう?」

「あ、はい。僕を庇ってくれたんです……けど……それが何か?」

「私は現場を見ていないが、すぐに察しがついた。あれはお前の身を守ったのではなく、脊髄に仕込んだ発信器を壊すために、ネロが敵の攻撃を利用したんだと」

「え! まさか!」

 僕は驚きのあまり瞠目した。

「なぜ気づかない。お前の黒目は飾り物か」

「え、え、いや、どうしてわかったんです?」

「私はネロの担当刑務官だ。奴の性格は知悉している。覚えておけ。犯罪者は総じて利己主義で、奴らの犠牲精神には必ず裏がある。まず疑うことが最優先だ」

「はあ」

 鬼気迫る強い説教には真実味があった。

「この警棒を介して奴の発信器の安否を調べれば、反応がないことは一目瞭然。だがそれをすると、私が奴の思惑に感づいたと証明するようなものだ。むざむざと手の内を明かす必要はない。だからお前から発信器を回収した」

「僕の発信器を? どうしたんですか」

「解体して発信器の本体だけを取り出した。それをネロの体内に仕込んだ」

「仕込んだ! どうやって?」

「少しは自分の脳を使え。この無能が」

 凛然寺が汚らわしいゴミを見るように顔をしかめた。記憶を巻き戻して凛然寺の行動を探ったが、それらしい罠が思い出せない。凛然寺は呆れた溜息を吐いた。

「ネロにパンを食わせた」

「パン? ああ。あの拷問の時にパンごと発信器を胃まで押し込んだんですか……」

「拷問じゃない。あれが刑務官の食べさせ方だ」

 凛然寺はチと舌を打って足を早めた。僕は咄嗟に凛然寺を引き留めよう手を伸ばしつつ、とんでもないことを口走っていた。

「えっと、あの、問題です」

「どうした。ネロの真似か?」

 凛然寺がくるりと振り返り、口の端を片方だけ引きつらせた。自分でもなぜ凛然寺を引き留めたのか、理由がわからなかった。

「問題です。パンはパンでも食べられないパンは何でしょう」

「フライパン」

「正解は」

 僕はポケットからブローチを取り出した。遺族に返された証拠品だった。

「正解はパンダのブローチです」

「それは……確かに食べられない」

「この答えじゃダメですかね」

「ダメじゃない」

 凛然寺の鉄仮面が少しだけ微笑んだ。

「ネロにもお前くらいの可愛げがあれば、少しは私も楽になれる」

「あ、笑った!」

 僕は思わず大声で指摘した。凛然寺は眉をぐいと寄せて、改めて険しい表情の仮面を装着する。だが僕は見た。一瞬だけだが確かに凛然寺の顔が柔らかく笑んだ。

 ――先に凛然寺を笑わせた方が勝ちな。

 ネロが挑んできた勝負の口火を脳裏で繰り返し、僕はガッツポーズした。

 勝利の証として凛然寺に情報開示を執拗に迫る。もちろんネロの逃走経路だ。あまりにしつこくねだったので、思いきりブーツで蹴り上げられたけど。

 響子の執務室前に到着した時、扉に手をかけた凛然寺がこつこつと小気味良い音を響かせて回れ右をした。

「ネロの居場所が知りたければまっすぐ帰宅しろ。そうすればわかる」

「あとで電話くれるんですか?」

「帰宅後にわかる」

「あ。メールしないんですよ僕。友達いないんで携帯電話持ってないんです」

「私も持っていない」

「じゃあ、やっぱり電話で教えてください」

「くどい。とっとと家に帰れ!」

 凛然寺は眉間に深い皺を寄せて怒鳴った。さよならの言葉もなしに、憤然とした手つきで扉を開ける。一緒に任務を遂げたのに、こんなにもあっさり別離するのか。人のことは言えないが、十六歳の若さで老成しすぎているしあまりに不器用な女の子だった。

「あの」

「まだあるのか」

 凛然寺は扉を閉め、鬱陶しそうに前髪を掻き上げた。僕はなぜこんなにも長々と凛然寺を引き留めるのだろう。なぜスマートに別れられないのだろう。

 二秒ほど考えて、ようやく考えがまとまった。

「自分を大事にしてください。お願いします」

「どういう意味だ?」

「いえ。僕がどう慰めても、相談に乗っても、簡単に解決するような問題じゃないことはわかります。だから一人で悩まずに病院に行ってください」

「だから、どういう意味だ」

「や、あの、ええと」

「私にわかるよう率直に言え。簡潔に会話できない奴は馬鹿だ。私に伝える意思がないのなら半端な物言いで人を引き留めるな。クズが」

「わかりました。だったら聞きます!」

 凛然寺の毒々しい悪舌に耐えかね、僕は口唇を尖らせた。

「もう手首を切るのはやめてください。どうして手首を切るんですか!」

「手首?」

「そうですそうです。一説によると、どうしても我慢できなくなったら切る方が健全だとも聞きます。ええはい。切る行為を制限したら、別の方法で、確実に死を選ぶ方向に心が動くからです。だけど医者の手を借りてもいいじゃないですか。凛然寺さんの性格上、人を頼るという行為自体が屈辱的に感じるとしても……!」

「何の話をしている」

 凛然寺は怪訝な顔で首を傾げた。それが演技ではなくあまりに自然だったので、今度こそ僕は率直にネロとの会話を打ち明けた。

 ――凛然寺に聞け。なんで手首を切るんですか、とな。

「くだらん」

 凛然寺は無機質な声で吐き捨て、僕の頬に勢いの良い平手を張った。まさかビンタされると思っていなかった。間抜けなほど無防備な姿で攻撃を受けた僕は、じんじんと腫れる熱い頬に手をあてて目を白黒させる。

「馬鹿か。ネロの言葉に惑わされるなと忠告しただろう。何度言えばわかるんだ。お前の頭には綿でも詰まっているのか!」

「え、じゃあ……」

「なぜ私が自分の手首を切る? どうせ切るなら、犯罪者の首を切ってやる」

 凛然寺はぎりぎりと奥歯を噛みしめた。

 物言いが彼女らしくて笑えてしまい、ついでに痛みも吹き飛んだ。

「もう一度だけ言う。アレに耳を貸すな。あれは鬼だ。人じゃない。鬼畜だ」

「はい」

「ではネロに会ったらこう伝えろ。三日間だとな」

「え」

「伝えればわかる」

 今度こそ凛然寺は振り返らず、横開きの扉の向こうに消えた。

 


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