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特殊執行鬼 ネロ+  作者: 田中志摩貴
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その2


 朝七時半ちょうど。

 テレビでは爽やかな笑顔の女性キャスターが星占いを発表している。

 僕の星座は最下位らしかった。心の中で舌を打つ。いや、占いなんてくだらないものはどうでもいい。ニュースなんだから事件を報道したり、裁判の行方を伝えるべきだ。世の中の為になる情報は他に幾らでもあるだろう。

 僕は思う。占いごときに振り回される人間は愚か者だと。

 星座で運が決まるなら、ラッキー星座の人は犯罪に荷担しないのか。偶然巻き込まれることはないのか。もしくは犯罪に関わっても、それ自体が明るみに出ないのか。一体どれなんだ。何がラッキーなんだ。

 不愉快になってチャンネルを変えたが、またもしても星座占いをやっていた。

 今度は僕の星座が一位だった。

 この一貫性のなさ。節操のなさ。これだから占いは信用ならない。僕は肩を竦めた後、リモコンを手にし、天気予報を伝えるチャンネルを親指で探した。

 食卓にみそ汁が置かれる。味噌と具材をお湯で溶かすだけのインスタントだ。

「できたぞ」

 父が用意したのは特盛りの親子丼。一口大の鶏肉にたまねぎと椎茸を合わせて醤油出汁で煮込み、卵でとじる。丼によそった白米に半熟のそれを乗せ、仕上げはたっぷりの紅生姜で決まり。立ち上るあつあつの湯気が食欲をそそった。

 僕は赤ん坊の頃から父子家庭で育った。

 母は僕が生まれてすぐに亡くなっている。

 なので食事を作るのは父親の役目である。だが父は「男は丼ものを食え」という持論を掲げる特異な人で、朝食のみならず、ほとんどの食事が丼で現れる。焼いたサンマも丼飯の上にのせるし、煮魚や煮物類、パスタやシチューも例外ではない。

 丼以外に食べ物が出る時は誕生日と祝い事がある時のみ。

 僕が司法試験の一次に合格した時は、気前よく特上寿司五人前の出前をとってくれた。

 単に食器を汚したくないのだろう。たぶんきっと恐らくは食器洗いが苦手なのだ。

 僕らは食卓で向かい合いながら、口許に丼を運んで素早く中身を掻き込む。男同士だからか、食事中に会話することは滅多にない。そう滅多にない。

 ただ今日は、保護者である父に報告しておくことがある。

「父さん。僕、今日学校を休むから」

「ん。何かあったのか」

 父は口いっぱいのご飯をむしゃむしゃと咀嚼しながら、微かに首を傾げる。

「あー、なんか司法省から連絡がきて、この前やった面接に関係することで話があるから来てくれないかって呼び出しがあったんだ」

「もしかして司法試験をクリアしたのか?」

「違うよ。それはない」

 僕はふうと息を吐き出して丼を置いた。

「僕が受けたのは旧司法試験の第一次試験だからね。根本的な学力をはかるテストみたいなものなんだよ。これに受かる人は珍しくない。まあ、僕みたいに十六歳で受かる人はいないけどね。第一次試験と言っても、大学卒業時レベルの学力が必要だからさ」

「そうなのか」

「そうなの。で、司法試験をパスしたと見なされるには二次試験が大事なんだ。ここが難関で、とても今の僕の実力じゃ無理だね。しかも二○××年からは司法試験の制度自体が完全に移行されて、法科大学院を卒業しないと受験資格をもらえない。つまり、僕が試験に受かるのは何年も先になる、ってこと」

「まあとにかく、一次でも何でも合格したことが凄いぞ」

 父は明らかにどうでもよさそうに誉めた。

「ん。だったらなんで司法省に呼び出されたんだ?」

「それが僕にもよくわからないんだ」

「わからないのに行くのか?」

「だって気になるじゃないか。無視できないよ」

「そんなもんか? 父さんには何だかさっぱりわからんが、お前の将来に役立つなら行けばいい。三月だしな。学校を休んだって学力に問題ないんだろ。はいごちそうさま」

 父は鷹揚に笑うと箸をおいて両手を合わせた。

 時間は七時五十分。父の食事時間は精密機械のように正確だ。いつもの手順で出社の準備をし、それが完了した頃に僕が食事を終える。まとめて下げた食器を洗ってから、棚の上に飾られた母の写真をしばらく見つめる。この一連の動作にかける所要時間は常に一定で、僕は子供の頃から密かに、父がメカなのではないかと疑っていた。

 母の写真を手に取り、父がずずいと顔を近づける。 

「沙織ぃ。子供は放っておいても育つとは言うが、気づいたらあいつも十六歳だぞ。大きくなっただろ。あいつが小学生の時に司法試験を受けたいと言い出した時はビックリしたが、まさか本当に合格するなんてな。どうしよう沙織。俺不安だよ。ヘンに頭が良すぎる人間はどこかがおかしいって言うだろ。俺……あいつの将来が心配だよ……」

「父さん。それ独り言? ぜんぶ聞こえてるけど?」

 言いながら、僕の頬の筋肉がひくひくと引きつった。喜ぶ顔を見せて祝いの賛辞をくれたくせに、心の底ではそんなことを考えていたのか。

「は、恥ずかしいだろ。盗み聞きするなよ」

「してません」

 僕は低く冷めた声で否定した。

 父は腕時計をちらりと確認すると、慌ててソファに転がる黒い合成革の鞄を掴んだ。

「まずい。遅刻する。そんなわけで近い内にお前に話したいことがある」

「そんなわけでってどんなわけか全然わかんないよ。何。再婚でもするつもり?」

「そうじゃない。母さんのことだ」

 父の目に一瞬だけ真剣な光が宿る。

 僕はハッとした。父にとって悲しすぎる過去――「最愛の妻を失った最悪の出来事」についてようやく口を開く決意をしたのだ。

 実は、僕は母親の情報をほとんど持っていない。

 姿見沙織という名前。

 生後半年の僕を残して二十五歳で亡くなったこと。死因や当時の経緯に触れると、父があまりにも苦しそうな顔をするので質問できずにいた。

 幸い、母の写真はたくさん残っている。

 主に父と交際中の写真ばかりなので、見ているこっちが恥ずかしくなるくらい熱烈な写真ばかりだ。美人というよりも愛らしいタイプ。表情も仕草も、着る洋服や小物も独自の感性を発揮していて、母は年齢の割に子供っぽいものを好んで身につけた。

 十年以上飾っているこの写真でも、母は胸にパンダのブローチをつけている。こんなダサイものは幼稚園児だって嫌がるだろう。僕なら断る。パンダなんて絶対に御免だ。

 パンダのブローチを欲しがる二十代女性なんて想像できない。

 ――母以外には。

 僕は、父の横に並ぶ少女のようにはにかむ母が好きだった。

 実際は父と離婚しただけで密かに生きてるかもしれない。そんな希望に縋るために、母の名をネット検索できずにいる。母は生きている。そう思いたい。不思議なことに我が家の仏間には母親の遺影を飾っていなかった。

 もし母が生きていて、そう、例えば女優として活躍していても僕は気づけない。

 なぜなら僕は、戦隊ヒーローものとニュース以外のテレビ番組は見ないし、本も教科書の類しか読まないからだ。勉強の邪魔になるので携帯電話も契約していない。同じ年頃の人間は、携帯電話の待ち受け画面に片想いの女子や芸能人の写真をセットするという。

 でも僕の定期入れには両親の若い頃の写真が収まっている。

 恥ずかしいとは思わない。どうせマザコンだのファザコンだのと揶揄する友達はいないし、携帯電話を所持してもかけてくる知り合いもいないのだから。

 父の慌てた声が玄関から届く。

「じゃあ行ってくる」

「気をつけて」

 僕は軽く顎を揺らして父を見送ると、勢いよく参考書を閉じた。




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