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特殊執行鬼 ネロ+  作者: 田中志摩貴
19/27

その19

「ひとまずここを出る。用意しろ」

 居間から凛然寺の声が届き、僕は慌てて写真を片づけて敷居を飛び越えた。

 彼女は、パソコンに備えつけた機器らしきものを取り外してポケットにしまうところだった。目が合う。凛然寺は怪訝な表情をして首を傾げた。

「何があった?」

「え。や、何も、別に」

「異変があったか?」

「や、特には」

「もじもじするな。トイレなら早く行け」

「行きたくないです!」

 僕は顔を紅潮させて怒鳴った。女子にそんな指示をされたくない。

 始終不遜な振る舞いをしているが凛然寺は女で、しかも非の打ち所のない迫力ある美少女だ。どんな男だって彼女の整った容姿には目を奪われるだろう。ただし、あの諍いを招くような毒舌を封印すれば。

 凛然寺の猫型の瞳が僕をじっと見上げ、大きな布袋を押しつけてくる。

「これを持ってマーシャルの元で待機しろ」

 僕に拒否権はないらしい。袋はずしりと重かった。外側の凹凸や重量から、先ほど集めたコップの類だと察せられる。袋ふたつ分も盗んではさすがに右輪も不審に感じるのではないか。そう思って改めて部屋の惨状を見渡したが、使用前使用後の差はなく、家主ですら何が紛失したか把握できないと確信できた。

 凛然寺が新たな袋を広げ、洗濯物を干す前のようにパンパンと払う。空気で膨らむ袋を腕に下げて、再び室内を物色し始めた。

「まだ盗むんですか?」

「人聞きの悪いことを言うな。ブログ確認後に必要な証拠品を押収してるだけだ」

 例の巾着をつまみ、裏表を確認してから袋に放り込む。雑然とした本棚に押し込まれた土産物の缶などを引っぱり出して、押収するものと残すものを分別し始める。

 僕の目は自然と凛然寺の手首に吸い寄せられた。無意識だった。しかし凛然寺が顔をあげて眉間を歪めたので、僕は反射的に目を逸らした。やはり傷は見えなかった。


 扉を開けるなり、玄関先のマーシャルに袋を取り上げられる。

「お預かりでし」

「ど、どうも」

 お言葉に甘えて証拠品の管理を任せると、マーシャルは、アパート前に駐車した車のトランクにそれを押し込んだ。トランクには僕が預けた冬服らしき布も見えた。服は畳んでおらず、ぐちゃりと丸めて放り込まれている。マーシャルの悪意なのか、彼が単に大雑把な性格であるかはわからない。僕の服は安物だから構わないけど。まあ、別にいいけど。

 戸口に背を預けていると、ポンと肩を叩かれた。手乗り文鳥のようにネロの左肩に乗る暁だった。

「さあ次行ってみよー。レッツらゴー!」

「また死語……」

 僕は頭を抱えた。耳を塞ぎたかった。

「さて問題です」

 ネロまでが便乗するのか。僕は両手で耳を塞ぎ、ぱたぱたと開閉させながらわあわあと叫び、聴覚を麻痺させたくなった。

「クラスで騒がしい子供は何月産まれが多いでしょーか」

「それ脈絡あるんですか」

 僕は目を細めて不快感を示した。しかし脳内では懸命に問題を解析して、様々な角度から答えを探ってゆく。だが肝心の問題の芯が掴めない。誕生月は十二月までなのだから、答えは十二分の一だ。当てずっぽうで答えてみるか。しかし間違えるのはイヤだ。見当違いのことを口走るのは恥ずかしい。

「ブブー。遅えよ。答えは四・五が多い。私語が多いから。どうだ。拍手しろ」

「ネロたん、カッコE!」

 ふたりは盛り上がっているが、僕の心は沈んでいた。

 正解どころか、答えが十二分の一ですらなかった。悔しい。また答えられなかった。次は恥を忍んでヒントをねだろうか。いやダメだ。こうなったら意地だ。涼しい顔であっさりとスマートに答えたい。

 ぶつぶつと呟いていると、後ろからネロが顔を寄せてくる。

「ポチ。犬だから階段を降りられないんか。怖いんか」

「犬じゃありません!」

 僕は一喝して、半端に履いた靴の爪先をとんとんと地に叩きつけた。身を屈め、踵に指を突っ込んで形を整える。錆び付いて赤茶けた階段を下りていき、地上に降りた頃、同時にマーシャルがトランクをバタンと閉じた。その時だった。

 天空で鋭い閃光が弾け、とつぜん視界が遮断される。

 真っ白で何も見えない。半瞬で目を閉じる。たぶん閉じたと思う。急激に乾いた網膜が痛くて、光を遮ろうと腕をあげる。瞼の裏にべったり付着した焼灼が離れない。

 何が起こったのか。

 事態を分析する前に、ネロの掌らしき感触に脇腹を突き飛ばされた。どれがどの順番で起きたことなのか、正しく覚えられないほど僅かな瞬間にすべてが始まった。

 僕は尻餅をついた。

 側面に転がって体勢を整える。立ち上がる暇はなかった。目を開いた瞬間、空からレーザーめいた光が僕を狙っていた。ひっと咽喉が鳴る。息を呑む。

 太陽とは異なる白い光。透明に近い白いエネルギーが砲弾の形を成して直進してくる。

 光速に等しいスピードだ。なのになぜかスローモーションに見えた。

 僕に照準が定まる。直撃すれば死ぬかもしれない。わかっているのに逃げられない。目が離せない。中腰のまま少しも動けない。

 光が迫る。ぐんぐん近づいてくる。

 その刹那、僕の視界に大きな影が覆い被さった。

 レーザーに視神経をやられて見えないが、直感でネロの影だと思った。それは正しかった。ネロが身を呈して僕を庇う。伸ばした四肢と共に広がる黒衣が、ピンと張った旗のごとくはらはらと風にはためく。

 ガキンと金属がぶつかる音が届いた。その一秒後にネロの絶叫が降ってきた。

 獣のような獰猛な咆吼だった。声が震動し、雷のようにびりびりと大気を切り裂く。僕の身までが千切れそうなほど痛々しく、そして猛々しい絶叫だった。

 逆光なのに表情がわかる。ネロは歯を食いしばり、ぎらぎらと両眼を燃やしていた。

「んがあ!」

 ネロの手の甲が僕の肩口を払う。僕は車に撥ねられたように吹き飛び、ブロック塀に背を打ちつけた。微かに目を開けると、ネロが黒衣を翻して天空を扇いでいた。高く挙げたネロの右手に、銀色の武器が飛び込む。手元にブーメランが戻ってきたらしかった。

 ネロはやや前傾姿勢になり、荒い呼吸で胸を上下させる。黒衣の背中部分がびりびりに破れ、白い肌が露出していた。皮膚が黒く焦げ、脊髄からぷすぷすと煙が漏れる。僕の身代わりとなり、レーザーに直撃したことを物語っていた。

「痛てえ。くそ。頭くんな」

 ネロは憎まれ口を叩きながら地面に唾を吐いた。血が混じっていた。

 視界の右上空にレーザーの光を感知する。僕は咄嗟に「右だ」と叫んだ。

 声が届いたからか、事前に察知していたからかはわからない。ネロが銀色のブーメランを投げた。武器はひゅんひゅん音を立てて、規則正しく回転しながら光の方向まで泳ぐ。

 光源が潰れた。光を打破したかもしれない。

 ブーメランはそこから意思をもったようにぐいんと方向転換し、弧を描いて左へ旋回する。左にも光が生まれた。ブーメランが潰す。光が現れ、ブーメランが潰す。数秒もかからず、十以上もの光が力を蓄える前に飛沫をあげて破壊された。

 本当に武器が意思を持っているのかと疑いたくなる。もしくは、卓越した技術者が遠隔操作しているのか。

 一体あの光は何なんだ。どうして僕を狙うんだ。

 それに――正体不明のものに対して、即時に戦闘態勢を整えられるネロは何者なのか。

 動きがただ者じゃない。早さもパワーも判断も、実戦に慣れた者のそれだ。

 空を自在に飛び回るブーメランは三十以上もの光を撃破した。

 ほんの数秒間たらずの出来事に衝撃を受ける。今まで見たことのない戦闘が眼前で繰り広げられた。僕はそれをネロの背中越しに見つめるしかなかった。

 正義のヒーローは助けてくれなかった。

 救ってくれたのは詰め襟の黒衣をまとう、邪悪な巨人だった。

 光が潰れた瞬間、上空からぼたぼたと何かが落下してくる。ちいいいと、ネロが大きく舌を打った。僕は目で追いかけるだけで何もできない。腰が抜けたかもしれない。

「凛然寺!」

 ネロが叫んだ時、アパートの二階から凛然寺が華麗に舞い降りてきた。しゃがみ込む形で着地し、体勢を低くしたまま地を蹴って飛び込むように僕の元まで滑り込んでくる。

「何があった!」

「わから……わ……」

 目にしたものを順序立てて正確に伝えたいのに、顎が震えて叶わなかった。僕は情けなく震える口許を恥じた。気づくと、右の拳で自分の頭を打ちつけていた。

「落ち着け。大丈夫だ。呼吸をしろ」

 凛然寺の叱責に似た男言葉が今は心強い。言われたまま息を吐き、吸う。うまくできているかは自信がなかった。

 ぽつぽつと落下してきた火種が地上で実体化する。最初はゆらめく影法師だったのに、すぐに半透明になった。やがて膨らみを帯びて立体的になり、黒色を濃くしてゆく。

 僕は目を瞠った。

 何が起きているのかわからない。信じられない。UFOから派遣された宇宙人が姿を現したみたいだった。黒い影は人間の形をしていた。

「うらあああ!」

 ネロの放ったブーメランが黒い影を一刀両断した。僕は心の中で「やった」と叫んで拳を振り上げた。耐久性はないらしい。影が霧状に気化して空気中に混ざり合う。これならばブーメランで一網打尽にできそうだ。そう喜んだのも束の間、散り散りになった黒い気体はすぐに集まって復元する。逆に肉体を持たないために明確な死も迎えないようだ。

 ネロはまったく間接を使わずに、真後ろの凛然寺の真横まで跳んできた。瞬間移動したように見えた。

「おい凛然寺。こいつはまさか」

「まさかだと? 憶測でものを言うな。まさかじゃない。確定だ」

「……マジか!」

 ネロと凛然寺が一斉に振り返り、萎縮して身を丸める僕を見下ろした。凛然寺の目から感情が消えていた。ネロが面白そうに口笛を吹き、大きな靴底で僕の膝をつつく。

「おいポチ。お前何したんだよ」

 質問の意味がわからず、僕は震える下顎に力を込めた。

「いや違うな。ウケる。お前、何する気だ?」

「やめろ。話は後だ」

 凛然寺は常備した警棒を取り出し、鞭を振るうように外側に払って長さを調節した。そして体勢を低め、果敢にも黒い影が集まる渦中へと飛び込む。

 まるで時代劇だ。凛然寺が警棒を振りかぶり、ばっさばっさと影を斬ってゆく。

 首を刎ね、腕を弾き飛ばし、胴体と身体を二分に薙ぐ。流麗な動きだった。思わず見惚れてしまうほどに無駄がなかった。素人目にも、厳しい鍛錬を積んだ剣術だとわかる。研鑽を重ねた技術だと伝わる。凛然寺は俊敏に影の軍団を倒していった。敵が復活するよりも早く警棒を操っていた。

「よおポチ。助けてやんよ。助けてやっから命賭けるか?」

 ネロが下卑た表情を浮かべて、くくくと笑う。まるで悪者の笑い方だ。

「かけ、かけ」

 僕は決死の力を振り絞って立ち上がろうとした。だが足に力が入らない。追いすがるようにネロの衣服を掴む。全意識を手に集中させてがっちりと布を握る。

 わからない。助けてほしい。どうすればいいのか。何が起きているのか。

「かけ、かけけけけけ」

 動揺のためにうまく舌が回らない。焦れったい。発声どころか動きもままならない。だらだらと汗ばかりが噴き出す。意味のない叫びばかりが咽喉から漏れた。自分の考えを伝えられないことが、これほどもどかしいとは思わなかった。

「暁!」

 ネロが上空に何かを放り投げた。するとワンタッチ傘が開くように、頑丈な屋根が広がり、僕の全身に覆い被さる。暗くて不安になる。心臓が痛い。脇腹も痛いし背中も痛い。不可思議な異常事態についていけず、頭の中が恐慌状態に陥った。

 僕を覆う幕は何らかの金属みたいだが素材は不明だ。完全な密閉空間ではなく、簡易トイレくらいの広さだ。どこからか熱風が吹き込んでくる。外で戦うふたりが気になり、僕は隙間を見つけて目を押しつけた。熱した金属に触れて火傷しそうだった。

 角度を調節して、覗き穴からネロと凛然寺の姿を探す。

 竜巻に似た灰色の煙が上空目掛けて渦巻き、上昇してゆく。他には何も見えない。ごおごおと重苦しい風の音が轟く。やがてそれも拡散し、縮小していった。

 僕を保護してくれた金属の幕がしゅるしゅると巻き上げられる。ワンタッチ傘どころかワンタッチで収納できる便利なテントじゃないか。

 僕はどうでもいいことを頭で訂正すると、闇に吸い込まれるように意識を失った。


 目が覚めると車の後部座席に寝かされていた。勢いよく半身を起こすと背中に激痛が走る。初対面で受けたネロの平手よりも数倍、後をひく暴力的な痛みだった。

「気がついたか」

 助手席から胴をひねる凛然寺の声は無感情だ。一度外に出てから後部座席に乗車し直して僕の隣に着席する。凛然寺に手首を取られた。陶器のように冷たい手だ。

「手首……」

「なんだ?」

「いえ別に」

「脈は正常だな。どこか違和感があるか?」

「背中が痛いんですけど」

「打ち身くらいで甘えるな。それでも男か」

 凛然寺は露骨に嫌悪感を浮かべて吐き捨てた。聞かれたまま答えただけなのに文句をつけられるなんて、当たり屋に遭遇したくらい理不尽だ。

「これは壊れたみたいだな。回収する」

 そう言って凛然寺は僕の手首から発信器の留め金を外した。結局、渡されても役に立たなかった。いや、役立たずは僕の方だ――。

「なんか足手まといになってすみません。さっきのは何だったんですか」

「あれは……」

 凛然寺は口ごもり、しばらく言葉を選ぶように目を泳がせる。事態を楽しむネロの笑声が最後部座席から届いた。日向で微睡む猫みたいに膝上で丸まる暁の頭を撫でている。

「なあポチ。おまえ何者だよ? 一体何すんだ?」

「え」

     

「いや違うな。お前は誰を殺す気なんだ?」


 ネロの口唇が血を塗ったように深紅に染まり、裂けた口でくつくつ笑う。享楽の歓喜ではなく、好奇心と嘲りが混じる冷笑だった。


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