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特殊執行鬼 ネロ+  作者: 田中志摩貴
16/27

その16


 一人を殺して七人を救うか、一人を見逃して七人の命を見殺しにするか。どちらも正当化できるものではない。単純に数で価値を決められたらどれだけ楽だろう。

 しかし数の理論に頼らずとも、僕は、右輪が殺人犯になることを知ってしまった。ひとりの狂人と七人の一般人。どちらの命が重いかは一目瞭然だった。

 ネロが人差し指を立てる。

「さて問題です」

「ちょっと黙っててください。なぞなぞにつきあう気分じゃありません」

「殺人犯になる前の右輪を抹殺したら犠牲者は出ません。でーすーが、さて問題です。ででん。右輪を殺すのは誰の役目でしょーか」

「え」

 僕は盲点をつかれて勢いよく顔をあげた。確かにそうだ。

 裁きを受けていない過去の犯罪者に対して死刑を執行する――それが特殊執行人だ。

 だが殺人を犯す前の右輪は潔白。

 潔白な者は死刑とは無縁であり、つまりネロとも無縁ということになる。

 二百人の命を奪った殺人鬼なのだから、人を殺すことに抵抗がないのだと無条件に思いこんでいた。もし僕がそれをネロに強要すれば、僕が殺人教唆の罪をかぶることになる。

 ――では誰が右輪の命を狩るのか。

 潔白の身の上にある右輪の命を。

 偽善者ぶるなと、先ほどネロから受けた侮蔑が脳裏で木霊する

 七件の殺人を未然に防ぎたいがために、右輪の存在を消し去りたいと切に思う。

 なのに自分の手を汚す勇気もなければ決断も下せない。

 僕は東京拘置所でボタンを押すことを恐れ、頑なに拒んだ。それと同じことだ。安全な高みから叫ぶだけの偽善者だと罵られてもおかしくなかった。

「犠牲者をひとりずつ助けても、右輪が別の女を殺さない保障はねェの。人生をなげうって、右輪を見張りたいなら止めねェけど?」

「いえ……」

「面倒くせーからついでに言っとく。今より昔に戻って右輪を死刑にしたいなら、北大岡に注文しな。この作戦における最終決定も、検事にポチを選んだのも、あの女だかんな」

 それ以上の会話は打ち切られた。

 僕はしばらく口を閉じた。死刑を唱えながらも死刑を身近に捉えていない卑小な自分を自覚すると、不思議と指の震えが止まった。

 過去をねじ曲げてヒーローのように被害者たちを救う案は、きっと北大岡響子も一度は考えついただろう。むしろ熟考しているはずだ。なのに行動には及んでいない。

 きっと何か理由があるのだろう。

 少しだけ冷静になる。僕は検事になるのだ。正義のヒーローのように鮮やかに被害者たちを救えないのなら、僕は僕の信じる司法に従う他ない。

 だとしても、被疑者死亡=不起訴の事実は動かせなかった。

 例え、七人を殺害した殺人犯でも起訴できない――。

 渋面で悩んでいると、横開きの戸口が勢い良く開く。その瞬間、僕は面食らった。

 鋭く細長いものが俊敏に飛び込んできたからだ。動きが早すぎて目が追いつかない。光芒が尾を引くように、にゅいんと残像が伸びる。正体が判然としない。銀色。いやもう少し暗くにじんだ鉛色だろうか。

 形のイメージは新幹線だ。それが高速の勢いでネロの懐に飛び込んだ。矢がネロの腹部を貫いたようで、僕は焦心した。なのに戦慄に襲われて身動きひとつ取れなかった。

 瞬きをひとつした後、ネロの膝上に少女がちょこんと座っていた。

 身体のラインに沿った銀色の衣服。全身タイツに似たフィット感だが、要所要所にレースやフリルなど凝った装飾がされているし、スカートも履いていた。首から長い黒スカーフが垂れている。宇宙人に扮したコスチュームに近いかもしれない。

「ネロたん。お久しぶりっこ!」

「元気にしてたんか、暁」

 ネロが少女の頭をわしわしと撫でると、少女も子猫のように頭を差し出してネロの胸元に額を擦りつける。ごろにゃんなどと甘えた発声もしている。

 少女というよりも幼女に見えた。

 身長は辛うじて一メートルを超える程度だし、手足も枯れ木のように細い。肩や尻は薄いのに腹は少しだけ出ていた。俗に言う幼児体型はこれが手本だろうと思える。

 僕は恐る恐る指さして確認した。

「あの、もしかして、娘さんですか」

「なわけねーだろ。暁は相棒だ」

 ネロは嬉しそうに破顔しながら、少女の側頭で結われたツインテールの片方をつんつんと引っ張る。暁はウインクしながら、右手の親指を立てて僕に突き出した。

「グー。暁だぴょん。4649ゥ~!」

 想像を絶する悪ノリで暁が死語を繰り出してくる。

 どう対応していいかわからず、僕は呆気にとられた。凛然寺に解説を乞おうと目をくれるも、厳格な態度で無視を決め込んでいる。誰よりも早く「黙れ。耳障りだ」などと喝破しそうな凛然寺の態度が不自然に感じられ、僕は不安になった。

「ネロたんと暁は相棒じゃなくて、イカしたアベックだっちゅうのォ~」

 暁は口唇を尖らせて駄々を捏ねるように足をばたつかせた。それを宥めるネロは慈愛に満ちた眼差しを落とす。

 あれが相棒に与える目線だろうか。いや違う。初対面から今の今までネロは僕にも凛然寺にもあんな態度をとった試しがない。一度は否定されたものの、本当は親子だと告白されても驚かない自信がある。アベック? 僕は乾いた苦笑いを隠せなかった。

 暁がくりくりの大きな瞳を輝かせて小首を傾げる。

「そこの醤油顔のアッシー、みたいな、ダサ坊のパシリ、みたいな雑魚ちんはァ、なーんでキョトンとしてるの? だっちゅうの、知らないの~?」

 随分と長い蔑称だ。僕のことか。僕のことなのか。暁の瞳はまっすぐ僕を見ていた。

「ええと、知ってるとか知らないの次元じゃなくて」

「ぷぷ。頭がピーマンなんだ。おっくれてるゥ~」

 僕の鼻先を指さして、けらけらと大きな笑声をあげる。初対面から無礼な部分はネロとそっくりだ。本当は親子だろう。親子であると言って欲しい。どうか親子であれ。

 ネロの傍若無人さも大概ついていけないレベルだが、暁の死語連発には耐えられない。

 たった数分で辟易してきた。もし僕に対する嫌がらせだったり、主従関係を決める根比べならさっさと白旗をあげて降参してしまいたい。

 僕は疲労感を含む溜息をついた。

 すると――もうひとつ人影を感知して、反射的に背を仰け反らせる。ビックリした。幾ら絨毯の毛が長いとはいえ、足音や気配を完全に消すことは容易ではないのに。

 ハッとした。

 暁に後続した彼は、猫背のまま、のそりのそりと滑るように進んでくる。歩行に必要とされる膝の関節が固まっているようだった。

 白髪頭に分厚い口唇――彼は検察庁に到着したばかりの僕を、響子の元まで案内してくれた男じゃないか。先ほどとは違い、眼帯で糸目の片方を隠している。

 凛然寺は立ち上がり、眼帯の男に軽く会釈した。外見からは伝わらないが、もしかしたら偉い役職の指揮官かもしれない。僕も釣られて起立し、ぺこりと頭を下げる。

「彼は特殊書記。私と同じく北大岡家に仕える直属の者だ。記録係だと思えばいい」

「よろしくでし。マーシャルでし」

 彼は外国名を名乗り、照れ笑いを浮かべたままひょこひょこ頭を揺らした。挨拶はそれだけ。凛然寺と同じく無駄口を叩かない主義らしかった。

 これで『特殊』という冠を持つ者は四つ。検察官。刑務官。書記。執行人。

 では暁はどんな役目を担うのか。まさか特殊警察官ではないだろう。まさか。もしかして。だけど。まさかまさか。いやでも。しかし。もしや。

 詮索する僕の視線に気づいた暁が、立てた小指をぐいぐいと見せつけてくる。

「暁はねェ、ネロたんのコレなのコレ。マブイ女。ジョーカノ」

「それはウケるな! ウケる! 笑えやポチ。遠慮すんな」

「遠慮してません」

 ネロは手を叩いて豪快に笑ったあと、暁の後頭部をぽんぽんと優しく撫でる。気分を良くした暁が、上気した桜色の頬を緩めてソファに座り直す。当然ネロの隣だ。

「あのねあのね、暁はハーフなんだにょ」

「へえ。どこの国とどこの国の?」

「リゾラバとネルトンのハーフ」

「リゾ……え?」

 もはや言語が理解できなかった。

「嘘ぴょ~ん。暁はアジアとヨーロッパのハーフだっちゃ」

 あまりに大雑把すぎて二の句が継げない。それは国名じゃなく地域だろう。

 暁は突き立てた人差し指を自分の頬にあてて、えくぼの凹みをぐりぐりと抉る。

「ネロたんの相方だし、ぶっとびプランナーでもあるにょん」

「企画とか発案ってこと?」

「あたりきしゃりき。横文字の方がイケてるから、そう言ってちょんまげ。暁が思いついたことを、例のケバいおばんに教えるんば」

「……すごく聞きにくいけど、おばんて北大岡さんのこと?」

「ぴんぽーん」

「というかさ、容姿はさておき、はっきり言って北大岡さんよりも君の方が年寄りみたいだよ。さっきから意味不明な死語ばかり使ってるし」

「わけわかめ。暁はオバタリアンじゃないにょ」

「だからそういう死語全開な部分が……さ、なんか、ついていけないというか」

「がびーん。そんなバナナ!」

 暁が、両拳を揃えて口許を隠し、潤んだ瞳の上目遣いで媚びてくる。男の庇護欲を煽るポーズかもしれないが、幼児がやるので計算高い気持ち悪さしか残らなかった。

 ふと後ろを振り返ると、凛然寺とマーシャルが神妙な面持ちで相談を始めている。立ち話というよりも会議だ。僕の視線に気づいた凛然寺がこくりと頷くと、なぜかマーシャルが慌てて眼帯の位置を直す。

「被疑者の居場所を特定した。今からそちらに向かう」

 凛然寺が高らかに発令すると、それまではしゃいでいたネロと暁がぴたりと動きを止めた。動物を抱き上げるように小さな暁を肩口に乗せて、ネロが立ち上がる。

「あいあいさー」

 ふたりは声を揃え、一分の隙もない同じ角度で敬礼してみせた。


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