その12
凛然寺の言葉を繰り返すことで、無意識に親愛を示す心理が働いていたらしい。彼女を怖がりつつも心のどこかで、彼女を理解したいと願う自分がいるのか?
これは恋愛感情ではない。もちろんない。絶対にない。彼女はかなりの美人だけど、ここまで緊張する人と二人きりで過ごせない。勘弁してほしい。
では、僕の行動は何だろう。
仲間意識を持っているのか。それとも持ちたいと思っているのか。しばし行動を共にするから、彼女を理解して安心したいだけか。彼女はこういう人間だと分類して、ただ自分を納得させたいのか。
自分がひどく滑稽に思える。
僕は幼稚園の頃から協調性がなく、周囲はみんな馬鹿だと思ってきた節がある。どんな話もどんな遊びにも興味がなかった。とりたてて仲良くする意味を見出せなかった。
僅かに例外はいるが、級友と喋りたいとは思わない。ましてや理解したいなどとは。
「あの、凛然寺さんは何年くらい特殊刑務官をやっているんですか?」
「四年だ。十二の頃から職務についている」
「え! じゃあ今十六歳なんですか!」
「頭がいいと聞いていたのに、計算ができないとは驚いたな」
凛然寺は露骨に眉間を寄せた。
「いや、十六だったら同じ年だなって思って」
「同じ年ならどうなる」
「いえ別に」
僕はもごもごと口を曇らせた。確かにそうだ。同級生だからハイタッチして喜ぶような自分ではないし、ましてや凛然寺は――もっと想像がつかない。
しかし外見が雲泥の差だ。僕と凛然寺が並んで街を歩いたところで、誰も同じ年だとは思わないだろう。せいぜい姉弟か家庭教師と教え子レベルか。
最初は断れなくて、否応なしに巻き込まれて、謎めいたふたりに同行しているが、社会経験ができて得しているのは案外自分の方かもしれない。
――かも。かもしれない。わからないけど。目の前で起きているすべてに頭が追いついていないけれど。きっとプラスになる。かも。
そう思いこむことにした。
「僕は今テストを受けてる身分なのに、すでに四年も経験してるなんて凄いですね」
「試験は十二の時に合格した」
僕は驚きと賞賛と、少しの悔しさを味わった。十六歳で旧司法試験一次を突破した自分と十二歳で刑務官に採用された凛然寺は、頭脳的に、実用的にどちらが上なのか。
凛然寺が無感情な目を向けてくる。
「刑務官になるための受験資格は、十七歳から二十九歳まで。女子は四十八キロ以上、百四十八センチ以上の体格を有し、裸眼で〇・六以上は必須条件。それから教養試験と作文に合格してから面接に臨む。それから身体測定。全てクリアしたあとで資格を得られるが就業人員によっては、必ずしも採用されるとは限らない」
「でも年齢が……」
「私は刑務官ではなく『特殊刑務官』だ。そもそも刑務官は代々親から子へと受け継ぐことが多い職だが、我が家系は代々『特殊刑務官』として北大岡家の指揮下におかれるのが尋常となる。だから職務につく年齢は重要じゃない」
「待て。待って!」
僕は慌てて立ち上がった。凛然寺の説明は理路整然としているが、原則的に、僕が知る世界とは異なる事情が見え隠れしている。
「刑務官と特殊刑務官。その差は何ですか」
「刑務官は通常、刑務収容施設における被収容者の処遇に対して滞りなく相応に扱い、尚かつ施設の管理事務などの運営全般を執行する国家公務員だ」
「わかります」
「特殊刑務官は特殊な犯罪人を管理する者だと考えろ。北大岡家が、必要に応じて特殊な犯罪人……ネロのような殺人鬼を使役する場合、それを厳しく監視し任務遂行を円滑にすすめる任を担う。それが私だ」
「特殊な殺人鬼」
無遠慮にネロを見つめると、赤ん坊をあやす親戚のようにベロベロバーを返してきた。
「二百人を殺害して埋める。この日本で、他にもネロと並ぶ殺人鬼がいると思うのか」
「戦争を除けば、まずいないと思います」
凛然寺は実直そうに頷くと、僕から目を離した。
いや待て。まだだ。ここで話が終了しては困る。聞きたいことは山ほどある。僕はさらに早口で日本語を操った。
「あの、あの、だったらなんで僕が特殊検察官に選ばれたんですか!」
検事は代々継承するような職業ではない。
現に父親も祖父も別の仕事に就いている。
僕は旧司法試験一次を通過しただけの素人じゃないか。本格的に判例の収集を始めているわけでもなく、現在までに起きている刑事事件を検証したわけでもない。
まだ十六だ。
凛然寺は特別な家に生まれ育ったかもしれないが、僕は違う。
「無知を放置する訳にもいかないか」
凛然寺は溜息をつき、魔法のステッキのように警棒を振った。それと同時に室内が消灯する。ネロの顔が白くぼんやりと浮かび上がって不気味だった。
警棒を横壁に指し、何やらグリップを操作すると、クリーム色の壁がスクリーンの代替品になった。さながらテレビ電話だ。
照らされた画面に北大岡響子が映る。
鎖骨から頭部までしか映されていないが、毛皮を脱ぎ、両肩を露出したセクシーな踊り子のような姿をしていた。目元の化粧直しをしているらしく、まつげに粘ついた液体を塗りつけている。
「どうなさったの、凛然寺」
「任務に納得できていない者が一名いたので」
「まあ誰です。質問があるならば先ほどしていただきたかったわ」
質問しましたけど。
僕は意義申し立てるよりも先に、合理的な質問をぶつけた。
「あのですね。自分の裁量で、起訴・不起訴を求刑するテスト内容は窺いました。でもどうして僕が選ばれたんですか! 僕はまだ司法試験に合格していません!」
「あら姿見ハルさん。そんなことですか。よく聞いておいてくださいね? 特殊検察官としてあなたを推挙した理由は……」
僕は聴覚を澄まし、固唾を呑んだ。
「正式な検事でないからこそ、です」
「え」
「検察庁の者を特殊任務にあてられるほど、わたくし共は人員過多ではありませんのよ。凶悪な事件は尽きません。検察庁は通常業務の処理で手一杯です。だからあなたを採用しました。特殊任務は正規で認可されませんので、検察職員は使えないのです。それに何よりも予算がない。ですが私には試したいこと、やりたいこと、やらねばならないものが多くあります。時間は限られ、回数も限られます。姿見ハルさん。あなたは任務を降りたいと申されますの? いいですか。この特殊任務テストは、いつでも誰でも受けられるわけではありませんからね。一度降りたら一生、受験資格を失います。いいのですか。あなたのテストは今日限りですよ?」
「いやあの、僕はやりたくないわけじゃないんです。むしろ挑戦できることはラッキーだと思ってます。ただ、どうして僕なのかなって」
「予算がありませんの!」
響子は強い口調で繰り返した。
「それに今日という好機を逃すと……まあ残念。時間だわ。では凛然寺。頼みますね」
話も中途半端なままに映像が途絶えた。
単純なタイムアップなのか響子の判断で切断したのか、どちらとも言えない。僕の当惑を余所に、凛然寺は手早くステッキを揺らす。室内に照明の光が戻った。
僕は渋面になり口唇を尖らせた。
「わかりました。つまり僕は、行く先々であの殺人鬼が起こすあれこれに対して求刑していけばいいんですね? 凛然寺さんの補佐的な」
「違う」
凛然寺はいつになく真摯な感情を込めて首を振る。
「調査対象者がいる。その容疑者に相応の罰を求刑をするのが特殊検察官だ」
「それが僕である、と」
「そうだ。そしてこの時、検事が死刑を求刑した場合はネロが執行する」
「は」
僕は平手を打たれた時のように一瞬、正気を失った。聞き間違えたのだと思った。
「ネロは殺人鬼。しかし私と同じく一種の特殊刑務官ともいえる。ネロは特別な死刑執行にしか関わらない特殊執行人だ」
僕は二十三秒間、絶句した。




