5 記憶領域
まず目に入ってきたのは木目だった。
寝ぼけたようにうまく思考がまとまらない頭で、何の変哲も無い学生机のなめらかに整えられた表面を眺める。
端には彫刻刀で無理矢理彫ったらしい歪な形の誰かの名前。
「…夢か」
小さく呟いて顔を上げると妙な顔で固まる友人の姿があった。どうやら俺に声をかけようとしていた様だ。
「イズミ…お前大丈夫か?ここ」
「余計なお世話だ」
こめかみを指差しながら苦笑いをするので睨みつけながらそう返した。
「それにしたって…。一体どんな夢見てたんだ?」
人を小馬鹿にした顔で笑う友人。内容が内容だから子供みたいで少し恥ずかしいとは思ったが、別に格好付けてあんなセリフを言ったわけじゃないってことを理解してもらいたい。俺はたった今見た夢について友人に語り始めた。
「…というわけなんだ。最後は夢オチってとこもまたナイスだろ」
すると友人は不思議そうな顔で俺のことを見つめて女性の声でこう言った。
「何を言っているのかよくわからないけれど…さっさと目を覚ましたらどう?」
「…え?」
─────
「あー、つまり俺はこの会話魔法?ってのを覚えると同時に気絶してたってわけか?」
「ま、まぁそういうことだね」
後ろ向きに倒れ込んだようで後頭部が少し痛む。夢オチかと思ったらそれが夢オチだったっていうオチってわけか。混乱してきた。
今だにドアップで視界を埋め尽くしていたエトラのバードフェイスに心臓がドキドキしている。主に恐怖で。
俺が生まれたての雛鳥なら刷り込みで親だと認識してるとこだ。
しかしそれにしてもレクティオの歯切れが悪い。心なしか目も泳いでいる気がする。
「…なんか隠してるのか?」
いや、隠しているというよりは申し訳なさそうな顔に見えるが。
「あぁ…まぁ話しておくべきだろうね。実はイズミ。今君が習得した《会話魔法》で…君の魔法記憶領域がゼロになってしまった」
なんだって?魔法記憶領域?ゼロ?聞き覚えのない単語だがなんとなくはわかる。嫌な予感しかしない。
「簡単にいうとどういうことだ?」
「君はこの世界で標準的に人と会話できるようになった代わりに標準的に使える程度の魔法を自動記憶できなくなってしまったってことさ!」
「ガッデム!」
要するに今の俺は薬草を集めることと喋ることができる冒険者だってことだな。それは冒険者なのか?お使いの子供では?
「忌々しいってほどではないと思うけどね」
ガッデムを会話魔法で翻訳するな。剣と魔法の最強冒険者になる夢が絶たれたんだから忌々しいだろ。
「俺は会話魔法以外の魔法は使えないってことか…」
「しかも未開の異種族の調査員以外で使う人がいない超マイナー魔法」
どうしよう、と未だに痛む頭を抱えて嘆く俺にエトラが囁いてくる。声色からして俺をからかうのがよほど楽しいらしい。
「道理で今まで会話魔法使うやつに会わなかったわけだよ!そりゃ一発でなんとか領域が埋まる魔法なんだから使うやつなんているわけないよ!」
じわじわと魔法が使えないという事実を噛み締め、湧き立つ怒りとやるせなさを吹き飛ばすように叫ぶ。するとまた何か囁こうとしていたエトラのくちばしを手で無理やり閉じたレクティオが半笑いでこんなことを言った。
「いや、魔法を使うこと自体はできるぞ。さっきも言ったが、自動記憶ができないだけだ」
自動記憶ができない…。
「つまり…英単語みたいに暗記すれば使えるってわけか?」
「まぁそういうことだね。というか君、そもそも記憶領域が小さ過ぎるよ。普通、会話魔法で半分行くか行かないかってとこなのに」
ここは純異世界人でもないのに会話魔法を覚えるだけの記憶領域があったことを喜ぶべきだろうか。
それさえ覚えられなかったらライにお礼を言うことすらままならなかったかもしれないと考えれば、そう悪い代償でもないかもしれない。
「それに、まだ魔法の出力が低いって決まったわけでもないもんな」
そう、記憶領域が小さいとはいえMPのようなものが少ないとか魔法の威力が一般人の十分の一とか決まったわけではないのだ。
「それなんだが、記憶領域が小さいものは出力も保有可能魔力量も小さくなる傾向にあるんだ」
「魔法には期待しない方がいいかもね」
口々に告げる司書達。
俺の淡い期待はあっさりと打ち砕かれた。もし依頼書に書いてあるような狼型の魔物とかでかいゴブリンとかに遭遇しても魔法が使えれば安全圏から攻撃できる、とか考えていたのに。
投げナイフか弓矢を買ってみるのも手かも知れないが、使いこなせる気がしない上に消耗品となると今の収入では赤字になりそうだ。
「…なぁ、魔法を暗記すれば使えるって言ってたけど、図書館には覚えるための本は置いてあるのか?」
期待しない方がいいと言われてもやはり使えるなら使えた方がいい。イレギュラーな事態が起きたとして、ほんの一、二発でも攻撃魔法が撃てればそれで生き延びる確率が上がるかもしれない。
そう思ったのだがレクティオ達の返事は芳しくなかった。
「残念ながら攻撃魔法なんかの魔道書は高価でね。《会話魔法》みたいにそもそも存在すら知られていないような魔法と違って専用の店に行かなければ実物すらお目にかかれないことがほとんどだ」
「ほとんど、ってことは例外もあるんだよな」
会話魔法のくだりは聞き流すことにしてそう尋ねる。エトラがつまらなそうな顔をしているように見えるが、完全に鳥なので判別はつかない。
「あぁ、低級の攻撃魔法なんかは民家に置いてあったり見習いの魔法使いが所持していたりするからね」
なるほど、それならギルドにも数冊置いてあったりしないだろうか。買うことは出来ないだろうけれど暗記するなら手元に置いておく必要はないだろうし。
「そっか、助かるよ。このお礼はそのうちする」
「ほう」
「ふぅん」
冷静に考えれば「言葉が通じる」という最低限のラインに立てただけとはいえ、恐らく相当ショートカットできたのだからお礼を言わない理由はない。
司書達は意外そうな反応ではあったものの、すぐにニヤリと笑うと「期待しておこう」と言った。
さて、言葉がはっきり通じるようになったからにはライに改めて感謝を伝えなければ。ギルドカードも名前だけじゃいい加減寂しいし、更新しよう。
そして何より魔法だ。いよいよチュートリアル編終了、って感じだな。
図書館から出た俺は異世界感溢れる街に改めて一歩を踏み出すのだった。