2 攻勢
俺は祈りながら俺は財布の口を開け、そのまま上に放り投げた。小銭がぶちまけられ、陽光にきらめく。
「グギャ…?」
小鬼の片方が訝しげな表情で足を止めた。もう一匹はチラリと小銭の方を見つつもあまり興味のない様子だ。手にまだ武器を持っている方の小鬼である。警戒心が強いのか?
しかし、小銭が倒木や石に当たって微かに金属音を響かせると、俺に迫っていた小鬼も俺を一瞥すると反転して小銭を拾いに行ったようだ。俺程度ならいつでも殺せるみたいな態度だった。
「好奇心旺盛、というよりは…もしかして硬貨を認識してる…?」
だとしたらコイツらは人と交渉するだけの知能を持っているということか?…バカらしい。人と見れば見境なく襲ってくるような魔物のようだし、悪く思うなよ。
俺に背を向けて小銭の方へ歩く小鬼に背後から飛びかかり、学ランをロープ代わりにして首を締め付けた。
「ゲッ!?」
小さく呻いた。コイツは細いが筋肉質な肉体をしているようで、俺の力では勝負をつけるのにやや時間がかかってしまいそうだった。
「くっ…まずい…」
ゴブリンの片割れはまだこちらに気付いていない。しかし少し顔を上げれば気付いてしまうだろう。なけなしの小銭を拾い集め終わるまでそう時間がかかるとは思えない。
子供程度の体重はある上にもがいている小鬼を持ち上げ続けるのもしんどくなってきた。そもそも疲れ切った体なのだ。
無理だ、そう諦めかけた途端、小鬼が何かを落とした。
錆まみれの短剣だ。
両手で学ランを引き剥がそうとしているらしい。まずい、意外と力が強い…!
短剣を見て息を呑む。命がかかっている状況とは言え、明確に命を奪う刃物で生き物を刺すということには忌避感があった。相手が人でなくとも、だ。いつでも殺せるよう、地面に小鬼を押し付けその背中にまたがったが、俺にできるのだろうか。
自分の命を奪おうとした相手にそれは甘い気がするが、平和ボケした日本人をなめるなよ。
「悪く思うなよ、だ!」
だが俺は次の瞬間には心臓があるだろう位置を目掛けて小鬼の背中に短剣を突き立てていた。
小銭を拾っていた小鬼が顔を上げたのだ。
咄嗟のことながら一応浮き上がった肋骨を避けるようにしたためか、少しの抵抗感ののち刃の半ばほどまで突き刺さり、そこで止まる。感触的に、胸側の肋骨に阻まれたのだろうか?
「ギギャアア!!」
断末魔をあげ、手足を痙攣させる小鬼。しかしそれを眺めている暇はない。
無事な方の小鬼が断末魔もかくやという絶叫を上げて飛びかかってきているのだ。一応凶器になり得そうな手足の爪は命はともかく俺の戦意を奪うには十分だろう。
そして戦意を失えば怒りに任せて組み伏せられ、生きたままあの鋭い牙で食いちぎられるのだ。
…挫けてきた。だがやるしかない。死んだら死んだでそれまでではあるが、せっかく魔物がいる世界なのだ。魔法の一つでも使えなければ死んでも死に切れまい。
まず俺は短剣をどうにか引っこ抜き、次に学ランを拾い上げた。この二つが俺の最後の生命線なのだ。
「らあああああ!」
気合いとともに俺は学ランを振り回した。バッサバッサと。音を立てて揺れる黒い布に小鬼が一瞬ひるんで足が遅れる。勿論そんな隙を狙った行動など俺にできるはずもないので、学ランを広げたまま小鬼に迫り、あと一歩というところで奴の顔に投げ、横を通り過ぎる。すれ違う瞬間、わずかに爪が掠って鋭い痛みが走る。だが、これで倒すと決めた以上覚悟していた痛みだ。
視界を奪われた小鬼が狼狽えている。背中に前蹴りを加えてから馬乗りになり、いつの間にか止めていた息を吐き出した。
「ど、どうにかなったか…」
と言ったものの、まだ相手は生きている。逆転されないためにはこの短剣を使うのが早いが、体を切り裂く感触と出てくる血はできることなら見たくない。今すぐに襲ってくる外敵がいるわけでもないのだから、首を締めて殺すことにした。
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「……うぇ」
そういえば人間が死ぬと全身の筋肉が弛緩して排泄物が垂れ流しになるというのを聞いたことがある。殺した後すぐに少し離れたところの倒木に座って休んでよかった。
近くの地面とかに座ってたら…やめよう。考えるべきじゃない。
ひとまず右も左もわからないためその場で途方に暮れていると、10分ほど経っただろうか、後ろからおそらく人の声と、数人の足音が聞こえてきた。枝が踏まれて折れる音がする。
ゴブリンが来た時の状況と似通っているためわずかに警戒するが、すぐに警戒は解かれた。視界に入ったのが魔物ではなく人間であったためだ。
…彫りの深い顔と体格のいい体に、皮鎧とおそらく長剣らしきものを背負ってはいたが。