1 手のひら返し
俺は男である。それも誇り高き侍の国、日本で生を受けた漢だ。
日本には「男に二言はない」という言葉がある。要するに男であれば一貫した姿勢を貫くべし、ということだが、であれば俺は女になるにやぶさかではないとここに誓おう。
「神様っ!頼むっ!見ているんだろ!?俺にチートをくれ!チートがない異世界転移なんて味噌のない味噌汁だ!」
チート主人公を毛嫌いしていた俺は今、恐らく小鬼と呼ばれる何か二体(二人?)に追われながらチートを切望していた。情けない。
そもそも最初に語ったように、歴とした日本男児たる俺が小鬼などという明らかなファンタジーの産物から追われているのは何故か、数十分ほど前に遡る━━。
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「…ここは…?」
冷たい空気と硬い床の感触に不快感を覚えながら身を起こす。真夏の朝のベッドの上とは思えない環境は寝惚けた俺の頭にもわずかな違和感を与えた。
辺りを見渡すとそこは白い石材でできた円形の空間の真ん中であり、規則正しく並ぶ石柱が見て取れる。
これが明晰夢でなければ恐らくはドッキリか何かだろう。いくら夏休みで暇だからといって高校生でしかない友人にこんなことができるかと言われると甚だ疑問ではあるが…。
改めて現状を確認すると、どうやら教会のようなものであることがわかった。祭壇らしき階段状の物と、そのさらに奥にある二重丸を背負った女神像のようなものがあるため、大きく間違ってはいないだろう。
なぜか学生服姿ではあったが友人の悪ふざけであることに疑いはないため、俺は友人達が顔を出すのを石柱の一つに寄りかかって待っていたが、なかなか現れない。狼狽える様を見れていないからだろうか?
「……いくら待っても俺はこれ以上面白い反応をする気はないぞ」
以前近くの真っ暗な防空壕に寝間着姿のまま放り込まれた時と比べればパニックになる要素は皆無と言ってもいい。どうやらそれを理解したらしく、祭壇に向かって左右にあるうちの右側の出入り口からペタペタと足音が聞こえてきた。
まさにやれやれ、ってやつだ。嘆息しつつそちらに足を向け━━ペタペタ?
「(俺ですら靴を履いているのに裸足…?)」
何か良からぬことでも考えているのだろうか、なんとなく嫌な予感がした俺は即座に反転していつでも逃げられるようにした。濡れてもいいように水着になった友人が水風船を投げてくる…いや、豆腐やクリームパイを投げてくるかもしれないとすると学生服ではまずいのだ。
果たして腰を落として待ち構える俺の前に姿を現したのは━━緑色の肌に黄色く濁った目、尖った耳と爪を持ち腰巻だけを身に付けた小柄な、いわゆる小鬼であった。
「な…っ!?」
予想とはかけ離れた異形の出現に焦って一瞬頭が真っ白になる。ハリウッドと友人が手を組んだのと異世界に召喚されたのとではどちらが確率が高いか━━など考えるだにアホらしい。
修学旅行でイギリスに行く途中に遭難して善良なる緑色の先住民に介抱されていたという答えに落ち着いた俺は、いきなり逃げるのも失礼かと向き直ってコミュニケーションを試みた。
「せ、センキュー、ソーマッチ…ああっと!」
「グギャア!」
にこやかに精一杯の発音で感謝を伝えようとすると彼等、いや奴等は手に待っていた何かを投げつけてきた。幸い10mほどの距離があったために当たらずに済んだが…。
「介抱してくれてたわけがねえよな!原住民だとしても介抱だけはねえ!」
恐怖を吹き飛ばすようにそう叫ぶと俺は背後の出入り口から飛び出した。どうやら祭壇とは逆、つまり左のほうに廊下が続いているようだ。
「次点でハリウッドだったとしても逃げさせてもらうぜ!怖すぎんだよ!」
俺の醜態を見て爆笑するアメリカ人が脳裏に浮かんだ。…まぁ企画だろうと決めつけて命を落とすよりは全米を笑わせるほうがマシだろう。
まさか異世界召喚されたなんてことはないだろうが、その可能性にワクワクする自分がいるために否定しきれない。
「ということで、ステータスオープン!」
走りながらそう叫ぶと、目の前に半透明の窓が現れ、そこに書いてあるのは俺の名前と年齢、それから職業:勇者の文字━━なんてことは起きるはずもなく。
「だろうな!チクショウ!」
そんな気はしていた俺はそこまでの失望もなく教会の入り口らしき半壊した木の扉を走り抜けたところで思わず足を止めてしまった。
そこには、道に沿って逃げようと考えていた俺を嘲笑うかのように広がる鬱蒼とした森が待ち構えていたのだ。
教会の周りだけは日が差していて、上空にはなにやら巨大な鳥が群れをなして飛んでいる。岩の塊が浮遊しているのも見えた。
「ググァ!」
現代日本ではありえないその光景に一瞬足を止めてしまった俺だが、後ろから小鬼の声が聞こえてハッと我に返り、一目散に逃げ出したのだった。
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そして冒頭に戻る、ということだ。
木や倒木を避けながら逃げていたため、もはや教会のある方向すらわからない。小鬼は体が小さく手足も短いため、森の中を走るには向いていないと思ったのだが、どうやら身のこなしでリーチを補っているようだ。少なくとも森なんて走りなれていない俺よりは遥かに洗練された動きに見える。
チラリと振り返ってまだついてくることに恐れを抱く俺。
ステータスが開けずとも膂力が上がっていたりはしないものか、と拾った石を投げつけてみても何も起こらず。イメージを固めて思いつく限りの呪文を唱えてみても魔法は出なかった。
「ぜぇ……はぁ…っ…はぁ…!」
なにより、日本にいた頃のままの運動不足気味の体がすでに悲鳴をあげていた。見た所変化がないと考えると生き延びなければなんらかのチートをもらっていても確認ができないようだ。
そしてついに俺は、何度目かもわからないが足をもつれさせ、体勢を立て直すことができずに転んでしまう。
「…!!」
喉が渇いていて声も掠れて出なかった。
小鬼との彼我の距離は━━まだ余裕はある。が、十秒もすれば奴等はここに辿り着いて俺はおそらく死ぬことになるだろう。
どうにか起き上がりながら俺にできることを考える。奴等のリーチならば長い枝でもあれば一方的に攻撃できるが、そう都合よくそんなものは落ちていない。
今の俺の持ち物は学ランの内ポケットに入っている生徒手帳、胸ポケットのボールペン、そして財布だけ。スマホでもあれば音楽を流して投げて注意を引くようなこともできたかもしれないが、あいにくうちの高校は携帯を持ち込むのは禁止されていたから、学ランに入っていなくても仕方ない。
起き上がるとどうにか再び走り出す。小鬼との距離はさっきよりも近付いていて、次に転べば…。
浮かんでしまった恐ろしい想像を振り払い、俺は学ランの上着を脱ぎ、片手に抱えて走る。
「小鬼が好奇心旺盛でありますように」