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大和桜の舞う頃に  作者: 有佐アリス
第一章  慰みの檻
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第五部 「慰檻の手械」 2

    Ⅰ



《宮崎県日南市南郷町》


 肌寒い二月中旬の朝、伊織は変な汗をかきながら目を覚ました。

 不愉快な夢と記憶が蘇り苛立ちながら汗でぬれた身体をタオルでふきながら電気ストーブのスイッチを入れる。一度、部屋を出ると洗面台に向かう。

 半年前までは菜月とアリシアと伊織の三人暮らしだった広いこの家もいつの間にか住人が増え、部屋不足を感じるほどになってきた。一カ月ほど前から居候するようになったドイツ人の少女に加えて新居が決まるまでと言う条件付きでイギリス人の少女まで住み着いている。


 それだけなら伊織は問題ないが、心の底では榮倉大和の存在が懸念だった。

 今まで過ごしてきた時間を考えれば無害であることは間違いないが彼女の経験が人畜無害をそう簡単に肯定させない。

 いつ獣のようになるか分からない。

 彼を信じるか?

 信じてなどいない。菜月は全面的に信頼しているようなので彼にそれを認知させないように信用を偽装しているだけで伊桜伊織自身は彼をまだ信じることができてない。だからこれまでも彼の考えのほかに別の案を影で考えていた。


 だが、これまでそれが役に立ったことはないがそれでも良いと思っている。

 そのようなことを考えないといけないと思うと非常に不愉快な朝だった。

 洗面所の入口の横に付けられたカレンダーは二月十日を示していた。

 恋する乙女たちの大イベントが近づいていることに気付くと一階から甘いにおいが充満してきた。


「菜月ちゃんか」


 この家の恋する乙女代表の名前を呟きながら収まらない苛立ちを必死に抑えようと洗面所に入った。

 誰もいないと思っていた洗面台にいたのは亜麻色の髪をした小さな少女だった。


「イオリ? かおいろわるいけど、どうしたの」


「少し変な夢を見ただけだよ。ごめんね」


 洗面台の鏡に映る険しい表情をした自身の顔を無理やり動かす。

 桜の顔は見透かしているようにも、何も感じ取っていないようにも見えた。

 必死にいつもの顔を作ろうとするが鏡に映る自分はまるで良く似た他人を見ているかのように険しい表情で余計に不愉快になる。

 取り繕って伊織は顔を洗う。

 冬場の冷水のおかげで少しは険しい表情も和らいだ。


「桜ちゃん。朝ごはんはもうできているの?」


「ナツキのおみそしる」


「そっか」


 それだけ言って寝癖の付いた髪を整えて自室に戻って高校の制服に着替える。

 今日は伊織が最後のようなので少し急いで身支度を整えるとカバンと携帯を持って一階のリビングに下りる。

 リビングに近づくにしたがって強くなる甘い匂い。

 扉を開くとこの家の女性陣全員がいた。

 ふと榮倉の姿を探したが、いつもいる椅子やソファの上にはいなかった。

 こんな朝には居ない方がうれしい。


「おはよ。大和くんは?」


「一時間前くらいからランニングに行っていますよ。やっとギプスが取れて走れるようになったからって言って」


 菜月が結と一緒に朝食を作りながら答える。

 榮倉が負傷した年末から一カ月以上が経ってギプスも取れてランニングが許されるようになったのは昨日のことだ。スポーツマンである榮倉が無茶をするとは思えないが、すぐにランニングを始めるあたり、さすがアスリートと言ったところだ。

 インドア系の伊織は感心しながらいつもの椅子に座る。


「そっか」


 一息吐きながらテレビに見入る。

 今日も《戦人》に関する情報が中心で楽しくなるようなニュースは見当たらなかった。


「治ったばかり何で本当は休んでほしいんですけどね」


「頭より先に身体が動くタイプなんじゃない」


 いつもは冷静ぶっているが彼の感情的な部分はフィリピン、ロシア、フランスのすべてで見た。


「兄さんってずっとそうなんですよ。冬なのに汗のせいで見ている方は暑苦しいし」


「まあそうかもしれないですけど……」


 顔を赤くする菜月はまさしく思春期と言った感じだ。

 恋愛感情と伊織にはずっと無縁なものだった。男性に対する尊敬や敬愛という感情の前に恐れのような感情が先に来る。

 思考順序がそうである以上は伊織が恋愛感情を覚えるのははるか先のことだと自分で結論付けていた。

 だが、菜月のように一途に好きと言う感情を表に出せることを少しだけ羨ましいと思った。実際にも榮倉のようなビジュアルで性格も良い男であれば多少汗臭くても、過去のような生臭い男よりは云百倍も良い。

 そんなことを考えた瞬間に伊織は自らの思考を疑った。


「……。なにを思っているんだろ。わたし……」


 伊織の呟きは誰にも聞きとられていなかったようなのは救いだ。

 一瞬でも誰かを信じても、身を預けてもいいなんて思うなんて自分はバカなのかとまで思った。

 寝起きの瞬間よりも不愉快だ。

 イライラする思考に割り込むように。


「イオリ、あさごはん」


「……あ。ごめんね」


 伊織は無理やりに笑顔を作って出された食事に手を付ける。

 正直、桜が何かを察しているような気はする。

 彼女のことなので口に出すことはないだろうが年下に見透かされているというのは気恥ずかしい。

 じぃ、と桜は伊織を見ながら朝食の鮭と味噌汁、ごはんの和食セットを頬張る。

 やはり気にしているのは確実だ。


「な、なんか、食べづらい……」


「味でもおかしかったですか?」


「そういう訳じゃないんだけどね……」


 単純に桜の視線が気になるだけだ。

 年下の純粋な目はたまに事態を見透かすことがあると身を持って知った。

 これ以上見つめられるのも嫌なので別の年下に矛先を向けることにする。


「ところでさ。朝からあまーい匂いがしたんだけどねぇ」


「ぎくっ」


 菜月が真っ先に反応する。

 同時にソファの上のアリシアも反応した気がしたが勘違いだろう。アリシアは榮倉ほどでないにしろ料理がうまくない。


「なななななななななな、なんのことですかねえええええぇ」


 誤魔化せてないが、誤魔化しながらテレビのチャンネルを変える。

 国営放送と違う放送局のニュース番組は四日後に迫ったバレンタインに向けた特集だった。

 完全に自爆した菜月は耳まで赤くしながらテレビを消す。


「そ、それより匂いってどこから……」


「チョコレートの? それなら家じゅうに漂っているよん♪」


「っっっ!!」


 これはあかんヤツや、と伊織が思った時にはすでに菜月は行動していた。


「換気ぃぃぃぃっ!!」


 二月の冷たい空気など気にすることなく菜月はリビングの窓を一気に開け放った。


「……。」


 寒い。

 二月上旬ということでまだまだ朝は寒い。

 伊織は寒さに身震いしながら後悔する。

 いじるんじゃなかった、と。

 そんなことを考えながら伊織は朝食の味噌汁を一口飲んだ。


「温かい」


 いつもの数倍は暖かいと感じる味噌汁を味わいながら寒いリビングで朝食を食べた。

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