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大和桜の舞う頃に  作者: 有佐アリス
第四章  赤銅色の二重奏
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第四部 「赤銅の航海者」 31

    Ⅰ



 船の煙突から黒煙が上がり榮倉の乗る『紀伊』が動き出したのをひしゃげた艦橋から確認したフィウメは後ろにいる一隻の同胞の巡洋艦を見た。

 イタリアのカッコいい女性を絵にかいたような少女は両目いっぱいに透明な雫をためていた。

 戦闘中の勇ましさはどこにもなく今にも泣きだしそうな同胞であり友人であるトレントに全身に刺さったガラス片の痛みでうまく表情を作れないままフィウメは必死に笑おうとした。

 それがまたトレントの表情を悲しくさせてしまうとわかっている。

 わかっていても立ち止まる者は前に進む者たちに前に進むだけの何かを示さなくてはならない。

 フィウメはイタリア語で聞く。


「行かないのか?」


『……。友人を置いて行けるわけないじゃないか……』


 ぽたりと涙が落ちる。


「あんたは本当に優しい奴だよね。私みたいなひねくれ者にずっと付いてきてさ」


『当たり前じゃないか! 私は君のことが好きなんだから!』


 濡れた声で叫ぶトレントはもうこぼれる涙を抑えきれないでいた。

 どこにこんなに涙が溜まっていたのかと不思議になるくらいに溢れる。思いと一緒に溢れる涙雨は思いのはけ口となっていく。


『君がいたから私は付いてきた。君がここに残るというのなら私も残る。そのくらいに私は君のことが好きなんだ。だから、置いてなんていけない』


「トレントも戦場で告白だなんて大胆だねえ……。でも私はノーマルだからそういうのは勘弁してよね」


『そうやって暗い話になるとフィウメはすぐに茶化す……。君の悪いところじゃないかな。きちんと向き合ってほしい。私は残りたい。それを提督に日本語で伝えてくれ』


「嫌だ」


 あまりの即答にトレントは息を詰まらせる。


『ど、どうして……。私が嫌いなのか?』


「違うにきまっている」


『だったら私も一緒に……』


 トレントの気持ちは痛いほど伝わっていた。

 もしもフィウメが逆の状況だったら残ると言っていただろう。だからこそ残ることによって起こるリスクを想像できる。残ればフィウメの生存率は多少上がるかもしれないが、反面で進撃する艦隊の攻撃力が下がることになり、ただでさえ余裕を失っている艦隊には多大なダメージを与えかねない。

 一隻の有無はそれほど大きな影響がある。


「ねえ、トレント……。このままでいいの?」


『このままって私がここに残るってことか』


「違う」


 フィウメは背中を壁に預ける。

 出血が背中の布まで浸透してきているようで生々しい鮮血の跡をつけた。少しでも気を抜いたら意識が飛んでしまいそうなくらいに視界が明滅していた。


「……。威厳のことさ」


『威厳……?』


「このままイタリア艦の弱さばっかり見せていていいのかってことさ……」


 トレントは言葉に迷った。

 ここまでイタリア艦の『フィウメ』と『トレント』は強さを榮倉に見せることができていない。イタリア巡洋艦はここにいたんだという決定的なものを見せられていないことがフィウメの心残りだった。

 最初は自分のためにここに来ることを決めた。それがあの男と関わっていくにしたがって彼に認めてもらう、勝利に導くために、そう考えるようになったころには彼の魅力に取りつかれていたのかもしれない。

 弱いくせに強いふりをしている彼の支えになりたかった。

 主人公の近くにいるヒロインの一人になりたいと、そう願うようになった。


「イタリア人は勢いだけ。戦車も弱い、兵士も口だけ、そんなことばかり言われていた。海軍は違おうとしたが結局のところ顛末は残念なものだったけど……。だけどさ……。今は違う!」


 叫ぶだけで全身に激痛が走り、血が噴き出す。

 意識が飛びそうになるがそれでも鞭を打って叫ぶ。


「今は優秀な司令がいる! だったら行って来い! 私の代わりにイタリア人の誇りを見せてきてくれ!」


『……っ!』


「頼んだよ……」


 トレントはそれ以上何も言わなかった。

 消えていた煙突の黒煙が再び上がり、フィウメの下から離れて行く。




『Che Dio ti benedica(神のご加護を)』




 たった一言。

 それだけを残して前進した。

 赤雲の下で一人だけ残ったフィウメはいつか叶えばと夢見た光景を思い浮かべる。最高の司令官の下で船としてだけでなく一人の女性として幸せになれたらと言う今はもう敵わないと分かっている空想を浮かべる。

 空想を抱いた二十にもいかない少女は呟いた。


「司令……。私、司令の役に立てたかな……」


 問いに対しての答えを期待しなかった。あまりに小さな呟きで壊れかけのスピーカーでは彼のもとまで届いていないかもしれない。

 しばらくは返事を期待したが結局は帰って来なかった。

 もう終わりかと目を瞑ったとき、その声は聞こえた。




『役に……。役に立たなかったわけないだろ!』




 涙ぐんだその声は今にもこと切れそうなはかないものだった。

 しかし、同時に強い意志を感じられた。


『フィウメがいたから戦線が維持できたんだ! フィウメがいたから前に進めた! フィウメがいなかったら! お前がいなかったら今はないんだよ! だから!! お前は最高の人だったよ!』


 衝撃だった。

 フィウメは自身を今まで人だと思ったことはなかった。人の形をした船で《戦人》だと思っていた。だから世間の目に耐えられた。むしろ人であろうと振る舞うつもりはなかったし、人になりたい、いや、戻りたいなんて思っていなかったが。

 なぜかフィウメの瞳からは涙が流れていた。


「……あれ? なんで」


 自分でもなぜ泣いているのか理解できない。

 フィウメは人に戻りたかったわけではないのに何で。

 フィウメはガラス片に映った自分の顔に疑問を抱く。

 何でもなかったはずなのにフィウメの顔は笑っていた。


「なんで……。私、笑っているの……?」


 しばらく鏡の自分を客観的に見てようやく理解できた。口では人に戻るつもりはないと言っていても結局、自分は二十年も生きていない未熟者で自分のこともよく分かっていないのだと、たとえ、戻れないとしても、彼が人として見てくれていたことが嬉しかった。

 こんな船を使う怪物でも普通の女性として見てくれていた。

 それだけでフィウメは幸せだった。


「ああ……。やっとわかったよ司令……。私の夢は司令の……」


 自分で思い浮かべたことだが急に恥ずかしくなってくる。

 女性としての幸せを彼と。

 いずれそうなれたらと思った。

 でも、フィウメはここで立ち止まる。

 未来を預けてフィウメと言う女性の人生は、ここで。


『……。フィウメ……』


「泣いたりしないでね司令……。私はもう〝満足している〟からさ」

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