第四部 「赤銅の航海者」 19
Ⅸ
《ケルト海》
偉大なるフッドと指揮官を失ったケルト海の戦線はかなりの劣勢だった。朝の戦闘開始からすでに50キロ以上は後退しており、明らかに押し返せるような見込みはなかった。理由はいくつか想像できたが、それ以上に戦線の変化が大きかった。
昨日までは砲台艇の防衛範囲内に入らない限り発艦しなかったはずの戦闘機などの航空機が最初から飛んでおり、空母による爆撃が難しくなっている。
「ちくしょう。もう砲台艇の射程内だ! 三キロ後退だ!」
『英国淑女。さすがに早くないか。まだやれるぞ』
『ええ。私たち日本艦隊も下がる必要はないと思われます』
「良いから! 今は被弾してアドミラール迷惑をかけないことだけを考えるんだ」
そして今の状況のもう一つの理由が連携力の低下だ。
後退ひとつで意見が割れる。
「あと紀伊、君の砲弾は補給できないからもう撃つな。時間も時間だし」
すでに時刻は日没まで三時間を切っている。これ以上の砲撃をすれば明日の弾薬に不安が残る。戦艦『フッド』や長門級くらいの砲弾程度なら補給も容易いが紀伊が無造作にばらまいているのは直径51センチにも至る一トン以上の鉛の玉だ。
補給には時間と手間を要してしまう。
今できることは消費量を減らして司令官の戻る明日に不安を残さないことだけだ。
ふと戦線とは反対側を見ればすでに陸が見えていた。おそらくスペインとフランスの国境にある山脈だろう。
『英国淑女。そろそろやばいんじゃないかな』
「そうだな。もう後がない」
今日のところは無事に乗り切ることができそうだが同じペースでは明日には陸に進出してしまう。サセックスを含めた《戦人》には助ける義理はないがはいそうですかと見逃すわけにはいかない。
目を離している隙に新たな航空機の発艦が行われていた。
「大鷹! 信濃! 頼んだ」
『空は私たちに任せてください』
すぐに二隻の空母が戦闘機を出す。
総数にして24機。六編隊を組んだ戦闘機隊はエセックスたちの空を守るには十分な数だ。
ただ現実は違った。
「くそ! 数が多すぎる」
圧倒的な数の利を生かした戦術で押し返される。
『英国淑女! 引くよ! 四キロ後退する!』
「仕方ない……」
『なあ、いい加減、戦艦を先頭にしない。さすがに同じ距離を保っているような特に私たち巡洋艦は強さが出せない』
巡洋艦の良さは中距離での火力だ。戦艦よりも多い主砲投射量は十分な武器になる。
それを使わない手はなかったのだが。そのためには一緒に前線についてくる被弾役になれるくらいの防御力を保持した護衛の戦艦が必要になる。しかしこの場にいる三隻の戦艦には荷が重い。
長門級なら出来ないことはないがここまで火災を何度も引き起こしており、そのたびに消火活動のために後ろに下がっている。これ以上は下がりたくない。
だったら最高の人材はそこにいた。
「紀伊はダメだ。アドミラールとの約束だからな」
『でもさ。状況が状況じゃないか』
『あたし、やるよ。必要ならやる』
「ダメだ。アドミラールの指示だ」
サセックスは頑固に拒否し続けた。
『だったらどうすんの。もう下がるだけの余裕もなくなっているんだよ』
太陽はすでに赤くなって一日の役目を全うしようとしていた。
日没まで数時間を切っている。
その時、榮倉から預かっていた携帯電話にメールが入った。
「港をフランスのブレストに変更する? いったいどういう……」
『意外と鈍感なのか英国淑女。司令は何か策を思いついたんだろうね。だったら今日の我々がやることは分かっているでしょ』
あまりに的を射たイタリア人の言葉だった。
「だな」
「全艦! 後退!」




