第四部 「赤銅の航海者」 11
Ⅳ
《ケルト海》
反転海域突入作戦の二日目は朝焼けと同時に開始された。
明朝に合流した戦艦『長門』と『陸奥』を先頭に八隻に増えた攻略艦隊は広く長い単横陣を形成した。
昨日とほぼ同じ距離をキープすると艦隊の砲が轟いた。
空気を揺るがす日本戦艦の爆音も増え、昨日より十分に砲台艇を押すことに成功していた。
「航空隊、発艦してくれ! 押すぞ!」
了解、と大鷹と信濃の二人の声がする。
「ここまでは順調だね。ただ」
「重々承知しているさ」
戦闘は作戦通りに行く方が珍しい。
どこかで狂う歯車をその場の即興で思い付き、やりきれるかが戦闘での勝敗を左右する。順調すぎる方が不安を覚える。
「フィウメ! 最後方に変化は」
艦内のスピーカーに陽気な声が漏れる。
『ないねー。昨日と全く同じだと逆に恐ろしいんだよねえ……』
「サセックス、そっちはどうだ」
『こっちも変わらねえよ。昨日と違いところなんて火力で押せていることくらいだ。こんだけ押し返しても動きがないんなら反転海域に突入してみたらどうだ』
ロシアでアメリカ軍の『アイオワ』と『ミズーリ』二隻を相手にした日本戦艦のとんでもない火力は想像を超えていた。単純な数字による火力だけでなく命中精度と主砲で撃ち漏らした敵をオーバーキルすることなく撃沈に必要な量の砲弾を浴びせ撃沈至らしめる。
竣工したてのアイオワ級を使用したアメリカ軍が負けるのも当然だ。
考えているうちに『信濃』と『大鷹』の二隻の航空機の発艦が完了した。
『私たちはどこを攻撃すればいいのでしょうか』
「フィウメの狙えないアウトレンジにいる砲台艇だ。そこを潰せればもっと押せるはずだ」
『了解』
上空の航空機が指定した方向へと飛び立つ。後方の『信濃』の航空機も同様に攻撃を敢行する。
「これで僕たちの優勢は更に取れるだろうけど……」
フッドは反撃を相当警戒しているように見えた。
今は出し惜しみをしていない状況だ。全力でぶつかって押せているのだが相手も全力で押そうとしているのかと言われれば疑問の方が多く浮かぶ。
不安とは裏腹に航空機は砲台艇の対空砲火を潜り抜けて直上へ到達、重量500キロ近い爆弾を艦艇に落とした。
水柱が上がり爆音と同時に砲台艇は撃沈する。
陣形を組みなおそうとしている砲台艇だが今回ばかりはこちらの方が数的優位だ。砲台艇が再配置するよりも早く戦艦の三隻が次の一撃を放ち海の藻屑へと変える。
同時に突入できるだけの隙ができる。
『アドミラール! 行けるぞ! 行くなら今しかない!』
「ああ! 十分に退避できるだけの余裕は残しておくように! 全艦『フッド』を先頭に陣形を形成! フッド、行けるか」
「チャンスは今しかないようだからね。僕も覚悟を決めたよ」
『頼んだぞ。イギリス戦艦ここに在りってところを見せてやれ』
真っ先に『フッド』が先陣を切ると遅れて『長門』と『陸奥』が続き、八隻の軍艦が三角形を形成する。守りを優先した攻め方だ。いつでも撤退できるという利点があるが、反面で攻め手を欠くことも少なくない。
「反撃来るよ。気を付けて」
砲台艇の火砲が戦闘開始から二日目で初めて瞬いた。
主砲口径は5インチ、12センチ強で単体としても火力は相手にならない。だが、警戒すべきは数だ。砲台艇の射程内に入ったことで『フッド』は砲台艇の集中砲火を受ける。
艦が大きく揺れ艦橋近くにも爆発はあったがすべて装甲の分厚い『フッド』を撃ち抜く有効弾は生まれない。
直後に『フッド』の火砲が瞬き、反転海域への明確な道が開いた。
迷うことなく榮倉は指示を出す。
「突っ込め!!」
砲台艇は艦隊の進行を阻もうとするが小さな砲台艇と巨艦の軍艦では質量が違う。鉛玉を弾きながら赤く染まった反転海域へと近づく。
砲撃音が鳴りやまない海は反転した場所に近づくにしたがって時化だした。
反転海域はすでに目の前まで迫っている。残り二キロもない。
海域の中がどのような状況になっているかは定かではないが突入のチャンスを逃すわけにはいかない。反転海域と通常海域を分断している赤黒い霧が近づくにしたがって砲台艇の反撃も弱まる。
海の時化具合から見ても全長五十メートルにも満たない砲台艇では転覆しかねないのだろう。
『アドミラール、念のために退路は確保してある! 行くなら急げよ!』
すでに戦闘開始から四時間近い時間が経過している。艦隊の弾薬残量も半分を切っている。これから中枢を目指すのは不可能だが反転海域の中を確認することくらいはかなうはずだ。
榮倉の艦隊がここまで進行したことで海域の進出は止まり戦線の維持という目的は達せられている。
今は一つでも多くの戦果は欲しい。
「行こう。全艦、反転海域に突入する!」
「サー。この我に続けえ!」
エンジンが轟き、船が加速する。
合わせて後衛の艦隊も加速し、一気に反転海域までの距離を一キロ未満にした。
直後だ。
上空を何かが駆け抜けた。
「っ!」
戦艦『フッド』のわずか数メートル横で水柱が上がった。
砲台艇の砲撃とは違う。
水柱の衝撃で全長200メートルを優に超えた船体ががたがたと揺れる。金属のたわむような嫌な音も艦内に響き渡った。
数秒後に船は安定したが上空を駆ける物体が真っ先に目に入った。
「飛行機!」
「やっぱり出し惜しみしていたようだね! 全艦! 対空戦闘用意!! 準備出来次第順次発砲! Shoot!!」
対航空機用に配備された銃座が空に弾丸を一斉にばらまいた。
「信濃! 大鷹! 全航空隊発艦はじめ! 制空権を奪い返せ!」
『分かりました! 我々がいる以上は空を自由にはさせません!』
二隻の空母からすでに甲板で待機していた対航空機に特化した航空機である戦闘機、場合によっては直掩機と呼ばれる航空機が空を埋め尽くした。総数にして三十機。フッドと榮倉が確認できた反転海域から出てきた航空機は十機ほどだ。数的に優位な状況とはいえ艦隊は緊迫した雰囲気だった。
有名なゼロ戦よりも高性能を誇った戦闘機、紫電改二が反転海域からの航空機を的確に撃ち落とす。
黒煙の尾を引き、海面で水柱を上げながら爆散した。
数の利を生かし、次々と撃ち落とす。
先頭の『フッド』と反転海域の雲まで距離は500メートルを切る。
ここからは未知の領域だ。反転海域を目前にして『長門』の対空砲火によって敵機をすべて海に還した。
刹那の間だった。
反転海域の最深部と思われる場所から地鳴りのような轟音が響く。
「なんだ、今のは……」
「地震、なわけないよね」
全神経を研ぎ澄ませて音の正体を見極める。
数刻の後に状況は一変した。
『フッド!! 正面!! 十一時方向だっっ!!』
サセックスの叫びの直後、彼女の言った方向から赤黒い雲を突き抜けた砲弾が姿を現した。
気づいた時にはすでに遅かった。
着弾まで一秒もない。
フッドは赤黒い雲を見つめていると何かあり得ないものをみたような表情をしていた。悪魔に魅入られたように凍り付いている。
「あなたは……B―――」
艦首で爆発が起こった。
オレンジの閃光が艦橋を照らし榮倉もフッドも両手で顔を庇い、目を瞑る。爆風が襲うと艦橋の窓が吹き飛んだ。
「なにっ!? フッド! 伏せろ!!」
慌てて体を地面に押し付け爆風を避ける。しかし爆発の威力は想像を超え、ガラス片は二人の皮膚を裂いた。
電気が走ったような痛みを感じ、思わず傷口のわき腹に手を添えるとおびただしい量の鮮血が付いていた。触った感覚で分かったがわき腹にガラス片が刺さっている。少しでも力を入れると激痛が走る。
不運なことに療養中の左わき腹だ。
ただ痛みこそ走るが命に別状はなさそうだ。気持ちを切り替えてフッドの姿を探す。
「フッド……」
すぐにフッドの姿は見つかった。
駆け寄り、ぐったりとしたうつ伏せになった体を仰向けにすると息を呑んだ。
フッドの身体には上半身全体にガラス片が刺さり、一つが首筋を裂いていた。出血が激しい状態だ。榮倉に医療知識はないに等しいが、できることは分かっている。
近くに下げられていたタオルを手に取ると呼吸に影響が出ない程度に絞める。
白かったタオルはすぐに真っ赤に染まるが出血は明らかに減った。
呼吸はしっかりしているので出血さえ防げば助かる見込みはあるはずだ。
「司令……。ごめん」
フッドはうつろな意識の中で呟く。
「良いから! とにかく戻るぞ。操艦は俺がやるから、フッドはエンジンだけを切らないようにしてくれ」
「了解……」
榮倉はフッドを抱えて操艦室に向かう。本来なら医務室に連れて行きたいが艦内は榮倉とフッド以外の人物はいない。彼女から目を離すわけにはいかなかった。
『フッド! 大丈夫か! フッド!』
「落ち着け! こっちは何とか踏みとどまった。状況を確認している」
榮倉はひびの入ったガラスを肘で割り艦の様子を見る。
被弾したと思われる艦首には巨大な弾痕が残っていた。煤で主砲は黒く焦げ、ぎしぎしと嫌な音を響かせていた。
『フッドはどうした!』
「意識不明だ」
『なに! 大丈夫なのか!』
「すぐにビルバオに戻るぞ! これ以上の継戦は不可能だ」
『ちくしょう! もうちょっとだったのによ!』
撤退に多少手こずったが何とか無事にビルバオまで帰還することが叶った。
艦隊がビルバオに入ったころにはすでに夜になっていた。
被害報告
・戦艦『フッド』 中破
・残り全艦は被害軽微




