第三部 「幽霊船の航路」 11
戦艦『ビスマルク』は津軽海峡にいた。
北を見ても南を見ても陸の見える海峡はスペインとモロッコに挟まれているジブラルタル海峡を連想させる。ジブラルタル海峡よりは広く陸も遠い場所ではあるが、あの場所を連想させるには十分な場所だった。
北海道は冬にはあまり青空が見られないと聞いたが今日はからっとした晴空が広がっており甲板に積もった雪を溶かしてくれていた。
ただ、雪は解けるが外は非常に寒かった。
白い息を吐きながらつい一時間前のことを思い出す。
「シャルン……。ごめんなさい」
たった一人の大親友との決別がありビスマルクは傷心のまま目を瞑る。
函館に入院している榮倉の見舞いにビスマルクとシャルンホルストは行った。ビスマルクとしては艦隊を仕切ってくれた義理だけでシャルンホルストに付いてきたが、シャルンホルストは別に目的を持っていた。
それを行く前から薄々感じ取っていたビスマルクは彼女を引き留めるいくつかの口説き文句は考えていた。
病室で会った榮倉大和は想像以上に重傷だったようで全治三カ月もかかるとのことだ。
少し申し訳ない気持ちもあったが結局は一戦限りの関係だ。
これからビスマルクには関係のないことになる。
そのはずだったが。
唐突にシャルンホルストは黒髪をなびかせながら訊いた。
「ねえ。もしもこの私があなたのところに行きたいと言ったら受け入れてくれるかしら」
「それって?」
「単純にあなたのところで『桜』のように『国際連合海軍』だっけ? あれの所属になってもいいってことよ。あなたのことだからこの後で『紀伊』をそうするつもりなんでしょうし、戦力がもう一隻増える分には悪いことはないんじゃないかしら」
「ちょっと待って」
誰よりも先に反応したのは他ならないビスマルクだった。
シャルンホルストは会って数日しか経っていない男のために戦うという。何より、毛嫌いされている人間側に立てば後ろから刺されるという覚悟もしなくてはならないだろう。そう考えると背筋が凍りそうだ。
ビスマルクは基本的に確率で選択する。
どの選択の効率がいいか。成功率が高いかで手段を選ぶ。
榮倉との協力も他の脅威(アイオワ級)がいないから許したわけで何より戦艦『紀伊』というピースは対『大和』戦では鍵になった。
「私は反対よ」
「まだ私は何も言っていないわよ」
「あなたがどうしようとしているくらいは何も言わなくても分かるわ」
何とか会話に割り込もうとしている榮倉がいるが彼は割り込む言葉が浮かばずに困惑していた。
それでいい。
彼が割り込めばビスマルクは言いくるめられそうだった。
「あっち側に回ればあなた自身が危険ってことを忘れていないわよね」
「それはどっちも一緒じゃない」
「そうかもしれないけど」
「だったら私の自由にしてくれないかしら。それに私たちが一緒に行動する理由はないのだからこれでビスマルクも自由になれて清々するでしょ?」
「私はそういうことを言っているんじゃないの! 危険を冒すメリットがあるのかという話なのよ!」
「逆に聞くとそっちに残るメリットはあるの」
「そりゃああるわよ。こっちなら寝首をかかれる心配もないし無知な日本人の相手もしなくて済むのよ。それにあなたの好きなスポーツ観戦も自由じゃない」
「確かに魅力的ね」
だったら、と言おうとしたが先にシャルンが言う。
「でも、私はそんな自由はもういらないわ。先に進みたいのよ」
「先にって……」
保守的な考えのビスマルクには分からない考えだった。
シャルンと二人で艦隊を組んでいる間はお互いに自身の贔屓にしているチームの試合観戦をしたり意味のない会話をしたりと当たり前の幸せをいくつも味わってきた。それに対してシャルンは不満があるわけではない。
ただ不変することのない世界ではいずれその時間は破られる。
それが早いか遅いかの問題でその時は来る。
だが、それは今でなくてもいい。
何かが起きてからでも遅くはないはずだ。
だからビスマルクは最後のカードを切った。
これさえ言えばシャルンも考え直してくれるかもしれないと淡い希望を持っていた。
「だったら、艦隊を……。艦隊を解体しましょう……。あなたがそういうのなら私はすぐにでも西に帰るわ……。ここからはひとりでやっていきなさい」
四六時中一緒にいたシャルンに言う言葉としてこれほど辛いものはない。
つまらない口喧嘩をしたことはあっても勝手にしろというようなことは言わなかった。
それは互いに依存していたからで二人が一緒だったからこうしてやっていけた。そのことは互いに理解しあっていた。
だからその言葉はシャルンに対する切り札だった。
だが。
「そうね。いずれこうなるという覚悟は私にはあったわ。そうしましょう」
「え……? 待って! 本気で言っているの」
「もちろんよ。もしかしてこんな時に私が冗談を言うと思ったかしら。それとも冗談の嫌いなあなたはそんなことを冗談で言ったの?」
「いや……」
冗談のつもりはなかった。
だが、本気で艦隊を分断するつもりはなかった。
話の鍵として使うだけのつもりだったがシャルンはその鍵を受け取るだけでなく迷いなく回してしまった。
「どうしてなのよ。ずっと一緒にいたでしょ……。なんで今さら離れようとするのよ。ただ私はあなたが危険な橋を渡ろうとするところをおいそれと見逃すわけにはいかないだけで、シャルンのことが嫌いじゃないのよ……。シャルンは……私が……」
「そんなわけないでしょ! 私はビスマルクを友達だと思っているし、今もそう思っているわ! でも……。世界は不変じゃないの……」
シャルンはひかなかった。
これ以上は何を言っても彼女の答えが変化するようには思えない。だからビスマルクは諦めた。
「勝手にしなさい!」
ばん! と激しく病室の扉を開けると飛び出した。
ただ行く当てのないビスマルクは病室を出た先で立ち止まり、部屋に残った二人の会話に耳を傾けた。
「本当に良かったのか……?」
「良くないわよ。もっとちゃんと言いたかったわ……」
「……。だよな」
「でも、いずれはって覚悟していたから」
これ以上は聞いていられなかった。
自販機の裏に座り無機質な天井を眺める。
しばらくしてシャルンが榮倉と話しを終わらせて病室から出てきた。
「じゃあ、私はこれでこれから頼むわよ」
「ああ」
そう言ってビスマルクのいる自販機とは逆側の方へと歩いて行った。
今なら引き留められるかもしれない、と一瞬だけ考えたが体は動こうとしなかった。
どうするか悩んでいると榮倉が目の前に現れた。
車椅子を慣れない手つきでこぎながら片手に財布を持っている。
「飲み物でも買いに来たのかしら……?」
「……。まあな」
コインを入れて上部にあるお茶を押そうとするが車椅子では届きそうにない。
ビスマルクは嘆息しながらボタンを代わりに押す。
「これで良かったかしら?」
「ああ。さんきゅ」
「それより、本気でシャルンを受け入れる気なの? あの子を受け入れれば余計な風当たりも悪くなるんじゃないの?」
「かもしれないな。でもさ。ペトロの件もあるしいずれはたくさんの《戦人》を受け入れなければならなくなるだろうし、シャルンくらい受け入れられないとやっていけないからな」
「そう……」
少し、少しだけシャルンが彼に付いて行きたいといった理由が分かった気がした。
彼はまだ成長過程だが他の人たちとは一癖も二癖も違う。
今は彼に任せておいてもいいかもしれない。
そう思った。
「ねえ。シャルンのことを頼んでもいいかしら?」
「藪から棒にどうしたんだよ」
「いいから! シャルンのことは頼んだわよ!」
「ああ」
気恥ずかしくなってその場を立ち去ろうとするビスマルクに榮倉は。
「もしかしてシャルンのことを心配しているのか?」
「っ!! けほっ! けほっ! 何でよ!」
「いや何となく」
「そんなんじゃないわ!」
顔を真っ赤にしてビスマルクはどすどすと地団駄を踏むように病院から立ち去った。




