第一部 「暁の水平線に」 5
Ⅷ
《広島県呉市 海上自衛隊呉基地》
8月5日
「喜田……。今日で何日目だ」
海上自衛隊一等海尉の篠田純一はカップのコーヒーの渦を眺めなる。
机の上には呉近海の地図が大きく広げられており、予想捜索範囲と赤く線が引かれていた。海上の風と潮の動きによって犠牲になったイージス艦こんごうに乗っていた行方不明の乗務員たちの漂流予想ポイントだ。
「今日で13日目です……」
「くそっ……!」
カップを叩きつけるように置く。
現在の情勢は非常に不安定だ。日本の危機に対して日本企業の株は売却する動きが多くなり大幅に下落し、比較的小規模とはいえ恐慌状態にある。日本が崩壊していないのは戦艦『日向』が出現以降は一度も攻撃をしてきていないこともあるからだ。
戦艦『日向』自体は現在宮崎県沖合の日向灘を航行している。
目的が何なのかは一切わかっていない。日本やアメリカなど近隣諸国にも一切の情報は入っておらず、無言のまま佇み続けていた。
「お前はどう思う」
「どう思うといいますと」
「戦艦の目的だ」
「あくまでもこれは力の誇示、ですかね。目的もなく行動をしているとは思えません」
「その可能性も否定できんな……。ただ我々にはあの戦艦に対抗できるだけの武器を持ち合わせていない。何より、俺たちは外部の敵より内部の問題の方が山積みだ。任命責任、被害賠償。まさか日本が危機に陥るとここまでになるとは思わなかった」
「はい。基地前には常に報道陣がカメラを構えていますし、ことあるごとに因縁を付けられています」
篠田は頷く。
「仮に力を誇示して奴らに何のメリットがあるのかが問題だ。奴らだってバカではないだろう。目的もなく敵を増やすつもりはないし、あまりに常識が通用しなさすぎるような敵だ」
「まさかイージス艦の対艦ミサイルに耐えるなんて予想できるわけがいですよ。そもそも傷一つついていないなんて、これからハリウッド映画でも作るつもりですかね」
「ハリウッド映画でもこんな展開は作らないさ。まだ、対抗手段の一つくらいはあるもんだろ? それがこっちには一切ないんだ。それどころか今のままでは敵より先に味方に潰される勢いだからな。まだハリウッド映画の方が優しいさ」
「……。」
そうかもしれない、と本気で考えてしまう。
しばらく室内に沈黙が流れた。
自衛隊は結局現在確認されているだけで500人以上の殉職者を出してしまった。戦死者なんて今まで一人も出したことのなかった自衛隊にとってこれは大ダメージになっている。入隊したばかりの隊員の中には不安を覚えるものも多い。
結局のところ自衛隊はいざとなったら見ていることしかできなかった。
歯がゆい思いで広げられた地図を見ていた時、入り口からノックの音が聞こえた。
「誰だ」
「自衛隊呉基地第一輸送班水谷二等海曹です! 海上保安庁からの調査報告書及び人工衛星ひまわりからの映像を持ってまいりました!」
「やっと来たか。入ってくれ」
「失礼します!」
ドアを丁寧に占めながら水谷二曹は持っていた茶封筒を篠田に渡す。
封筒はすぐに開封され、中身にはSDカードと二十枚近くある海上保安庁の調査報告書だった。
「喜田はSDカードの映像を画面に出してくれ。その間に報告書に目を通す」
渡されたSDカードをノートパソコンに繋ぎ、簡単に操作して映像ファイルを開く。
中身はほとんどが写真のようだが、いくつか映像もあった。写真のいくつかを喜田も目を通しす。
ほとんどが不明艦を上空から撮影したものだ。しかし、その画像の中に違和感のあるものが映っていた。あまりにも巨大で他のタンカーが小さく見えてしまうほどの戦艦だが、一枚だけ他と比べるとかなり小さく見えるのだ。映像の倍率が違うのかと思ったがそのようには見えなかった。
「篠田一尉……。この映像の鮮明化ってできますか?」
報告書を読んでいた篠田にパソコンの画面を見せる。
「ああ。鮮明化する分には問題ないが」
「でしたらすぐに映像解析に送ります」
すぐに画像を添付した基地内メールボックスに画像解析の依頼を送った。
衛星画像の解像度なら最優先で処理されれば二十分後には画像が鮮明化された状態で送り返されてくるはずだ。
「何か気になるのか?」
喜田は頷く。
「もしかするとイージス艦こんごうに係わっている軍艦は戦艦だけじゃないかもしれません」
「なに? 詳しく教えてくれ」
「まだ映像解析の依頼を送ったばかりなので可能性の一つに過ぎないんですが戦艦とは明らかに大きさの違う船が一度呉近海に出現しているんです」
「それも戦闘に係わったと言いたいのか?」
喜田はかぶりを横に振る。
「違うと思います。その画像の表示時刻は15時32分です。明らかに戦闘終了後に近づいています」
「なるほどな……」
報告書を読みながら篠田は唸る。
最後の一枚をめくったとき、篠田の手が止まった。
「……?」
「どうやらお前の予想は当たっているかもしれんぞ。海保の報告書にも漁船のものと違う船跡が見つかっている」
「だったら……」
篠田は肯定した。
「もしかするとこの船に何かあるかもしれない。とにかく画像の鮮明化を待ちたいところだが……」
篠田がそれとなくパソコンを見た瞬間にメールが送り返されてきた。
「来ました!」
「すぐに開いてくれ」
パソコンを操作して送り返されてきた画像ファイルを開く。画像は送った時と比べるとかなり大きな差があった。写真に写った船は艦首が雲に隠れて見えないが艦尾に書かれた艦名らしきカタカナ文字が書かれていた。
「……。これは……。サク……? 続く文字は陰になって読めませんね」
「それでもいい。これでハッキリした。これは戦艦じゃない」
「……。」
室内の全隊員が息をのむ。
「これは駆逐艦だ」