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大和桜の舞う頃に  作者: 有佐アリス
第一章  鉄血宰相と幽霊船
46/92

第三部 「幽霊船の航路」 7

    Ⅳ



《オホーツク海》


 一発の砲撃もなく均衡したままの戦艦『大和』と『紀伊』の二隻は占守海峡を抜けた。オホーツク海の端にあるアライト島という小さな島の近くにいた。

 動きがないというのは気持ちが悪い。

 むしろ撃ち合いになっていた方が戦闘としてはやりやすい。ただ『大和』側も『紀伊』の総合力を見極めているのだろうかと思え、自身の射程より離れることも何度かある。実際の『紀伊』の射程は『大和』を下回っている。火力と破壊力を増した分、飛翔距離に限度が出てしまう。

 だからと言ってこのまま均衡状態にはしておけない。

 ここで『紀伊』が一騎打ちを敢行できるのはドイツ戦艦二隻が四隻の軍艦を相手にしているからだ。あちらも総合力では上回っているだろうが、オホーツク海を始めて渡るドイツ艦に対して日本軍艦はこの辺りを知り尽くしているように見える。

 長期戦はこちらが不利になる。

 榮倉はすでに点になろうとしている輸送船を睨む。


「頼むぞ……」


「艦長、そろそろ動かないと島で動きが制限されるよ」


 すでに『大和』は島影に入ろうとしている。

 島の大きさは約15キロ。

 現在の距離は23キロ。

 もしも双方が島のぎりぎりに移動したとすればおよそ十八キロで再び対面する。この距離はどちらにとっても有効射程だ。

 勝負をかけるには早い。


「ぎりぎりまで下がる」


「いいの?」


「リスキーだが時間を稼ぐしかできない」


 榮倉が『大和』を双眼鏡で見た時には艦首がすでに島に隠れていた。


「分かった」


 そういうと艦は対岸の比較的大きい島に寄せる。左への転舵が制限される形になるが、『大和』の砲撃を避けるには必要な距離だ。

 数秒後に見えていた船体が島に隠れる。

 51センチもの巨砲が島の切り目に照準される。

 緊迫した一分ほどの時間がこれほど長く感じたことはなかった。

 そして『大和』の艦首が姿を見せる。


「なに!?」


 刹那、ついに砲撃の均衡が破れた。

 空気を揺るがす戦時中は世界最大と言われた46センチ砲が轟く。

 その距離は約18キロ。


「面舵いっぱい!! 当たらなくてもいいから撃ち返せ!」


 艦橋まで揺れるほどの大砲が火を噴くのと同時に艦が傾く。

 交錯した放物線を描いた砲弾の一発が空中で衝突するという神のイタズラを招き、爆発の熱風によってすべてが空中でさく裂した。


「あぶねえ……」


「艦長、このあとは」


「島に隠れ続ける。一度下がって『大和』がつかった航路を使うぞ」


 右舷を向いたまま撃ち終えた砲塔が回転し左を向きなおす。

 直後に放たれる15センチの副砲が同時に放たれるが双方とも命中せずに水しぶきを上げる。

 二度目の砲撃もほぼ同時だった。

 世界を代表する巨艦の砲撃はこの場のすべての空気を揺らしているような感覚すら受ける。キレイな放物線の末に再び砲撃が交錯する。

 さすがに神のイタズラは一度きりだ。

 全弾がすり抜け、互いの艦首側面と艦尾の甲板を叩いた。

 激しく艦は揺れ、装甲の連結ボルトが弾ける。


「っ! 左艦首の装甲板が欠落した……」


 紀伊の表情が次第に暗くなっていく。対『ペトロパブロフスク』でもあれほど動揺していた彼女が『ペトロパブロフスク』を遥かに凌ぐ巨艦の砲撃を受けて正気でいられるとは思っていない。

 榮倉は黙って虚空にある小さな手を掴んだ。


「大丈夫。不沈艦なんだろ」


「艦長……。あの、ありがとう……」


 弱々しかった手が力強く握り返す。

 ロシアとの状況とは違う、紀伊はジッと戦艦『大和』を見据える。

 艦首の装甲板が欠落したことで同じ場所に当たればよりダメージを受けやすくなるのは誰にでも分かる。左側面は極力晒したくないが取り舵をこれからは切り続けないといけないと考えると一撃で装甲が欠落したのはダメージが大きい。

 艦尾の被弾は対空機銃を数機巻き込んだ程度で済んだから良かったと言える。

 ただそちらも被弾は避けるべきだ。

 何より相手はあの『大和』だ。


「あっちもそれなりにダメージはあるはずだ。慌てずに行くぞ」


 双眼鏡から見える『大和』は右側面に焼け焦げた煤のあとを残していた。装甲を破ることができたかはこの距離からは判断できないが有効なダメージを与えることには成功していた。

 有効なダメージはあるがおそらく航行には影響が出ていない。

 速力の面や砲撃力では若干有利だが、艦歴と言う強さが相手にはある。

 姉妹艦が二十発以上の魚雷に耐えたとなると数発の被弾で食い下がるとは到底考えられなかった。

 実際に動きに大した変化はなく、雄大な船体は健在だった。

 装填の後に三度の砲撃が敢行されたが、砲弾は見事に艦だけを外して海面に着弾する夾叉と呼ばれる結果になった。ただ『大和』の砲の威力は夾叉でも艦を激しく揺さぶる。

 いたるところの装甲板がきしむ音が鳴り響いた。

 艦がきしむたびに紀伊の手に力が入る。

 恐怖心と戦っているのは肌で感じていた。榮倉自身も被弾の恐怖との戦いは精神をすり減らす過酷なもので長くは続けたくなかった。


「次、来るぞ!」


 何度目か忘れるくらいの砲撃が轟く。

 まだ避けられる距離だ。

 そう思って転舵をしようとしたときだった。


「艦長! 前!」


「しまった!」


 小さな岩礁が引き潮によって露出していた。

 転舵すればそこに乗り上げてしまう。島との境目を航行する場合のリスクが完全に裏目に出た。

 榮倉は砲弾の位置を確認する。


「やばい……!」


 背筋に冷たいものが走った。


「紀伊ぃっっ!!」


 地の味がするくらいに叫ぶと紀伊を抱きかかえるように飛びつく。

 刹那、爆風が艦橋を襲った。

 直後に榮倉たちは爆風に押され、体を吹き飛ばされる。必死に紀伊の身体を庇う。


「かはっ!」


 背中を強く壁に打ち付け、肺の空気が一気に抜ける。

 同時に両脇腹に鋭い痛みと重苦しい鈍痛が襲い、遅れて右足首があらぬ方向に曲がるのを感じた。


「がぁああああああああああああっ!」


 身体の三か所にダメージを受け、思考が入り乱れる。

 爆風が止み、ばたりとその場に倒れ込む。腕の中から少女の身体の感触がある。


「艦長! 艦長!」


 紀伊は必死に叫ぶ。

 榮倉の全身は裂けるように痛いが紀伊は無傷なようだ。

 守った甲斐があった。


「大丈夫……とは言えないが、たぶん死なないから落ち着け……」


「で、でも!」


「とにかく、次の砲撃に備えるんだ……。あと被害報告」


 艦橋の真下を捉えた『大和』の砲弾は過剰な貫通を起こして巨大な穴を穿っていた。


「えっと……。主機に影響がある」


「マジか……。最悪だな」


「うん……。出せて半速がいっぱいかも……」


 榮倉は悔やんだ。

 仮に航行中に被弾のリスクより回避のリスクを考慮していれば命中はしていなかったはずだ。小さな動きの差だが、そこを重点的に見ていれば引き潮による岩礁の露出にももっと早く気づけた。

 血反吐を吐きながら奥歯を噛みしめている榮倉を見て紀伊は優しく手を握った。


「……。艦長。大丈夫だよ。あたし、あたしは沈まない船だから」


 微笑んだ紀伊は榮倉の手を自分の胸に寄せる。


「紀伊……?」


「あたしは大丈夫だから……。もう少し、頑張ろう」


 榮倉は大きく深呼吸した。

 全身はびりびりと痛むが少し心が楽になった。

 この場は一人で戦っているわけじゃない。それを改めて実感する。

 あと少し。

 あと少しだけ耐えることができればその時は来る。

 刹那。

 戦艦『大和』の砲撃が轟いた。

 今度はしっかりと甲板を捉えている。




「無理だ……」

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