第二部 「ベーリングロスト」 11
Ⅳ
《東シベリア海 ウランゲリ島沖》
北極海を間近にしたウランゲリ島の南側を航行していた二隻の戦艦は凍えるように冷え切った海域を進む。
悠然と進む二隻を追う船が一隻いた。
14インチもの巨砲を4つ並べ、同じものが2基備えられている。比較的バランスの悪い戦艦は艦首にだけ砲を備えたことによって敗走には不利になるが反して追撃に関しては強さを発揮することは見て取れる。
逃げ切りを図っていた二隻の戦艦の『ビスマルク』と『シャルンホルスト』は諦めるようにため息を吐く。
『シャルン。いい加減、逃げ切るのは無理じゃないかしら? イギリスの設計はバカみたいなものが多いけれど今回に限ってはあのバランスの悪さが功を奏しているわ』
血気盛んなビスマルク級の少女は今にも一発撃ちそうな勢いだ。
というかすでにここまで来るまでに数発撃っている。
「しょうがないわね。やるならあなたに任せるわ」
『いいのかしら。あの艦長に会う前に肩慣らしは必要でしょう?』
「そうかもしれないけど今回はあなたに譲る。それに英国にとってあなたは恋敵のようなものでしょ。いっそ返り討ちにしてきなさいよ」
ビスマルクは笑うと艦を反転させた。
大波を上げて転舵を終えると互いにまっすぐな状態で相対する。
戦闘態勢に気付いた英国戦艦は通信回線を開いた。
気品のある美しい声はまさしく英国の女性と言えるものだった。
『あなたが来ると思っていましたよ。ビスマルク』
『でしょうね。まあこの私が来ても仮にシャルンが来ても結果は変わらないわよ』
『相変わらずあなたが傲慢なんですね。昔から何も変わっていない。Stupid(愚かね)』
『Danke. ただ、あなたとはスペックが違うのよ。いい加減違いというのを見せてあげようかしら!』
戦艦『ビスマルク』に備えられた38センチ砲もの巨砲が火を噴いた。
甲板の有象無象を吹き飛ばす爆風と轟音が響き渡ると英国戦艦の手前で水しぶきを上げて着弾した。直後に倍の砲門を持つ英国戦艦の主砲が轟く。
『私の名前は「プリンスオブウェールズ」です。英国らしく正々堂々と赤銅色の戦艦を倒させてもらいます』
刹那。主砲弾八発のうち三発が甲板を直撃した。一発は着弾と同時にさく裂し右舷の副砲の一発を粉砕するが残りの二発は重装甲を抜けずに弾かれる。
『あなたの推進力はさすがね。一発でこのザマよ』
『今ならシャルンホルストの支援を選べますよ。このまま一対一は分が悪いでしょう』
『悪いわね。シャルンと戦いたいのであれば私を倒さないことには無理でしょうね。まあ倒せたら、の話だけど!』
ビスマルクの前方四門の主砲が轟音を鳴らし、弧を描いて『プリンスオブウェールズ』の甲板を全弾捉えた。砲弾は的確に甲板の構造物を捉え破壊する。
これほどの威力があるとダメージを無視できない。
『……。』
『どうやら優雅に話をする余裕もないようね』
直後に『プリンスオブウェールズ』の主砲弾がはなたれビスマルクの前部主砲を捉え、砲の旋回を停止させる。
『……。あら、それはあなたもではないですか?』
『面白いじゃない』
頬に付いた煤を袖でふき取りながらビスマルクは汗を流しながら笑う。少しの焦りと何よりビスマルクを支配していたのは楽しいという感情だった。スポーツをやるときや贔屓にしているチームを応援しているときのような感覚を得たのは片手で数えるほどもない。
同じ感覚をプリンスオブウェールズも得ていた。
過去の諍いを抜いても入れても彼女との戦闘は心底楽しい。
できるならこの時間が永遠に続けばいいのにと思えるくらいだ。互いの強さを認め、ライバルとして君臨できる。
次の砲撃は二隻とも同時だった。
プリンスオブウェールズの砲弾は艦橋近くに着弾する。
『っ!』
熱風がビスマルクを襲う。
艦橋の破片が額を切る痛みが走り少なくない量の鮮血が舞う。
ビスマルクはよくフットボールを見ているが格闘技はあまり見ない。血まみれになることや殴り合いがあまり好みではないからだ。だが格闘技ファンは世界に多くいて三度の食事より格闘技が好きだという格闘家も少なくない。
この戦闘が始まる前までは分からなかったが少しは格闘家の気持ちが分かった気がした。誰かにやめろと言われて簡単にやめられるものではない。
ビスマルクとプリンスオブウェールズの距離は次第に縮まり数分後には双方の距離は十キロを下回る。戦艦ともなればこの距離であれば必中距離になる。ただ主砲の命中するのかしないのか云々の話ではない。推進力が売りの『プリンスオブウェールズ』はそうするしか能がないから仕方がないが『ビスマルク』は前方の主砲一基をほぼ使用不可能にされ、攻撃の手数が圧倒的に減っている。何より後方の主砲は一切使用できていない。
そもそもこのまま前進し続ければ衝突する。
戦艦同士の衝突が起きれば衝突時に起こるエネルギーは双方の戦艦を沈めるには十分だろう。どちらにせよどちらかが先に動かなくてはならなかった。
『いい加減、デンマークの再現をしてあげようかしら!』
ビスマルクはそういうと後部主砲を右に旋回させる。砲の旋回にはプリンスオブウェールズも気づき逆方向へわずかに転進する。わずかに航路がずれこれだけで衝突の危険性はなくなった。それと同時に双方の舷側が見えるようになり、被弾した場合に大ダメージを受ける危険性が高くなっていく。
『二度も同じことが起きるわけがないですよ? 過去の栄光に縛られているのなら、あなたは自らの栄光に裏切られますよ』
『英国淑女らしいご忠告感謝するわ。でも!』
ビスマルクが面舵を切った。主砲は右を向いていたはずなのでプリンスオブウェールズはそこまで警戒していなかったが、その考えが甘かったことを数秒後に察した。
焦るように副砲を発砲するがしっかりと照準されていない砲弾は無駄撃ちになる。
『……っ!』
いかなる時も優雅、そうであろうと努力するが焦りからか上手く表情を作れない。
数秒前までは正反対の右を向いていたはずのビスマルクの主砲はプリンスオブウェールズが目を離した数秒の間に逆を向いていて今にもプリンスオブウェールズを捉えようとしていた。
『もらったわ』
主砲が合った。
そう思った瞬間。
予想外の方向から主砲音が聞こえた。
『ちょっとシャルン?』
『シャルンホルスト? いったい何を……』
「二人とも時間切れだわ。これ以上のんびりやっていると目的のベーリング海まで間に合わないわ」
『でも! この私が勝てそうだったじゃないの!』
「それより早くしないと彼らがもう行動し始めているのよ」
ビスマルクもプリンスオブウェールズも不満そうだったがシャルンのその一言で気が変わったように砲を収めた。
『そうね。今回はこの私の勝ちでいいわよね』
『本当にあなたは傲慢ですね。ですがこれはあなたの勝ちではないですよ』
シャルンはいつもの二人のやり取りにため息を吐いた。
「じゃあ今回は引き分け……。次回に持ち越しましょう」




