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大和桜の舞う頃に  作者: 有佐アリス
第二章  ネイビー・シンボル
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第二部 「ベーリングロスト」 10

   Ⅲ



《ロシア カムチャツカ地方 ペトロパブロフスク・カムチャツキー》


 紀伊の名前を聞いた伊織はかなり動揺していた。伊織をなだめているとアリサの方から紀伊に会ってみないかと提案され、釣果七匹のところで釣りを止めて小さな郊外の町に案内された。

 しばらく雪が続いており、積雪量はかなりの量になっている。海には今も濃い霧がかかっていて遠くまで見渡すことはできない。現地の天気予報ではもうしばらく霧がかかり続きそうだということだ。

 新雪を踏みしめながらアリサに付いてくると町はずれの港に案内された。


「ここに帰ってくるってキイは言っていたんですけど……」


 きょろきょろと回りを見る。

 約束の時間はもうすぐなので近くにいるはずだった。


「あの。もしかしてあの子じゃないんですか?」


 菜月が海の方から歩いてくる黒髪の日本人の姿があった。

 年は榮倉の妹と同じくらいか少し若いくらいに見える。

 日本人の少女はアリサの姿を見つけるとハーフテールの黒髪をなびかせて目を輝かせたが隣に榮倉たちの存在を気づいてから気まずそう顔を強張らせた。


「えっと……。アリサ……?」


「おかえりキイ」


「アリサ……。その……。この、人たちは……?」


「この人たちは日本から来た人で名前はエイクラさんとタカヤさん、イオウさん、クレアさんよ。あなたに会いたいって」


 そのことを聞いてなおさら紀伊はアリサの後ろに隠れて表情を強張らせていた。


「エイクラ、この人が……。でも、なんで……?」


「話はここじゃ寒いしアリサの家でしないか? せっかく釣った魚もあることだし」


「アリサが、いいなら……。いいよ」


 お母さんの後ろに隠れる子供のようにしながらアリサの方を見る。


「うん。私は構わないからとりあえず帰ろうか」


 優しく頬笑みながら紀伊の黒髪を撫でて手を差し出す。紀伊は手を取ってアリサの自宅に向けて歩いて行った。





 真っ白に染まった街中を歩いてしばらくするとまばらに住宅が立ち並んでいる地帯に入ると土と石で造られたロシアらしい一軒家の敷地に案内された。広い庭には直径十センチ程度の丸太を束ねて作られた小屋が建っている。

 玄関を開けると外国らしく靴を脱がずにリビングまで入る。


「あの、海外はみんな靴を脱がないんですか?」


 土足で上がっていることに困惑している菜月が耳打ちする。


「最近は減っているらしいけどな。珍しくはないな」


「エイクラさんの言うとおりですよ。このあたりじゃ私の家だけになっちゃいました。早く床暖房にしたいんですけどね。今は暖炉しかないんです」


 壁に設置された暖炉はオレンジの炎を揺らしながら小さなリビングを温めていた。


「えっと、お味噌汁を作るんですよね? よかったら手伝いますよ」


「菜月、伊織。頼んだ」


「了解。じゃあ大和くんは黙って待っていること。キッチンへの侵入は禁ずるからね」


 榮倉はため息を吐きながら分かっている、と告げてギシギシと音を立てる硬いソファに腰を下ろした。

 隣にアリシアも座る。

 テーブルの横に備えられている一人用のソファに腰かけるのが紀伊と呼ばれていた背の低い日本人の少女だ。

 学生服のような服装をしており、上に分厚い上着を着ているだけの姿で体育座りのままじっと榮倉を凝視していた。部屋には生活に必要最低限なテーブルや椅子、ソファにベッドと言ったものはあるが料理に使う家電以外はテレビも電話も備わっていなかった。

 アリサは相当な貧困層なのだろう。


「なんか、大変そうだな」


「そのようですね……。この辺りは田舎町ですから仕事も収入も多くないのでしょう。両親も苦悩は少なからずあるかと思います」


 今は仕事に出ているのか自宅には親らしき人物の姿はなかった。

 アリサの妹は学校に行っているのでいないが日頃はこうしてアリサ一人しかいないのかと思うと寂しいと感じた。

 榮倉たちの感想を聞いていた紀伊は体育座りのまま呟く。


「アリサにはお父さんもお母さんもいないの……。アリサが全部頑張っているの」


「え? じゃああの子が一人で稼いでいるのか」


「たぶん……。あたしがここに来たのは二週間くらい前……。だからね……。たぶん、そうだと思うよ」


 世界の貧困層の話は聞いたことがあったが少し日本を離れてロシアに来ただけでこれほどの生活の違いを見せられると世界の広さを思い知らされてしまう。


「だったら尚更邪魔して申し訳ないな……」


「今さらアリサは気にしないよ。それに、あたしと違ってあなたたちは、その……。使用料、みたいなのを払っているし……」


 紀伊はキッチンの方を見る。

 キッチンでは菜月と伊織が美味しい野菜の選び方や魚の捌き方、料理の方法をいろいろ伝授しているところだった。菜月と伊織も新しい妹ができたように楽しそうにしていた。


「あれが使用料になればいいんだがな。それで、聞きたいことはいくつかあるんだけど、聞いてもいいか?」


「その前に……。あなたが、榮倉大和。だよね?」


「ああ。間違いない」


「そう……。あたしたちはあなたのことは良く知っている。むしろ知らない日本の《戦人》はいない、と思う……」


「そこまで有名になっていたんだな。そりゃ少し残念だ」


「うん……。それで、何が聞きたいの?」


「そうだな……。単刀直入に伊織が抱いて疑問を聞く。君は、戦艦『紀伊』なのか?」


 伊織はただの偶然だと言っていたが彼女自身も偶然だとは思っていないだろう。第二次大戦で竣工したのは大和型までであり大和型の『大和』と『武蔵』を含め空母に改装され、フィリピンでも遭遇した『信濃』の三隻までだ。

 空母『信濃』が海に出てからは大型艦の建造どころか起工、つまり建造を始めることすらしていない。


「あそこにいる金髪の奴は軍艦オタクで知らない軍艦はいないと自負しているくらいで、伊織は《戦人》の条件である第二次大戦前後の軍艦じゃないはずだと主張していた。仮に実在するのなら《戦人》の条件は覆るとまで言っていたな。そこのところを含めて答えられるか。聞きたいことはシンプルに二つ。君は《戦人》なのかと君は何型戦艦なのかのこの二点だけだ」


 言葉を濁すかもしれないと考えたが紀伊はすんなりと口を開いた。


「あたしは、紀伊型戦艦……。一番艦『紀伊』……。分かりやすく言えば大和型を基本に設計された超大和型のこと、だよ……。それから、あたしは《戦人》で間違いない。どう? 納得した?」


「こうも簡単に言われると実感が沸かないが……。君がウソを吐く理由が思いつかないので納得することにするよ。そうなれば君の船はどうした? 大和型に匹敵する船を簡単に隠せるとは思えないけど……。ってこの気候は」


 そこまで言って外の気候に気付いた。

 最近は一日中霧が立ち込めていて海の先はほとんど見えない。二週間近く霧がかかり続けている。だとすればこの霧の中に船を隠せば十分なカモフラージュになる。

 アリシアも戦艦の所在を感づいたようだ。


「霧の中、ですか?」


「うん。でもまだ動かせない……」


「動かせないって修理中なのかよ」


「それは……。まだ、教えられない……。あたしは榮倉大和に会うために日本に向かっていたのは事実だけど……」


 紀伊は俯く。


「教えるにはまだ早いってことか。そりゃそうだよな。それからもう一つ聞きたいんだが紀伊、君は――――――?」


 榮倉は最初にフィリピンでアリシアに会った時にされた質問をした。

 相手の意図を掴むためにはもっとも分かりやすく聞きやすい質問だ。榮倉はその答えを持っているが正解はないと思っていた。だから、正解がないのならすべて正解であると言っても過言ではないだろう。

 紀伊の正解を榮倉は待った。


「分からない……。あたしが聞きたいくらい……」


「そうか……。とりあえずは聞きたいことは聞いた。腹も減ったし味噌汁でも食うか」


 まるで引っ込み気味な中学生を見ているような感覚だった。榮倉が知っている《戦人》にそれなりに若い少女はいたが彼女ほど幼い《戦人》は見たことがない。南郷重工造船所にいたシオリもそうだが《普通の人間》と《戦人》の定義は軍艦を自在に操れるか、その一点だけであり人に感情があるように《戦人》にも感情はある。この場にいる紀伊も感情を持っている。

 今はすごく孤独なのだろう。

 だから迷惑になるとわかっていてもアリサのところに身を寄せている。

 だが、榮倉は彼女がどのような経験をしてきたのかは分からない。支えになることができなくても役に立つことはできるはずだと、役に立ちたいと思った。

 この孤独な少女はどうしても一人にさせるわけにはいかない。

 しばらくアリシアも含めた三人は虚空を眺めてキッチンの三人が戻ってくるのを待つ。数分ほど時間が経ったころにアリサが両手に金鍋を持ってきた。


「お待たせしました。あの、ナツキさんが私も食べていいと言っているんですけど良いんでしょうか? 私はほとんど言われたとおりに動いただけなのに……」


「だったらガス代とキッチンの使用料って思ってもらえればいいよ」


「……。」


「それに食べてみたいだろ?」


「は、はい……。あまりこういったものは食べたことがないので……」


 アリサは鍋をテーブルに置いて食器を人数分用意すると伊織が魚の切り身の入った味噌汁を全員に分ける。部屋の中に磯の香りと味噌の匂いが充満し自然と腹の虫が鳴く。


「はい。じゃあアリサちゃんと紀伊さんから先に食べて」


「うん」


「分かりました」


 二人とも初めての食べ物で興味津々だった。

 アリサは箸が持てないので磯の香り漂う魚の切り身をほぐして一口分をスプーンですくうとゆっくりと口に入れた。

 口の中に磯の香りが直接伝わり同時に塩のしょっぱさが絶妙な味を醸していた。何よりゆでたことによって魚のうま味が味噌汁に浸み込んでいていつもと同じ魚とは思えなかった。その味噌汁を味わった二人の感想は同じだった。


「お、美味しい……」

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