第一部 「暁の水平線に」 3
Ⅲ
《広島県呉市 沖合 イージス艦こんごう船内》
7月24日
榮倉の乗ったイージス艦こんごうは呉港内を抜け、あたごの反応喪失地点に向けて呉市沖合を航行していた。
複数の乗務員がモニターに向かっており、それぞれの役割に没頭している。
「砲雷長。こちらはあたごが最後に送信してきたデータです」
乗務員の一人がこんごうの砲雷長にモニターに3つのデータを表示した。胸には武藤と書かれている。榮倉もそのデータを見た。
モニターにはあたごの信号が喪失したポイントの地図が映されており、クエスチョンマークで攻撃してきた艦を表示している。双方の距離は目測で6700キロ。このくらいの距離なら大抵の砲弾は命中する。例え前時代の駆逐艦でも主砲の範囲内だ。
砲雷長が怪訝な顔をする。
「かなり距離が近いな。あたごはこんなに近づかれるまでなぜ気づかなかったんだ?」
今のイージス艦は第二次世界大戦時のような小さな範囲の電探ではなく約400キロ先の敵艦、いや、小さな野球ボールですら探知できるレーダーを備えている。例え海中で潜航していたとしてもこれほどの距離まで近づかれるのはあり得ない。
しかし、現実は違う。
「わかりません。これが発見時のAWSの索敵結果なのですが。これは……なんと言いますか……」
奥歯に物が挟まったように歯切れ悪く武藤は乗務員全員にデータを見せた。
砲雷長はデータを見て不信感を抱きながら告げた。
「海の底から出てきたって感じだな」
「はい……」
「もしかすると、ステルス性能に長けた潜水艦という可能性が……」
「いや」
砲雷長は武藤の意見をすぐに否定した。潜水艦というには明らかに水面に出てきた後の反応が大きすぎる。
まるで、一つの島のように巨大な反応だった。そんな巨大な船が水深100メートルもない海中に潜航していればどれほど静かに動いていても必ず反応は出るはずだ。それが出なかったとなれば突如海底から現れたという突飛な結論に至っても仕方ない。
「どこの国にもこれほど巨大な潜水艦を造っているなんて情報はない。それにステルス性能に技術を持って行ったとなればこれほど巨大な兵装は搭載できないはずだ。あたごの受けた砲弾は推定30センチ以上の巨大なものだったな」
「そうです。一足先に海上保安庁のボートが確認しました」
武藤は手に持ったタブレットを見る。
「となれば、主砲の口径は少なくとも30センチはある。そんな巨大な主砲を積んで潜航するなんて考えられない」
「そうですね。だとすればどういうことなのでしょう」
「わからない。だが、とりあえずやつを追えば何かわかるだろうな」
そういうとイージス艦こんごうの索敵マップを指差した。
マップには未確認の反応が一つあった。
「榮倉! 未確認艦を見つけたぞ!」
「了解!」
索敵担当の砲雷長が荒々しく声を上げた。
砲雷長の声を聞いて周囲の乗務員に緊張が走る。
今までシミュレーションでは何度も訓練をしていたが実戦はほとんど経験がない。
榮倉はマニュアルに則って画面を操作する。
「速力16ノット。距離24キロ」
「遅いな。俺たちは30ノット。あっちは図体のせいかかなり鈍足にみえる」
しかも、この距離になってもまだ気づいたという反応はない。
「どうします。追いますか?」
本来の目的はあたごの状況確認だ。ただ、先に海上保安庁がある程度の確認は済ませてあることは先ほどの報告で分かった。
それならば、選択肢は一つだ。
砲雷長の決断も同じだったようだ。
「追うぞ。距離はこの状態をキープしていこう」
「了解。では――」
頷くと榮倉は未確認艦に目を向け、動き出した直後だった。
けたたましい警告音が鳴り響いた。ほんの一瞬にして室内は赤い警告メッセージで埋め尽くされた。艦内の乗務員全員の心臓は激しく脈打つ。
「未確認艦より砲撃を確認!! まっすぐこちらに偏差射撃されています!!」
乗務員の一人が声を荒げた。
「すぐに着弾予測を出すんだ!」
砲雷長が苛立ちを見せながら声を上げる。
イージス艦内からキーボードを叩く音が響き渡る。
着弾予測はすぐに出た。
「予測地点でました! 外れます!」
声を上げた乗務員にはわずかに安堵の色が見て取れた。
「よし! このままの速度で砲弾を回避! すぐに主砲及び巡洋ミサイルを装填!」
激しく声を上げる。
その頃には敵砲弾がそばに来ていた。
「来るぞ! 衝撃に備えろ!」
激しく海面を叩く音が鳴り響き、大きな水しぶきを上げてまるで雨が降ってきたかのように艦上に降り注いだ。直後に砲弾の波で艦がわずかに揺れる。
「砲雷長! 次来ます!」
マップにはすでに4発の砲弾がこちらに向かっていた。
「なるほど。弾着観測射撃か」
「感心している場合じゃないぞ榮倉! 予測地点を出すぞ! このままじゃあたごの二の舞だ! しっかりしてくれよ!」
マップに出た予測コースは四発とも直撃コースだ。
どうやら、未確認艦の補正能力は相当のものらしい。
「速度を20ノットまで減速! 舵を右に!」
砲雷長がそういうと隣で操縦桿を握っている航海長に向けて艦内放送で指示を出す。
「機関減速! 面舵いっぱい!」
すぐ後に艦が小さく揺れわずかに速度が遅れる。すぐに船体も右に動く。マップ上に映った射線の予測もずれモニターから警告メッセージが消える。
「砲雷長!! ダメです! すぐに機関全速にしてください!」
乗務員の一人が声を荒げた。
榮倉がその意図を聞こうとする直前、4つの砲弾のうち1発が前部装甲をかすめ着弾し、大きな水しぶきを上げた。
「あっぶねえ……」
乗務員たちはホッと一息つく。
「それより、さっきのはどういうことだ」
砲雷長は先ほど大きな声を上げた乗務員を見る。
彼は冷や汗をだらだらと流しながらモニターに一つの映像を映した。
「魚雷か!!」
しかも旋回後のコースに向かっている。
「なんだと!」
全員の表情が再び焦りに変わる。
すぐに砲雷長は別室の航海長に指示を出す。
「右舷より魚雷接近! すぐに旋回を中断! 機関全速!」
慌ただしい声を聞いて艦内に焦燥の色が漂っていた。
直後だった。再びけたたましい警告音が鳴り響く。
「再び砲撃を確認しました! 着弾予測します!」
2発の砲弾がこちらに向かってきていた。
「直撃コースです!!」
「やばいぞ! これじゃ八方ふさがりだ!」
このまま航行していたら砲弾の餌食になる。だからと言って減速すれば魚雷の射線に入る。さらに、これ以上速度を上げることができない。左に抜けるという選択肢があるが右旋回でわずかに艦が右を向いているので着弾までに間に合わない。
榮倉の心の中、いや艦内全員の心をかきむしられるような焦燥感が襲っていた。
このままじゃあたごの二の舞だ。
一つの判断によってこのイージス艦に乗る200人以上の命が左右される。
だらだらと流れる汗が思考力を鈍らせる。
そう思っていた時だった。
「砲雷長! 主砲準備できました!」
乗務員の一人が叫んだ。
「主砲……?」
それを聞いていた榮倉の頭の中にシミュレーション時に一度だけ試したことのある映像が流れた。
その時はぎりぎりで失敗した。
ただ、ここで死ぬわけにはいかない。
榮倉は首から下げているペンダントを握りしめる。
「やるしかない!」
「おい榮倉! なにを!」
「何とかします!」
榮倉は冷や汗を額に流しながらキーボードを操作して砲塔を回転させる。
砲撃の着弾まであと5秒前後。魚雷の直撃までは8秒といったところだ。それだけあれば十分間に合うはずだ。主砲は海面を向いていた。
「榮倉! 勝手に撃つつもりじゃないだろうな! そんなことすれば厳重注意なんかじゃすまないぞ! やめろ! 下手すりゃ除名だって―――」
「大丈夫ですよ」
榮倉はどこまでも冷静にそういうと再びマップに目を移した。
こんなところで死ぬよりはよっぽどマシだ! まだ死ぬわけにはいかない。
艦が激しく揺れ速度を上げ右に舵を取り始めた。
「榮倉!」
報告の直後。砲弾2発のうち1発が海面に着弾した。
大きく深呼吸をする。
「落ちろ」
刹那のうちに主砲の発砲音が艦内に響き渡った。