第二部 「ベーリングロスト」 1
*
《ロシア チュクチ海》
日本の最北端の択捉島よりもさらに北上したロシアとアメリカを分かつベーリング海峡のさらに北部にあるチュクチ海は氷点下を遥かに下回る気温の影響もあって海は完全に氷結していた。厚さ三十センチ近くはある巨大な氷の塊は半端な船を簡単に沈めるほどのものだ。
空は常にねずみ色をしており青空が見られる時期は限られている。
オーロラすら観測できるほどの気温の下でベーリング海峡へと南下する船があった。
本来、こういった凍結した航路を進むにはまず氷を砕くための削氷船を潜航させるなど進行する船自体が氷を砕くために艦首を頑丈に作るなど対策を講じるものだがかの船は対策など立てていなかった。
強引に氷を砕きながら突き進む船は全長300メートル近くを誇り全幅40メートルの巨体はまるで一つの島のような感覚すら覚える。
白亜の大地を食い破り航路を残しながら巨大な船は進撃を続ける。
荘厳な船体に見合うような巨大な砲台が備えられていた。
この船を一言で表すなら『戦艦』だ。
雪が吹きすさぶ寒空の下で戦艦の司令部施設、艦橋にいた一人の少女は冷え切った室内で凍えながら一点を凝視していた。
ハーフテールに結われた黒い長髪をした少女は赤色のマフラーを首に巻き、今にも泣きだしそうな声で告げた。
「あたしは、沈めないの……」
視線の先にいたもう一つの船に備えられた砲が少女の乗る戦艦を向いていた。
一瞬、オレンジの火炎が瞬いたと思った直後に15キロ前後の距離から放たれた砲弾は美しい放物線を描いて戦艦の数メートル手前に着弾した。
着弾した箇所の氷が砕け散る。
「邪魔、しないで」
少女がそう告げると戦艦に備えられた前方に六つ、後方に三つのすべての主砲が視線の先にいる船に向けられた。
それに合わせて艦橋内のスピーカーから若い女性の声が聞こえてくる。
『ようやくその気になってくれたね』
カタコトでまだ日本語に慣れていないような印象だった。
少女はその言葉を受け流し問答無用に9門の主砲を撃ち放つ。
火山の噴火にも似た激しい地響きと轟音が響き、主砲の向けられた右舷の氷を爆風だけで砕いた。海面がへこむような途方もない熱量によって放たれた九つの砲弾は放物線を描いて目標の数メートル先に着弾した。着弾した箇所は完全に氷がバラバラになった。相手の放った砲弾を遥かに超える主砲威力は一目瞭然だ。
『оспади(ウソだろ)』
驚愕の声がスピーカーから漏れる。
さらに続けて副砲までも放つ。
『すごいけどこちらも諦めるのは業腹なんだよ』
副砲の30発近い砲弾は次々に相手の船を捉える。
うちの1発が甲板の構造物を捉え巨大な穴を穿った。
『Огонь!』
直後に再び主砲が瞬いた。
しかし弧を描いている次の砲弾は完全に少女の乗っている戦艦から照準がずれていた。明後日の方向に向かった砲弾はチュクチ海に浮かぶ高さ20メートル近くある氷山を撃ち抜いた。
貫通した砲弾の穴を中心に氷山に亀裂が入る。
ドミノ倒しのように一つの亀裂はまた別の亀裂を生み、次第に巨大な亀裂に姿を変えた。
スピーカーからは勝利を確信した声が聞こえてくる。
『прощайте(さようなら)』
刹那。地滑りを起こしたように氷山の一角が轟音を響かせて崩れ出した。
数トンはある大量の氷と雪の塊が海面を激しくたたく。その影響は決して少なくはない。海水は押し上げられ同時に猛烈な勢いの津波と化して少女の乗る戦艦を襲う。それがただの津波なら軍用の戦艦が簡単に沈むとは思えないが津波には崩れ落ちた氷塊も交じっている。大きいもので重量100キロにも及ぶものも少なくない。氷塊が船腹を激しく叩き、頑丈な戦艦の腹に亀裂を作り出す。
津波を真っ向から受けた戦艦の艦内は激しく揺れていた。
しかし少女は動じることなく船に体を揺らされながらも一点だけを見据えていた。
艦内にまで船腹に備えられている増設バルジのボルトが弾ける音が聞こえてくる。300メートル近い荘厳な船は右に左に揺さぶられ続け今にも転覆しそうだった。
それでも少女は悲しそうな表情をしたままで一点を見ていた。
「あたしは……。沈めないの……。たとえ沈みたくても……」
直後に最大の一波が船腹を襲った。
甲板を覆いかぶさるように波が襲いかかる。大型のタンカーやフェリーでも簡単に沈没してしまうような大波を真っ向から受けた。
だが、少女の言うとおりになった。
波が去り少しずつ収まるとねずみ色をした船体が再び姿を現した。
戦艦はギシギシと嫌な音を立てているもののほとんど目立った損害はないように見えた。全体的にダメージこそ受けたが今後の航海に影響があるほどではない。
言葉通り沈めない船だった。
ここに不沈艦在りということを世界に証明する形となった。
『《Unpersonator(不沈艦)》……。冗談じゃないよ。いつの時代になってもイェポンスキー(日本人)はどこまで異常なんだよ! 大和型じゃ飽き足りないのか!! こっちはあの手この手を使っているのに君たちは常に力押しだ! 悪いがこれ以上は無益な戦いをするほどロシア人は愚かではないんでね!』
直後にオレンジの閃光が瞬くと主砲から黒煙を吐き出した。
砲弾は戦艦に当たりはしなかったが動きを制限させるには十分だった。
声は悪態をつきながらも冷静な声で最後に告げた。
『しかし君と戦えたのは誇りにするよ。私の名前は「ペトロパブロフスク」ガングート級戦艦二番艦だ。君と違って時代遅れの戦艦だが君と一戦交えて生き残れたことは永遠の誉れだ。いつかまた会える日を楽しみしているよ「紀伊」』
紀伊と呼ばれた少女は一点を凝視したままでペトロパブロフスクが雪中に消えるのを確認した。雪が強くなりだしこれ以上の追撃は紀伊にも影響が出るレベルのものだ。最初から追撃する気もなかった紀伊には判断はすぐに決まった。
たった一人の戦艦は戻ろうとしていた。
自分の故郷に




