第一部 「暁の水平線に」 25
Ⅳ
《広島県三原市 広島空港》
8月19日
榮倉と東京へ行ったついでに迎えに来た菜月は空港で落ち合った。
一緒に住むと言い出した結は転校手続きなどの様々な作業が残っているため宮崎に来るのは9月になってからとなる。今日は部活で見送りには来られないがしばらくすればまた会うことになるだろう。
搭乗手続きを済ませ機内の客席にすわり、一息ついた。
「最近は飛行機に乗ってばかりですね」
手荷物を棚に直しながらそういう。
「そうだな。来週も防衛相に行かないといけないし、長距離を移動する派遣社員の気分だよ。正直、飛行機は疲れる」
「そうですよね。あたしたまに耳が痛くて寝れないときありますし」
棚に荷物を置くと菜月も席に座る。
「あれって気圧が変化するかららしいな。治し方はいくつかあるみたいだけどたまに頭がくらくらするらしいから気を付けるんだぞ」
「分かってますよ。それより大和さんの妹さんまで一緒に暮らすことになるとは思いませんでしたよ。部屋は十分空いているから問題はないんですけど大丈夫なんですか?」
「あいつ決めたことは頑固に突き通すところあるからな。まあ近くに居てくれれば心配事も減るし俺は問題ないんだが菜月たちこそ良かったのかよ」
「妹が増えるみたいで全然いいですよ。それにアリシアさんはもうちょっと同い年の子と仲良くしてもらいたかったのでちょうどいいですから」
「そうなのか」
話しているうちに機内にシートベルトを締めるようにと案内が出た。
黙って聞いているうちに飛行機は離陸した。
数分間のシートベルト着用時間が過ぎると上空で案内が消える。
「悪い、ちょっとトイレ行ってくる」
榮倉は席を立って後部にあるトイレに入った。離陸する前に行っとけと自分でも思っていたが用を済ませて席に戻ってくると窓から夕陽が差し込んでいた。
その夕日を浴びながら菜月はぐっすりと眠っていた。
純粋でまっすぐな少女は小さな寝息を立てて子供のように無邪気に寝ていた。どこか、懐かしい雰囲気を醸し出していて自然と笑みがこぼれる。
「ああ……。桜月に似ているんだ」
空港に着くまで結局菜月は目を覚まさなかった。
正直菜月の寝息と寝顔を見ていた榮倉も寝てしまいそうだった。
空港に着くと荷物を受け取ってロビーに歩いた。
何もかもが懐かしいと思った。
榮倉がこの街を去ってからほとんど変化していない。
「あの先に出ていてください。ちょっと……」
「ああ、分かったよ」
意味ありげに言って菜月はどこかに行った。
天井からぶら下げられていた表記を見てすぐに分かった。
「トイレか」
ここで待とうかと思ったがこの懐かしい光景に榮倉は自然と足が進んだ。
一階のラウンジ、階段に植木と変わっていなかった。
いくつかの記憶も蘇る。
この場所でやったこと起こったこと何を思ったか感じたか。
こみ上げてくるものを抑えて榮倉はラウンジを出てバス乗り場にある椅子に座ろうとした。だが、その横に置かれている石碑をみてそれを止めた。
昔はなかった。
『空港火災慰霊碑』
13年前のものだ。
榮倉がまだここに居たころの事件。
石碑の下には火災で亡くなった人たちの名前が丁寧に掘られていた。
山村 祐介 (52)
柏木 浩司 (33)
早川 美咲 (22)
小城 和弘 (21)
梶川 睦美 (41)
田沢 萌絵 (25)
三池 由理子(32)
清水 正和 (48)
吉崎 玲子 (63)
江原 翔 (20)
安斎 ひとみ(43)
菊池 利夫 (74)
小野 咲 (24)
勝地 祐 (60)
山崎 信吾 (22)
沖波 桜月 (12)
唐沢 なつみ(44)
尾上 春樹 (43)
上は74歳から下は12歳の18名の名前があった。
榮倉はその中の一つの名前をなぞるように触った。
沖波桜月
トイレから戻ってきた菜月は空港火災の慰霊碑の前で佇んでいる榮倉の姿を見つけた。すぐに声をかけようとしたがしんみりとした雰囲気にすぐに声をかけられなかった。夕日に隠れて彼の表情は良く見えないが良い感情には思えない。
結局榮倉が先に声をかけてきた。
「戻ってきたか。じゃあ、新しい家に行くか」
Ⅴ
《宮崎県日南市南郷町 栄松島》
11月16日
8月30日。
榮倉大和はこの日を持って連合海軍所属一等海佐となった。
もちろん設立を発表後は賛否両論が飛び交った。ただ、脅威を無視できないという共通意識から3カ月という時間と共に論争の渦は落ち着いていた。
航海演習を終え、榮倉は戻ってきて早々に熱烈な出迎えを受ける。
「大和くーん! おっかえりー!」
最初こそは懐いていない子犬のような感覚だったが次第にこうして抱きついてくるまでになった。彼女にどんな心情の変化があったかは知らないが大変、困ります。
適当にいなしてアリシアとも他愛もない会話をすると菜月のいる通信室で『アイオワ』の情報を話すと夕飯の希望を聞いて薄暗い部屋を出た。
「ではお気をつけて」
報告を終えて自宅に帰り妹の結と一緒に買い物を済ませる。
結は今までは広島の学校に通っていたが榮倉が宮崎に転属されるのと一緒に宮崎県内の学校に転校した。最初は慣れない街で戸惑っていたが今ではすっかり馴染んでいるようでたまに結の友達が自宅に遊びに来ていることもある。
結と自宅に戻り菜月と伊織を含めた三人で今回の任務の話を終えたころアリシアと結が風呂から上がってくるところだった。
「ほんじゃあたしと菜月ちゃんはお風呂行ってくるから大和くんはご飯の準備しててね。あ! でも一切料理に手を出さないこと! 大和くんの暗黒料理は食べたくないから!」
「分かってるよ。いいからさっさと風呂行って来い」
「結ちゃん! 絶対にキッチンに大和くん入れないでね!」
「任せてください! キッチンは守って見せます」
結は頭に乗せていたタオルを盾のようにしてキッチンを守って見せる。
榮倉の料理の腕はとんでもなく悪いのでこの家ではキッチンにすら入らせてくれない。
「まっかせたよー! ほいじゃ! いおりんはさっぱりしてきまっす!」
それだけ言って伊織は風呂のほうへ消えて行った。
「じゃあ、私も行ってきますね」
菜月があとを追うように立ち上がる。
「いってらー」
菜月を見送るとさっきまで伊織が寝転がっていたソファに腰かけるとリモコンでテレビの電源を点ける。ゴールデンタイムだけあって番組はバラエティ番組がほとんどを埋め尽くしていた。
特に観たいものもなかったのでちょうどやっていたサッカー日本代表の試合でチャンネルを止めた。
「にしても相変わらずサッカーの人気は落ちないな」
ぼそっと呟く。
「海上の空は危険ですが陸上の空は比較的安全だから移動にも支障が出ないからだと思います」
「……ああ、そうかもな」
独り言のつもりだったので返事が返ってきて驚いてしまう。
「2年後のロシアワールドカップも予定通り開催するみたいだし、選手たちにとっては目標が無くならなくてよかっただろうな」
「はい。ただアジアの大会? は日本チームがどうしても海上上空を通らないといけないので今後開催しないみたいです」
「へえ、よく知っているな。もしかしてサッカー好きだったりするのか?」
「好きと言うほどではないですが気になるチームはあります」
「ガンバ大阪とか?」
適当に言ってみる。
「いえ、イングランドのチームです」
意外だと思いながら榮倉は続けて聞く。
「もしかしてチェルシー?」
「よく分かりましたね。その通りです」
「実は一カ月前の広島出張の時に試合を録画予約し忘れていたのに録画されているからだれか観たのかと思ってな。それに、俺が観てる時ほとんどリビングに居るからな」
「そうでしたか。今後は隠れて観る必要もないですね」
「ああ、一緒に応援しようぜ。というか隠れていたつもりなのかよ」
こくりと頷く。
そのあと無言のままサッカーの試合に見入って日本が先制した直後に結が声をかけてきた。補足する必要もないと思うが榮倉もアリシアと同じチームのファンだ。
「ちょっとお兄ちゃん。皿を並べるの手伝ってよ」
「お、できたか?」
「うん。さすがに菜月さん指定のドリアは冷凍食品だけど、はい、これ運んでね」
キッチンの横のスペースの食器置き場に菜月指定のチーズハンバーグ、伊織指定の魚、ブリの刺し身にアリシア指定の肉、もといサイコロステーキと大皿にサラダが用意されていた。
どれもおいしそうな出来栄えで見ているだけで食欲をそそる。
榮倉は美味しそうな料理に腹を鳴らしながらテーブルに並べていた。
並べ終わる頃に菜月と伊織が風呂から上がってきた。
「良いお湯だったー。お、晩御飯出来ているじゃん」
「伊織さんも菜月さんも座ってください」
「んじゃ食べましょうか」
伊織と菜月が食卓に腰かけるとソファでテレビを見ていたアリシアもテーブルについていた。榮倉もすぐに食卓に腰かける。
「それじゃあ、いただきます」
榮倉がそういうと菜月たちもいただきます、と言って料理を食べだす。榮倉もまずはサイコロステーキを一つ食べる。
「旨いな。今日も良くできてるじゃないか」
「お兄ちゃんじゃないからこれくらいは当然だよ」
「それはけったいなことで……」
戦闘直後は慌ただしくて余韻に浸る暇などなかったが、今はこうして当たり前のように食事ができているのは少なくともあのフィリピンでの戦闘で生き残ったからで、それだけで戦いに意味は得られた。
大切な人に言われた。
『大切なものを守りたいのなら強くなりなさい』
榮倉の人生を変えたひと言であり、その人物がいてこその今がある。
たその人のことを思い出すとたくさんの楽しい記憶と悲しい記憶があふれてくる。そんな大切な人を想って榮倉大和は思った。
「少しは強くなれたかな……。桜月」
榮倉は食事を終えていつもの散歩に出かけていた。
リビングには菜月、伊織、アリシアの三人だけだった。結は自室で宿題をしている。
何の気なしに菜月はテレビを眺めていたがふとアリシアが声をかけてきた。
「あの菜月さんは榮倉さんのことが好きなのでもよね? 尊敬しているとかそういうのではなく男女の好きなのですよね」
思わず直球な質問に心臓が大きく跳ねる。
「なっ、どうしたんですか!?」
「好きなのですよね?」
ずいと迫ってくる。
突然すぎて素直に頷いてしまう。
アリシアはそうですか、そうなのですね、と何度も呟いていた。
そして、もう一度考え込むように黙る。
「な、なんか怖いんですけど……」
神妙にアリシアは考えていた。
そして、何か結論に達したようだ。
「私、もしかしたら……」
そこまで言ってアリシアは躊躇した。
顔を赤くして。
どこぞのネットのようにふぁ? という感じで首をかしげる。
「いえ何でもないです」
絶対に赤面していると思われる顔のままアリシアはリビングを出て自室に戻って行った。
二人のやり取りを見ていた伊織はさりげなく菜月にとって爆弾発言をした。
「あれ? もしかしてアリスちゃんも大和くんのこと好きになったんじゃないの」
典型的な終わり方だと思うが。
菜月は全力で。
「ええぇぇぇーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!?!?」
Section1 END To the horizontal line of dawn




