第一部 「暁の水平線に」 21
Ⅴ
《フィリピン海 ルソン海峡》
8月7日0時15分
機関室に戻る通路の途中で榮倉は機関室に誰かがいることに気付いた。
「榮倉さん?」
後ろにいたアリシアを手で動かないように制する。
「動くな。状況が分からないからアリシアは別ルートで行け」
「そ、それなら私が確認を」
「ダメだ。俺が行かないと警戒される。アリシアが行くんだ」
「……。」
「大丈夫。アリシアなら大丈夫だ」
「……。分かりました……。私はあなたが心配なのですよ……」
最後の呟きは榮倉には聞こえなかった。
アリシアは踵を返して別ルートに向かう。残った桜と榮倉は甲板に出た時と同じルートで機関室に戻る。
暗くわずかな明かりしかない換気口を通ると機関室の電気が付けられていた。
明るさで目をくらませたがそこに伊織と菜月とは別に三人の男の姿が捉えられた。
「やはり君だったか。榮倉大和くん」
中央の男は不敵に笑いながら告げた。
とっさに腰の拳銃を抜こうとしたがすでに冷たい銃口が榮倉に向けられていた。
促されるように拳銃から手を離し、三池忠久の目を睨む。
「ずいぶんと荒っぽい出迎えだな。あんたがこの船を今まで指揮していたんだろ?」
「そうだ。よく分かったな」
「分かるさ。だから簡単にここに戻れた」
「ふん。面白い男だ。まあ要件はいくつかあるがまずは礼を言わせてもらうよ。君のおかげで空襲を回避できた。その操艦技術と状況の判断能力には頭が上がらないよ。君ほどの人材だったら我々と来るなら特別待遇で出迎えるぞ。金に困ることはないし好きなときに休むことができてほしいものは全て手に入る。どうだ? こっちに来る気はないか」
三池は手を差し出す。
「金に困らず欲しいものがすべて手に入るのか……」
実際今までの生活でお金が余ったことはない。榮倉が学生時代に借りていた補償金に家族の養育費から出た借金。いくら自衛隊の曹長であってもそれをすべて返せるほどの余裕はない。家族には不自由をしてほしくないという理由から無理もできない。
欲しいものが何でも手に入るなら苦労する必要はないだろう。
「大和さんはそんなものには興味ありません! 帰ってください!」
「君は少し黙っているんだ。今私は彼と話をしているんだよ」
「菜月ちゃん。気持ちは分かるけど、抑えて」
「……。でもっ」
憤りを抑えられない菜月をなだめる。
「菜月。君の言った通りだ。俺は目先の金なんかに興味はない。不自由の生活なんてもんは必要ない。欲しいものが全部手に入るような甘ったるい生活なんて必要ない。俺はただ人間らしい人生のレールを走れればそれだけで十分だ」
「……。チッ」
差し出した手を握りしめて軽蔑の目を向ける。
「お前は何が欲しいんだ。あんたにも欲しいものがあるから生きているんだろ? 行動しているんだろ? あんたは何を求めているんだ」
三池は大きく肩を透かす。
「せめてもの手向けに教えようか。私の第一の目標は『戦争の勃発』だ」
「……。」
言いたいことはあった。
それを榮倉は飲み込んで三池の話に耳を傾ける。
「理由が聞きたいようだな」
三池は榮倉に向かって睨み返すように見る。
「言えよ」
菜月には二人がどこかで共通点があるように思えた。
方向性は全く違うこの二人は似通っている。理由も分からずに本能がそう訴えていた。
「今の日本は平和に甘えすぎている。遠い国の戦争なんて自分たちに関係ないからと関心すら持たない。そこでいくら人が死のうが処刑されようがニュースの数秒間でしか報道されず結局は忘れ去られる。だがその矛先が自分にも影響するとわかった時はどうだ? 喚き散らし弱者という言葉を振りかざして誰かの陰で自分だけは助かろうとする」
「何が言いたい。そんなたとえ話を聞いたんじゃない。お前はなんでそうしたいんのかを聞いてんだよ。今の国民性がどうかなんて話に興味はない」
「そうだな。単刀直入に言おう。私は戦争を起こし、自らの手によって終結させる。それによって私は指導者になる。私は日本人を愛国心溢れる従来の形に戻す。鎖国し、自らを愛したあの時代のように」
三池は両手を広げて笑みを浮かべる。
その目には思い描く理想の世界が映っているのだろう。
「きっかけは13年前だ」
「13年前だと……?」
そこで初めて榮倉の表情が揺らいだように見えた。
菜月の目には彼が13年前と言う単語に反応していると映った。ここまでの話を眉一つ動かさず聞いていた彼が地雷を踏んだように反応した。
「私は妻と海外旅行に行くために宮崎空港にいた。8月30日だ。天気も良く気流の乱れもない。全国的な晴れ模様だった。暑さも十分にあったが当たり前のような一日だった。あの事故が起きるまではな!」
三池の表情に怒りの感情が浮かんだ。
「原因不明の爆発で搭乗ロビーは地獄に変わった! うめき声と肉の匂いが漂う戦場のような地獄だ! 私はその時トイレに行っていて爆発の直撃は避けられたが私の妻は爆発の影響で重体だった。結局十日後に息を引き取った。そこまでは運がなかったものだと思ったよ。巻き込まれた人間は他にもいる。亡くなった人には小学生の女の子もいたと聞いたらまだ私は救われた方だと思っていた。だが! 事故当初は大々的に取り上げられ追悼されていた被害者たちに向けられる追悼の念は次第に消えた。仕舞いにはそれを題材にした書記まで発売される始末だ! 今の日本人は自らの利益のためなら他人の不幸も足蹴にする! だから私は決めた! 日本を変えるために指導者になると!」
そこで三池は大きく深呼吸をすると菜月の方を見てきた。
「君はその頃は子供だったから知らないだろうけどあのニュースは二カ月も過ぎればほとんど流れなくなった。君には大切なものを失う喪失感が分かるか? 家に戻っていつも居てくれた人がいなくなり、愛してくれた人が手の届かないところに行き二度と口をきいてくれないというこの喪失感を味わったことがあるか?」
菜月も五年前に父を亡くした。
家族を失う辛さは分かっている。
だが、恋人、妻という最愛のものを失うという喪失感を知っているかと聞かれて、はいと答えられるほど人生経験が豊かではない。
その時、小さな通風孔から光が発せられていることに気付いた。
定期的に点いたり消えたりしている。
(これはモールス?)
事前にこれを非常時は使うと女性三人で打ち合わせしていた。
だとすればこの発光信号を送っているのはアリシアだ。
『スキヲツクレ セイアツスル』
気づいた菜月は瞬きで信号を返す。
『タイキ キケン』
三池への返す言葉に迷う菜月を押しのけるように三池は続ける。
「だから私はこの気持ち、辛さを知らしめて彼らに救いを差し伸べ新しい日本人を作るんだ! 愛国心にあふれ、慈愛し世界を愛せるような素晴らしい人間のいる日本にする! どうだ? 榮倉くん。これが私のもくて―――」
そこまで言って三池は電池の切れたロボットのように動きが止まった。
彼の表情はその目に映っている世界が果たして本当に現実世界なのか戸惑っているような懐疑的で思考停止しているように見える。
菜月は何事かと三池の見ている榮倉の顔を見て同じように言葉を失った。
「いつまで……」
ぽたりと地面に何かが落ちる。
「いつまで後ろ向いてんだよ!!!!!!」
今まで榮倉大和がここまで感情的になったところを見たことがない。
狂いだした機械はそこを中心にすべてが狂う。同じように崩れた榮倉の感情の渦は一つの単語をきっかけに雪崩のように押し寄せてくる。
榮倉の目からは涙が流れていた。
まるで子供のように感情的になった。
「ぶざけんなよ!! 何が喪失感だ!! 大切な人を失ったことがそんなに偉いことなのかよ!! あんたは結局自分を見てほしいってだけのただの傲慢じゃないか!! そこに国民の愛なんてとって付けただけだ!! ただ自分の思い通りにならないからすべてを否定するだけの大馬鹿野郎だ!! 大切な人がいなくなったならその人に誇れるように頑張ればいいじゃないか!! その人が喜んでくれるように前を向けばいいじゃないか!! その人が願ったようにただ愚直に生きればいいじゃないか!! 自分がこの先死んで、またその人に会えた時に笑顔で再会できるようにまっすぐ生きればいいじゃないか!! あんたはその前に考えることを止めただけだ!! いつまで後ろ向き続けてんだよぉ!!」
胸にぶら下げられた小さなペンダントを握りしめる。
悲痛な叫びに伊織も菜月もそれを通風孔で聞いていたアリシアも言葉にできない榮倉のサッドストーリーを感じていた。彼がどんな経験をしてきたのか分からないが彼と三池忠久は似たような事件を経てきた。
その先で榮倉と三池は別々の結論に至った。
それだけだと思った。
三池が最初に榮倉と自分は似ているといった。
その通りだ。
彼らはそれまで同じ生き方をしていたのだから。
榮倉は三池の考えていることは想像できるといった。
その通りだ。
彼らは同じようなことを経験してきたのだから。
だが、二人は相容れることはない。
それを三人はその場で理解できた。
そして彼をずっと見てきた少女は彼に近づくには自分のことを彼のことを本当の意味で理解しなければならないと思った。
榮倉はあふれる涙を拭う。
しばらく言葉に迷っていた三池は微笑した。
「……。才能はあっても君はまだ若いな」
もう一度だけ涙を拭うと今までの毅然とした表情に戻った。だが菜月は奥にある悲壮感が消えたとは思えなかった。
「そうか。だったらこれ以上話すことはないな」
ジャキ、と腰の拳銃が音を発する。
次の動きまでに一秒もなかった。
「アリシア!! お前は撃つな!!」
パァンと乾いた銃声が響き艦内に血が飛んだ。
榮倉の撃った銃弾は右側にいた男の拳銃を持っていた手ごと撃ち抜いた。
「っ! 安藤! 撃て!」
「この!!」
榮倉は体制を立て直して次を撃とうとした。
だが、運悪く配線されていたケーブルに足を取られた。
「っ!」
背筋が凍る。
アリシアに撃つなと言った以上彼女は撃たない。
彼女はそういったところは従順だ。
そもそも彼女に人を撃つということをさせたくなかった。
最初から撃たせるつもりはなかったので結局自分の運の無さを悔やんだ。
三池が安藤と呼んだ男の口角がニヤリと蔑む。
引き金が引かれる。
そう思った時だった。
別の銃声が聞こえた。
「ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
悲鳴だった。
場所はすぐに分かった。アリシアのいるとわかっていた通風孔が壊れカラカラと薬きょうが転がってきた。
アリシアの発した弾丸は男の拳銃だけを撃ち抜いたがその破片で手は血まみれだ。
「くそ! やはりいたのか!」
続けてアリシアは三池も制圧しようとしたが遅かった。
先に冷たい銃口がアリシアに向けられる。
「バカ野郎! 撃つなって言っただろうが!!」
アリシアは榮倉たちを見る。
その表情はどこか遠くに行ってしまう旅人のようだった。
「……。すみません」
榮倉に怒りの感情が沸いた。
パァンと銃声が響く。
アリシアは血の臭いを感じた。
鉄錆臭い血の匂いがする。痛みはない。
即死だったのかと考えるが違うとすぐに分かった。
これはアリシア自身の血ではない。
「……。何を……やっているのですか?」
アリシアは見えた光景に疑問を浮かべた。
一人の男がアリシアの目も前に立っていた。
パァンと再び銃声。
「ぬぐあぁああああ!!」
叫びは三池のものだった。
何が起きたのか理解できない。
アリシアは頬についた液体を障り確認する。
赤かった。
少し暖かく粘り気のあるこの液体はすぐに人間の血だと確信した。
服を真っ赤に染め掠れるような声で男は言った。
「だから、言っただろ……。俺は自分のためだけでしか動けないって……」
意味が分からなかった。
自分のために動くのならなぜ自分を庇うのか。
「俺はお前を見殺しにしたくないだけだ……。ただの自己満足なんだよ……」
その時、機関室の扉が開かれる音が聞こえた。
アリシアは増援を警戒したが別のものだった。
「悪い! 榮倉くん! 遅れてしまった!!」
その男をアリシアは知っていた。
同じ乗務員の海江田照英だ。
彼は三池の下で働いていると聞いていたが増援に来たという感じには見えなかった。
「海江田さん。なぜ」
疑問を先に伊織が投げかけてくれた。
「話はあとだ。三池たちは僕がどうにかするから君たちは榮倉くんを治療してくれ! 菜月ちゃん! 君しか医療知識はないんだよ!」
突然の出来事に放心していた菜月に喝を入れる。
「……。は、はい!」
アリシアはあまりに衝撃的な出来事に考えることができなかった。
伊織に促されて通風孔から降りるが何をすればいいのか見当もつかない。
「アリスちゃんはしばらく一緒に医務室に行って」
「……。」
「アリスちゃん……」
伊織は返事もしないアリシアを気にしながらも治療作業に移りだした菜月のもとにかけよる。
「菜月ちゃん。どうなの?」
「弾は浅いので摘出できますが臓器に異常がないかが……」
「わりぃ菜月……。世話かけて……」
意識が明滅する。
「ちょっと血ぃ足んねえわ……」
「喋らないでください! あたしはまだあなたに言っていないこと言いたいことがいくつもあるんです! 勝手に死なせはしませんから!」
絶対に菜月は彼を失うわけにはいかなかった。
彼のためにも。
アリシアのためにも。
彼の帰りを待っている人たちのためにも。
そして何より自分のためにも。




