第一部 「暁の水平線に」 2
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時間は戻り、すべてが始まった4か月前になる。
《広島県呉市 自衛隊呉基地前海域》
「ウソだろ!? なんだあれは!?」
海上自衛隊呉基地第二護衛艦隊旗艦イージス艦『あたご』に乗る二等海佐、海塚栄純艦長は目に映った光景に戦慄を覚えた。海塚艦長の乗るイージス艦の前方に全長が200メートルを優に超える巨大な巡洋艦が海中から現れたのだ。
「あれはイージス艦のレベルを優に超しているぞ」
海塚艦長の隣で艦の操縦を行っていた三等海佐海神伸栄も目視した。
浮上してきた瞬間は潜水艦だと感じたがあまりにもサイズが違いすぎる。船体から海水を吐き出す巨大な船は200メートル以上あった。船体の前部と思われる場所には直径30センチ超えの口径を持ったかなり大きな主砲が2本連なっており、同じものが6つも搭載されていた。
「うそだろ。あんな巨体の船が海に沈んでいるなんて……」
200メートルを超し、ステルス装甲も何もされていない船が海中にいれば漁船の魚群探知機でも発見できるような時代だ。そんな巨大な船を発見できなかったことの衝撃も強かったがそれ以上に海塚艦長は目の前に悠然と浮かぶ鋼の船に見覚えがあった。
「まさか……。いや、そんなバカなことがあってたまるか」
海塚艦長は奥歯に物が挟まったかのような言い方をしながら腕を組む。
「艦長……?」
海神はまるで悪魔に見入られたかのように冷や汗を流している海塚艦長を見る。艦長の表情に心が重苦しくざわつく。
荘厳な船体を誇示するように船は動いていた。
「もしかすると、あれは……旧日本海軍の――――」
直後。腹の奥に響くような太い爆発音が炸裂した。
まるで、近くで打ち上げ花火でも爆発したような感覚だった。
目の前の船から聞こえたものだと理解した瞬間、海塚艦長の乗っていたイージス艦が激しく揺れた。島に座礁してしまったかのような衝撃と揺れが乗務員を襲う。
「被弾! 前方甲板に被弾しました!」
イージス艦は大きく揺れ、左に傾く。
乗務員全員に激しい焦燥感が襲う。
被弾箇所を中心に黒い炭をかぶり黒煙が上がっている。甲板からはわずかに火災も発生している。たった一発の被弾で決定的なダメージを受けたのは間違いなかった。
「ちくしょう! 戦争でも始めるつもりかよ! 損害は!」
総毛立つ思いで巨大な船のほうを見ると6つある主砲のうちひとつが海塚艦長の乗るイージス艦に向けられており、主砲からは黒煙が出ている。
「前部砲塔機能停止! 航行には問題ないです!」
残りの主砲も旋回を続けている。
明らかに照準されている。
海塚艦長は血の気が引くのを感じた。
「やばい!! 海神! 全速前進左旋回取り舵いっぱい!」
「了解です! 機関全速! 取り舵いっぱい!!」
海神は手に持っていた艦の舵を思い切り左に切る。
同時に微速で駆動していたエンジンをフルスロットルに変更する。
機関の駆動音が鳴り響き、船体の後部のスクリューが一気に回転を始め大量の泡を発生させて船が動き出す。
と、思った瞬間だった。
再び腹の底に響く太い爆発音がした。
今度は一発じゃない。
「おそかっ―――――」
彼の言葉は最後まで続かなかった。
爆発の熱気と風圧を感じたと思った瞬間、視界は暗転した。
5基の主砲10門のうち三発の砲弾がイージス艦に直撃し、撃たれた砲弾は着弾と同時に爆発音を残して炸裂した。着弾した榴弾のうち一発は甲板を貫き、また一つは艦橋に被弾した。甲板を貫いた榴弾はそのまま弾薬庫まで侵入し、主砲弾を巻き込んだ。
イージス艦は二つに割れ、艦橋は人の生存など絶望的なくらいにひしゃげており、爆発の熱で赤く発光していた。爆発した弾薬庫からはごうごうと炎が上がり、船内に浸水も発生していた。
撃ってきた艦はいまだに反撃を警戒して側面に備えられた主砲と比べれば比較的小さい片舷10門の副砲をイージス艦に向けたままだったが弾薬庫の爆発と艦橋の爆発によりイージス艦としての全機能を失った船からの反撃などできるはずもなかった。鋼の艦は浸水が進み、じわじわと海中に沈んでいく。
沈んでいくイージス艦のさまを巨大な艦の主砲の上で眺めているものがいた。
「安らかに眠れ。同胞」
海上自衛隊報告 7月24日 11時23分 イージス艦あたご 撃沈
同時刻 身元不明の戦艦を発見
Ⅰ
《東京都千代田区 テレビ朝日前》
テレビ朝日の目の前に巨大なモニターが設置されていた。モニターには、関西弁を話す司会とアナウンサーが映っており、昼のバラエティ番組をやっていた。
秋葉原を行き交う人々はモニターの音を聞き流しながら忙しない足取りで歩いている。
『緊急ニュースです』
唐突にバラエティ番組から先ほどとは違う女性アナウンサー一人だけの映像に切り替わった。女性アナウンサーの表情は緊張の色が見て取れる。何事かとモニターに耳を傾けていた人々の足が止まる。
この時はまだ、ここで世界を変えるかもしれない事件の報告だとは誰も予想はしなかっただろう。
『自衛隊のイージス艦・あたごが正体不明の船に撃沈されという衝撃の事実がさきほど海上自衛隊より発表がありました。なお、詳しい状況については12時からの記者会見で発表するということです』
あまり、ピンと来なかった人のほうが多かっただろう。
巨大モニターの前の人々は立ち止まったままざわついているだけだった。テレビの前で見ていた主婦も、軍事に詳しい政治家ですらその状況を一瞬で理解できていたかわからない。
これが戦いのはじまりだとは誰も思わなかったのは確かだろう。
Ⅱ
《広島県呉市 自衛隊呉基地》
榮倉大和はイージス艦あたごが撃沈した情報を海上自衛隊呉基地で知ることになった。
わずか十数キロ先での出来事だった。
「榮倉! 呉基地内にも侵入の恐れがある! お前も緊急配備に就くんだ!」
額に大粒の汗を流した宿舎の寮監が大声で急かす。
呉基地の宿舎は日曜日ということで多くの隊員が残っており、みんな大慌てで着替えをしている。かくいう榮倉も出動がかかっており、半信半疑のまま自衛隊服に着替えていた。
「なあ! これってなんかの訓練なんてオチはないよな!」
榮倉が居候していた部屋の一員の喜田雄平だ。彼の声からは、激しい焦りの色が聞いて取れる。
榮倉と喜田は着替えを終えるとすぐに宿舎を飛び出した。
「そうであったらこっちも両手を上げて万々歳だよ」
心の奥の苦い心情を抑え込み宿舎前で停車しているジープに乗り込む。
ジープに乗り込むとすぐ後に数人の隊員が血相を変えて乗り込んできた。
彼らの表情もいつも訓練に行く時のような感じではない。おそらく、彼らも緊急配備に呼ばれているメンバーだろう。顔を知らないので部署は違うだろう。
「よし、定員だ! すっ飛ばすからお前ら舌ぁ噛むなよ!」
ジープの運転手はそれだけ言うと思い切りアクセルを踏んで走り出す。
宿舎から基地までは3分ほどで着く。
道中の施設では別の隊員が機銃を持っている様子が見えた。
相当な厳戒態勢だ。ただの訓練とは思えない。
「おいおい……こりゃ本格的にヤバい感じじゃないか!?」
喜田も機銃を持つ隊員の姿を見たのだろう。
「そのようだな……」
榮倉の中に入っている情報は数少なく、何が起きているのかほとんど分かっていないが、ジープから見える隊員の重苦しい空気からただ事ではないことが伝わってくる。寮監の言っていた通り、イージス艦が沈没したということなら日本に脅威を与える存在が現れたことになるのは確実だ。
まだ、ニュースでは言っていないだろうがすでに国際問題に発展している可能性もある。
「ん?」
ピピ、という機械音がジープ内に鳴った。音は一つではなく全員から聞こえる。
確認すると自衛隊用の携帯端末にどこに配備すればいいか等の連絡だった。
届いたのは榮倉だけでなく、隊員全員に送られているようだ。
「俺は整備場か。訓練通りだな」
喜田は少し落ち着いたようにパタン、と携帯端末をしまう。
「んで、お前はどこだ? 訓練通り通信部か?」
喜田に聞かれて榮倉もすぐに自分の名前を探す。
複数ある部署の通信部を見るがそこには名前はなかった。
「あれ? 通信部じゃないみたいだ」
「マジかよ! それって」
目を丸くして喜田も確認する。しかし、やはり名前はそこにはなかった。
訓練とは違うということは多少ある。ほとんどは通信部なら司令部など、似通った部署に送られるがその辺りにも榮倉の名前はなかった。
「榮倉曹長……!」
名前を探しているとジープ内の隊員の一人が声を上げた。
「ん? どうした? えっと……」
声を上げた隊員の顔を凝視する。名前を思い出そうとするが、思いつかない。
「代田です。代田明人です。先日、輸送隊に配備された一等海士です」
「ああ、新人か。だから見覚えがなかったのか。それで、どうしたんだ?」
納得したとばかりに榮倉は記憶の模索をやめる。
「実は榮倉曹長の名前を見つけました」
「おお! よくやった!」
榮倉が反応する前に喜田が反応した。
「ありがとう。どこか教えてくれないか?」
「はい。実は榮倉曹長の名前はイージス艦こんごうの『砲雷士』という欄にありました」
「砲雷士だと!? しかもイージス艦だと」
「本当にそこに?」
喜田と榮倉は鞭で叩かれたかのように驚いた。
「確認していただければ確かにそう書いてあると思います」
代田の言うとおり携帯端末を確認すると確かに『砲雷士』の欄にしっかりと榮倉大和の四文字が記されていた。間違いがないように隣には海曹長のエンブレムが表記されている。
「本当じゃないか……お前、砲雷撃訓練ってあれ一回きりだよな」
「そうだな」
喜田の表情は重苦しかった。
確かに榮倉は訓練生の時に訓練は受けた。その時の成績も上位だった。
だが、訓練で行ったのはシミュレーターによる疑似的な訓練ばかりだ。年も若く経験の少ない榮倉を砲雷士に据えるのは素直に驚くしかない。
「どうやら、今の状況で砲雷士に置けるのがお前さんしかいないみたいだぜ。若造」
ジープを運転している男が口を開いた。
70キロ後半で一般道路を運転しながら左手でタブレット端末を投げてきた。それをキャッチするとそこには現在不在の隊員一覧が表示されていた。
「どういうことですかこれは?」
「先輩だからって敬語じゃなくてもいいんだぜ。一応、階級はお前さんのほうが上だからな。それで、そのことなんだが……今、観艦式なんてたいそうなもんが計画されていてな。そいつのために複数のイージス艦と護衛艦を航海させるらしいんだ」
「それでどういうことですか?」
ジープの運転手は素早い手捌きで基地内に入る。
「その計画のために東京で会議があるみたいだ。そいつのためにほとんどの上位階級の奴は向かっているみたいですでに航海中の複数の砲雷長は別だがな」
「ですけど、少なくとも僕よりこの篠田一等海尉のほうが良いのではないですか?」
「ああ、確かにそうかもしれないが。今の篠田は白内障を患っている」
「おいおい……そんな話聞いてないぞ」
さすがに喜田も驚いたようだ。
「だろうな。あの性格だから隠しているだろうからな。まあ、いっぺん医者に診てもらっている以上その診察情報は上層部には伝わっているからな。そのへんもあって砲雷撃訓練で成績のいいお前さんを据えることにしたんだろうな」
「だからといって……」
「そんだけ上も切羽詰まっているんだ」
状況が状況だけに榮倉に砲雷長が回ってくるのもあり得ないことはない。
納得すると唐突に緊張の波が押し寄せてきた。
一大事で上層部も博打に出たものだと思いながら首にかけられたペンダントを握りしめながら緊張を押しとどめる。
大丈夫だ。やれるはずだ。と何度も心の中で念じた。
「着いたぞ!」
運転手の言葉と同時にジープが停車した。
すぐに隊員たちはジープを降りるとそれぞれの部署に向かっていく。
榮倉もすぐにジープを降り、複数の艦が停泊している港の中へと走ろうとした。
「榮倉!」
「どうした?」
「お互い自衛隊初の戦死者なんかにならないようにしようぜ」
グッと野太い親指を突き出してくる。
「この大和桜、散らせるものなら散らしてみやがれってんだ」
頬をわずかに緩め、笑みをこぼした。
ジープを降りるとネームプレートに水谷と書いてある一人の自衛隊員が待っていた。肩には二等海曹のエンブレムをつけている。
「水谷二等海曹です! 船までは私のジープでお送りします!」
両足をきっちり揃えて水谷はキリッとした面持ちで声を上げる。
「たのむ」
水谷の後ろにはさっきまでの複数人乗るようなジープではなく4人乗りのジープが一台停めてあり、そのジープに乗り込んでイージス艦のほうへ向かう。