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大和桜の舞う頃に  作者: 有佐アリス
第三章  哀史の末に
18/92

第一部 「暁の水平線に」 18

    Ⅱ



《フィリピン海 駆逐艦『桜』艦内》


 時間は少しだけ戻って19時00分になる。

 高谷菜月は一人の男の手によって命の危機に貶められていた。


「何をしているのかわかっているんですか」


「何って?」


「とぼけないでください! 船を今すぐ港に戻してください!」


 男はため息をついた。


「そういう訳にはいかないよ。彼のような意志の強い人間は後々面倒になる。彼にはあのまま不法者としてひっそりとしてもらった方が私も安心なんでね」


「ふざけないでください!」


「菜月ちゃんさ。もう少し人を疑うことを覚えたほうがいいと思うよ。人それぞれ考え方が違うんだからさ。裏切るために人を信じさせるような人間だっているんだよ」


「……」


 侮蔑の視線を向ける。

 本来は榮倉大和を座らせる予定だった艦長席に座った男は毅然とした態度だ。


「そんな目で見られても私の考えは変わらないし変えようとも思わない。私は絶対に人を信用しない。利用はしても信用なんて価値のないものは必要ない。君のように足かせになることばかりさ」


 文字通り高谷菜月は裏切られた。

 父のように信頼し、親子同然に向き合ってきた男に。数時間前までは菜月のために尽力してくれたたった一人の男に。

 三池忠久という男の手によって菜月は石ころ同然に捨てられた。


「君の信頼している榮倉大和くんだって一緒さ。彼は私とよく似ているからね。誰かのためになんて動かない。全て自分に跳ね返ってきて利益になるから手伝う。軍艦の艦長を受け入れたのも我々の操艦技術じゃ心配だから。最初に沈没の危機から救ったのもあのまま沈めば死んでしまうから。アリシアちゃんと買い物に行ったのも彼なりに利益があったからだ。菜月ちゃんのように自分の利益を顧みずに命を張れるような人間なんて数えるほどもいないんだ」


 もっともだ。

 菜月だって何の利益もなしに命を張るなんてことはしない。

 人間は命があってこそ悲しむことができ、喜ぶことができる。神でもなければ仏でもない人間には不可能だ。

 だがそうじゃないと菜月は首を横に振った。


「何が違うんだい? 結局人は自分のためにしか動けないだけじゃないか」


「違います。例え自分の利益が優先されてしまっても誰かを助けようとすることは誰にだってできます! たとえ落し物の財布の中身を抜いてから交番に届けてもそれは誰かが困っているからそうした! 罰を与えられるとしても間違いじゃありません!」


「分からないな。その例えなら菜月ちゃんは財布のお金を抜かれても感謝をするということだろ? 罪を犯したことを正当化するのか?」


「正当化なんてしていません。お金を抜いてしまうような悪意があっても少なくとも財布は届けるという善意を見逃してはいけないということだけです。だから榮倉さんが自分に利益があるからあたしたちの手伝いをしてくれることも何もかもあなたとは違うんです!」


 三池は天を仰いで嘆息する。


「どうやら相当君は彼に心酔しているようだね。彼のことになると猪突猛進と言うか一途と言うべきか、そこは私も尊敬するよ」


「あなたに言われてもつゆほども嬉しくありません」


「ずいぶんと私は嫌われてしまったようだね。伊織ちゃんやアリシアちゃんもそうだが最近の若者は自分の心酔しているモノを擁護するばかりで考えることをしない。そいつが白を黒と言えば黒と言い張って思考をそこで停止してしまう」


「だったらあなたは心酔しているモノに対して考えたんですか」


「当たり前だ。私の大切な人はこの世にはいない。彼女を取り戻すことそれが私の考えた結果だ。例えそれがあり得ないことだろうと私はやり抜く。手段なんてものは最初から選んじゃいないんだよ」


 菜月は慎重に言葉を選ぶ。

 彼女も数年前に両親を失っている。親族を失うことの辛さは分かっているつもりだ。だからこそ菜月は三池の言ったことは否定した。


「死者は二度と戻りません」


「……。言っていろ」


 その眼は菜月を蔑視していた。

 数時間前の頼り甲斐のある男の目ではなかった。

 菜月はこの時点で三池忠久とは永遠に分かり合えないと直感した。


「おい。もうすぐ8時だ。いい加減にあの男が追いかけてくるだろうからこの女をあいつのいるところに押し込めとけ」


「はい。ところで三池さん。伊桜の奴がやったケーブルの件ですが」


「分かっている。主砲は諦めるしかないだろ。ただ相手はどうやら潜水艦で向かってきているみたいだしあの男に君たちも教えてもらったんだ爆雷さえあれば何とかなるさ」


「分かりました。ソナー班にもそう伝えておきます」


 艦長席の横に座り菜月を手に握った拳銃で脅迫していた男が艦橋から出るように促す。

 抵抗するという選択肢を持てない菜月は素直に従うしかなかった。

 艦橋の扉を開けて今まで監禁されていた機関室に戻されそうになった直後だ。

 戦闘配備のラッパ音が館内に響いた。


『全乗組員戦闘配備! 戦闘配備! 左舷前方より潜水艦と思われる排水音を確認!』


 艦橋下のソナー室からの連絡だった。

 菜月はそれが榮倉たちだと直感した。


「位置は」


「約5キロです! 完全に行く手を阻まれました!」


「右舷に旋回だ! 当たらなくてもいいから爆雷をぶち込め!」


「了解! 進路はどうしますか? 左舷を取られているとルソン海峡を迂回するのはさすがに難しいです」


「分かっている。こうなればルソン海峡を横断するぞ」


 わかりました、と頷くと指示通りに潜水艦がいたとされる場所に闇雲に爆雷が投射された。暗闇でも海面から水柱が上がった様子が見えた。

 だが菜月は不審に思った。


「潜水艦、再び潜航します!」


 潜水艦の特徴は夜戦での奇襲や輸送船団などの通商破壊といった海の中から隠れて突然の攻撃によって相手を撃沈するものだと伊織から聞いた。だから潜水艦の強さは隠ぺい性の高さと魚雷の威力の高さで決まるとされる。

 実際に最初榮倉が指示した潜水艦との戦闘では敵潜水艦が奇襲を仕掛けてきた。

 船員に熟練度はないにしてもあの時とは状況が違う。

 あきらかに明白に自らの存在をアピールしている。

 必死に思考を巡らせて考えるが伊織のようなミリオタでもなければ戦術に詳しいわけでもない菜月にはそれらが何を意味するのか分からない。進路を変更させるためなのか、単純に操艦ミスなのか、それとも作戦なのかすら分からない。

 菜月はらちが明かないと思った。


「私はここにいても邪魔ですよね。自分の足で戻ります」


「……。勝手にしていてくれ」


 三池は菜月に見向きもしなかった。

 菜月が艦橋を出た直後に舵が右に切られ大きく船も傾いた。


「あたっ……」


 危うく転びそうになりながら菜月は機関室に戻った。

 油と頭痛を誘発するようなボイラーの排出する臭いが充満した機関室には二人の少女がすでに隔離されていた。


「菜月ちゃん。帰ってきたんだ……」


 伊織が真っ先に出迎えてくれた。


「あの海戦術について一つ聞いてもいいですか?」


「別にいいけど何かあったの」


「つい数分前に榮倉さんが乗っているとみられる潜水艦が発見されました」


「ふーん。じゃあさっき舵を切ったのは魚雷回避のためか何かなの? ずいぶんと大げさに方向転換していたようだけど」


「違うんですけど距離を置きたいといった感じでしたね」


 伊織は明らかに不審な顔をした。

 榮倉大和が乗っているか乗っていないかは別にしても潜水艦乗りは基本的に自らの居場所を示すようなことは間違ってもしない。操艦ミスという答えが最初に浮かんだ。

「それであちらは反撃してきたの?」


「いえ、また潜ってしまいました。攻撃は命中していないと思いますがそれからずっと静かなので見失ったのではないでしょうか」


 伊織は数刻の間考える。

 思考を働かせて必死に考える。


「ねえ。菜月ちゃんは知ってる? 魚雷の避け方」


「……? いえ」


 首を横に振る。

 菜月は南郷重工の社長と言う肩書は持っているがほとんど知識はなく高校も卒業していない女子高生に過ぎない。艦隊シュミレーションゲームをプレイしたこともなければ魚雷射程などの詳しいことは何も知らない。


「一番手っ取り早いのは魚雷が来る方向に向かって舵を切ること。左から魚雷が来るなら減速しながら左に旋回。右でも同様。後ろに来たなら進行方向に入らないように舵を切って減速。前は減速する必要はないけど基本的に後ろと一緒。今の魚雷は誘導することができるけど昔の魚雷はまっすぐ進むことしかできない」


「つまり、魚雷の射線に入らないこと、ですか?」


「うん。そうだね。その上で先に潜水艦に発見されたときにやってはいけないことはいくつかあるけど第一に舷側を晒さないこと」


「横を向くなということですか?」


「そういうことだよ。船が射線に縦向きの時と射線に向かって横向きの時の被弾面積はかなり違うでしょ? だから菜月ちゃんの話だとこの船は一番危険な回避をやった。一応聞いておくけど潜水艦との距離ってどのくらいだったか分かる?」


「えっと……。5キロと言っていました」


「だったら尚更だね。そのくらいの距離なら狙えばこちらを撃沈できたはず。それをしなかったとなると目的が違うか操艦ミスのどちらかだけど……。操艦ミスはないよね。たぶん可能性があるとしたら進路を変えさせることかな」


 そう言われた菜月は三池が進路を変更したことを思い出した。


「そうだとすれば潜水艦は間違いなく今度はルソン海峡で何かあるはずです」


 伊織は頷く。


「だとすればあの人の可能性もあるかもしれないね。攻撃する意思がないみたいだし」


「はい……」


 そんな二人の間に入るようにずっと黙っていたもう一人の少女が口を開いた。


「そのひとがかんちょうですか?」


 舌足らずな幼い声の主は亜麻色の地に付きそうなくらい長い髪をした少女は起き抜けの子どものような視線を二人に向けてきた。後に戦人(ばとら)、英語では《Soul ships human》と呼称されることになる少女は知っている者たちに『桜』と呼ばれていた。

 駆逐艦と同じ名前を冠していた。


「その予定ですよ……」


「そう。たのしみ」


 桜はそれだけ言い残すと満足したかのように油臭い床に寝転んだ。


「……。満足したのかな?」


「どうなんでしょうか。ずっと艦長を求めていたことは知っているでしょうけど」


「とはいえ今の私たちはただの邪魔なお荷物。私たちにできることはないみたいだね」


 肯定して菜月は金網を背にして座り込んだ。

 ボイラーの駆動音が室内に響き続けていた。





 ふと腕に付けた時計を見るとちょうど夜の9時を回ったところだった。

 数十分前の戦闘以来はこれといった動きはなかった。

 しかし、状況は突然変化した。

 今夜二度目の緊急配備の警報が艦内に響いた。


『全乗務員戦闘配備!』


「また何かあったみたいだね」


「はい」


 菜月はこの部屋に唯一ある通路から機関室を守る装甲板の上にある小さな舷窓から外の様子を確認した。外は闇夜に染まっておりほんのりと月明かりだけが海上を照らしていた。薄暗く微かに見える水平線上にひとつ大きな何かが浮かんでいた。


「伊織さん。あれ何かわかりますか?」


 伊織に見せる。舷窓から見えるわずかな影はどこか船のようにも見えた。


「水上艦……ではないかな……? 潜水艦? 何で浮上しているんだろ」


 直後に菜月たちの乗る駆逐艦『桜』は舵を影の見える右に切った。

 急激な旋回で体を投げ出されそうになるが必死に取っ手に捕まって踏みとどまる。旋回に合わせて艦上の爆雷が火を噴いた。


「まさか……。あれは榮倉さんの乗っている潜水艦じゃ」


「やばいよ。仮に空気の入れ替えで浮上していたなら再び潜航にかかる時間は10分以上もある!」


 精一杯に顔を舷窓に寄せて状況を確認しようとする。

 水柱が上がった様子が見えた。

 一方的な攻撃だった。

 駆逐艦を奇襲するはずの潜水艦が油断で奇襲される側に回ってしまっていた。潜航する頃には被弾で浮上することなく海の底に向かうことになる。

 刹那。

 見えた影に爆雷と同時に発射していた主砲弾が命中した。

 爆雷もほぼ同時に着弾し、爆発の爆炎によって目標が映し出された。

 その距離はおよそ800メートル。

 そこで違和感があった。


「船、じゃない……?」


 炎に映し出された影はごつごつとしていてどう見ても海上に突きだしたただの岩礁にしか見えなかった。

 瞬きする一瞬のすきに艦内アナウンスが激しくなった。





『機関ぎゃくしぃぃぃんっ!!!! 座礁するぞぉぉぉぉぉぉぉお!!』





 アナウンスの数秒後機関室のタービンが激しくうなりをあげる。

 菜月も最悪の事態を予想した。座礁すればこの広い大海原で孤立する羽目になる。


「止まれ! 止まれ! 止まれ! 止まれ! 止まれ! 止まれ! 止まれ! 止まれ!」


 速力は明確に減速していたが順調に岩礁との距離は縮まっていた。

 無理だと思った。

 駆逐艦はほとんど最大船速に近い形で航行していた。それを八〇〇メートルで停止させられるか。ここは地上ではない。船にはハンドブレーキのようなものはない。摩擦がない分だけ船は減速に時間がかかる。

 距離が100メートルを切ったと思った時。

 舵が思いきり左に切られた。


「きゃっ!」


 想定外のところでの転舵に付いて行けずに体を投げ出される。


「菜月ちゃん! 大丈夫」


「だ、大丈夫です。背中はすごく痛いですけど……」


 涙目になりながら立ち上がる。

 そこで船が停止していることに気付いた。


「まさか! 座礁したんですか!?」


 最悪の事態を思い浮かべた菜月を伊織が冷静に制した。


「大丈夫。ギリギリだったみたいだね。今回だけはあの男にも感謝しないと」


 伊織が観ている舷窓を見ると岩礁が数メートル先で顔を出していた。時より波によって岩礁に船腹が衝突しているのか重い音が数回聞こえていた。


「それより潜水艦はどこなのでしょうか……?」


「こっちには見えないね。こんな浅瀬じゃ潜れないと思うし……」


 そこで伊織は疑問に思った。

 なぜあの岩礁を潜水艦だと思い込んだのか。単純に見間違えた。それにしては単純な間違いをしすぎだ。何よりソナーを使えば岩礁なのか水上に浮かんだ船なのか見分けは点きそうだ。

 ミリタリー好きでも知識の深い部類に入る伊織でも結論は見いだせない。


「ああ分からない……っ! もっと海戦術のこと勉強しておけばよかったぁ!」


 金髪をかきむしりながら頭を悩ませる。

 そのあともしばらく考えたが答えは出ない。

 ふて腐れて頭の後ろで手を組んで寝転がったとき。

 ガコンという岩の衝突とは別の音が聞こえた。


「……? 捨てられたブイでもぶつかったのかな?」


「伊織さん? どうしたんですか」


「いや、大したことじゃないかもなんだけど何か船に当たったみたい」


「まさか機雷じゃないですよね? 機雷はやばいですよ」


「それはないよ。機雷ならもう起爆しているはずだから。それにこのあたりに機雷はもうないだろうからね。可能性があるなら漁業用のブイとかが台風とかで流されてぶつかったとかだけど……」


 そうではないと思った。

 伊織はなかなか結論を出せずにいた。


 だが、その答えは伊織が導く前に出てきた。


「よっこいせーっと!!」


 祭りの掛け声のようなノリをした声は男性のものだった。

 しかも菜月が一番待ちわびていた一人の男のものだ。

 大きな音を立てて換気口のプロペラが外れる。


「やばいやばい。さすがに排気口は汚れているな。きったねー」


 パタパタとホコリを払いのけているのは無愛想な古風の男だ。

 彼の後ろには銀髪をした背の小さな女の子もいた。

 二人を確認した菜月は両目に涙を溜めながら駆け寄った。


「大和さん! アリシアさん!」


 呼ばれて初めて菜月の存在に気付いた。


「菜月さん。すぐに会えてよかったです。艦内の状況を教えてください」

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