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大和桜の舞う頃に  作者: 有佐アリス
第二章  停滞・進捗・追憶・減退
15/92

第一部 「暁の水平線に」 15

    Ⅷ



《フィリピン 南シナ海 北緯19度15分統計121度54分》


 8月6日16時00分

 潜水艦に乗ってまず驚いたのはこの船には乗務員がいなかった。潜水艦は水上艦に比べれば乗務員が少ないことは知っているがシオリと呼んでいた少女一人しかいないというのは現実的に考えてあり得ない。

 だが、乗務員を要さずに伊400は自立していた。

 少女が潜航したいと思えば意志を持っているように船は南シナ海に身を潜める。


「さて、とりあえずは深度100で無音航行するからもう少し追いつくには時間がかかるわね。ところであなたは潜水艦の経験はあるのかしら?」


 榮倉は首を振る。


「あなたは?」


 海図を広げていたアリシアを見る。すぐに彼女も首を横に振った。


「じゃあ、簡単な基礎から教授しておくわね。まずはこの潜航している状態が持つのはせいぜい一日。それ以上は二酸化炭素が溜まるから危険ね。分かっているとは思うけど大きな音も厳禁。基本的にこのあたりは海図ができているから航行に支障はないけど戦闘になれば話は別」


「ああ。できるだけ戦闘を回避して船に戻る。その上でいくつか作戦はある。今の俺たちの船の位置はバリンタン海峡に入ったところで間違いないんだな」


「そうよ。私たちがこのバブヤン島、カミギン島の中間あたりね。大体距離は二〇キロと言ったところかしら」


 シオリは海図と地図の両方を使って場所を説明する。バブヤン島、カミギン島はフィリピンルソン島の北部にある比較的大きな五つの島の中の二つだ。五つの最北端にあるバブーヤン島近くに駆逐艦『桜』はいる。


「あちらの船は航続距離を出すために約十六ノットで航行しているわ。追いつこうと思えば早ければ日が暮れる前には追いつける。さて、あなたの作戦というのを聞こうかしら」


 微笑するとシオリは海図を榮倉に渡す。


「簡単だ。俺たちが戻るためには最大限で近づかなければならない。とはいえ数百メートルの距離じゃ魚雷を撃たれてそのまま海の藻屑だ。海の藻屑にならずに行くためには潜航した状態で船の航行ルートを変更させなければいけない。まず奴らはルソン海峡を横断するだろう」


 榮倉は海図を指差す。

 駆逐艦『桜』がルソン海峡に入るのは約六時間後だ。それまでにこちらが先にルソン海峡に入らなければならない。時間的には厳しいがそこを逃すとチャンスがしばらく巡って来ない。


「そうですね。私たちの乗務員は基本的に長距離航海の経験が少ないのでできるだけ地上の見える場所を航行するでしょうから」


「俺たちは船を攻撃するために潜水艦に乗ったわけじゃない。だったら潜水艦の鉄則なんてもんはいらない。まずルソン海峡まで浮上する」


「浮上? あなた正気かしら。言ったでしょう。潜水艦は見つかれば装甲の薄いただの鉄の鯨なの。それを理解した上なのかしら」


「当たり前だ。俺たちには駆逐艦を抵抗させずに投降させるような器用な戦術も持っていないし持っていたとしてもそれを実行できるような練度も経験もない。だったらセオリーなんてものをぶち壊して最初から行動すれば相手も混乱するだろ」


 アリシアは理に適っていると思った。

 反面、潜水艦乗りのシオリは乗り気ではなかった。


「正気の沙汰ではないわね。私一人でも十分にできないことはないのよ。駆逐艦の一隻くらいなら」


「だが君は俺たちに負けただろ」


「……。」


 シオリは虚を突かれたように言葉に詰まった。


「分かっていたのかしら」


「君は俺たちが最初に敵対した潜水艦だろ。少なくとも一度君は俺たちに負けている。性能的にはあちらに有利な部分もある。だったら最初から奇怪な戦術の方が相手の混乱も生まれる。それでもダメだというなら考え直す」


 シオリは大きく肩を透かした。


「分かったわ。潜水艦としてはセオリーもプライドもないけど理には適っているもの」


「そうか」


「じゃあまずは浮上。全速航行でルソン海峡に行けばいいのよね。もしも運悪く近くに他の艦がいたら一貫の終わりだけど仕方ないわね」


 榮倉は頷く。


「頼む」


「了解」


 シオリがそう告げた直後にタービンの音が激しくなる。

 彼女は何もしていないように見えるが体感でも分かるくらいに潜水艦は航行速度を上げている。次第に艦内に潜航するために溜め込んでいた海水をブローする音が響く。


「なあ、一つ聞いてもいいか」


「何かしら?」


 何の気なしにシオリは振り向く。

 両手に遠隔操作するための機械のようなものは持っておらず操艦できるような道具があるようには見えなかった。事前にこの艦には乗務員がいないことは確認している。だとしたら彼女はどうやって船を操作しているのか。

 彼女は――




「君はいったい何者だ?」




 シオリは小さく笑みを浮かべた。


「あなたの質問にははっきりと答えるわ。私は船。正確には軍艦の記憶を持った人の形をした生き物といったところかしら」


 言葉を失った。

 彼女の言葉を理解しきれない。

 いや意味は分かっている。正確には理解したくないというのが良いだろう。


「そうねえ。分かりやすく言えば船に祀っている(ふな)(だま)の視覚化と言ったところかしら。私は船だから自由に操艦できるし自らの意志で行動できる。まあ、船霊といっても私自身は神ではないのだけどね」


「……。」


 返す言葉に迷っている榮倉の代わりにアリシアが答えた。


「それは全ての船に言えるのでしょうか」


「そうね。漁船や小さなボートとかにも記憶はあるらしいけど人という概念で視覚化できるのは軍艦だけね。あら。その顔は心当たりがあるのね」


 シオリはアリシアの顔を見る。


「……。はい。私たちの船にも『桜』という名前の人がいます」


「でしょうね。そうでなければ私たちとは戦えないもの」


 聞きたいことは数多あったが榮倉はそれらを払いのける。


「だったらもう一つ聞く……。君たちの目的は何だ。戦争でも始めるつもりなのか」


「戦争、ね。あれは本当に辛いモノよ。信じる国のために命を捧げ戦う。それが間違いなのか正解なのか、その先に繁栄があるのか滅亡があるのか。先の見えない闘争の渦。はっきりいって私は戦争と裏切りが大嫌いよ。それに目的は戦争じゃない」


「だったら何を目的にしているんだ」


「さあ? わからないわ。でも強いて言うのであれば。戦うこと、かしら」


 榮倉は大きくため息をついた。


「まあいい」


「榮倉さん? いいのですか」


 ここは突き詰めるべきでは、という口ぶりだ。


「構わない。彼女一人の目的が全体の目的とは違うことだってあり得るんだ。ここで突き詰める必要もないだろ。それに俺たちが最優先ですることは自分の船に戻ることだ。手段を選んでいる余裕なんてないんだろ?」


「……。分かりました」


「そういう訳だ。君がどうであろうと俺たちの目的は変わらない。協力する以上はその方針を貫いてもらうぞ」


 シオリは微笑む。


「ふふ。本当に面白い人ね。分かったわ」


 潜望鏡の横にある椅子に腰かけるとガコンというロックの外れる音が聞こえた。


「とりあえずしばらくは水上での航行になるからハッチは全て開放しておいたわ。あとあなたたち夕食はどうするつもりなのかしら」


「特には決めてないが、別に一食抜いたところで問題はないだろ」


「おバカね。腹が減っては戦は出来ぬというでしょ? 空腹は重要なときに思考力を鈍らせる。本気でセオリーを無視した作戦を使うのであればなおさら空腹でいるようではその瞬間で力を発揮できないのよ」


 榮倉はおバカ発言にむっとした表情をした。


「……。君には言われたくないな。あのまま放置しておけばよかったよ」


「あらそれだと追えないんじゃないかしら? 今ごろフィリピンで孤独死かしら?」


「手段はいくらでもあるさ。君と一緒に行動することが結果的にスピーディだからこうしただけであって君に依存しているわけじゃないんでね」


「あの……。」


「あらあら。手伝ってあげているのに感謝の一言もないのかしら? 最近の日本人は本当に礼儀と言うのものをしらないのね」


「これは君が提案したことだろ? その過程に過ぎないんじゃないか」


「あのお二人とも……。」


「飯も食わずに戦おうとする人にのわりによく言いますわね。それで――」


 シオリが続けようとした瞬間。


「あのっ!」


「……。」


 突然大きな声を出されて榮倉とシオリは黙り込む。


「榮倉さんがシオリさんの言葉にイラついたのは分かりますが話が脱線しすぎです。特に榮倉さん。私たちはこんなこところで油を売っている暇はないですよね。とにかく夕食はいただきますが榮倉さんたちはしっかりとどうするか話し合ってください。私には海戦闘に関するスキルは一切ないのですよ。喧嘩は用が済んでからお願いします」


「……。悪い」


 シオリも小さく頭を下げて謝る。

 しばらく沈黙が流れると自然と作戦を詳細に話し合うために会話が進んだ。アリシアは満足するとシオリから食料のある場所を教えてもらい夕食の準備に取り掛かった。

           8月6日17時45分

    駆逐艦『桜』邂逅まで残り八時間



 20時00分

 数時間が過ぎ榮倉たちの乗る潜水艦は駆逐艦『桜』との距離をたったの5キロにまで距離を縮めていた。


「だいたい8ノットといったところか」


「シオリさん。追いつけますか?」


 シオリは椅子に座ってお茶を飲んでいる。


「ええ。もちろん追いつけるわ。ただこれ以上は発見の恐れがあるわ。そろそろあなたの言った作戦を始めたほうがいいかしら」


 こくりと頷く。


「頼む」


「それじゃあ」


 シオリは湯呑みを机に置くと椅子から立ち上がった。


「メインタンク排水開始。及び一番魚雷注水開始。さあ、夜戦の時間よ。追いかけっこでも始めようかしら!」


 直後に浮上のために排水を開始したメインタンクから大きな重低音が響く。


「これほどの排水音で気づかない方がマヌケよ。さてあなたの想定通り動いてくれれば楽なのだけどね」


 だが、予想通りにはならない。

 集音機を付けていたアリシアが声を上げる。


「爆雷と思われる投射物の着水音を確認!」


「くそっ! 急速潜航!! プランを変えるぞ! バリンタン島に向かえ!」


 榮倉の声と合わせて潜水艦は再び海中に潜り始めた。

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