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大和桜の舞う頃に  作者: 有佐アリス
第二章  停滞・進捗・追憶・減退
12/92

第一部 「暁の水平線に」 12

    Ⅴ



《フィリピン ルソン島 サンタ・アナ》


 8月6日10時30分

 新しい朝を榮倉はフィリピンと言う異国の地で迎えた。

 真夏とだけあって深夜でも扇風機だけでは辛い部分もあったが眠気には勝てずに睡眠をとることはできた。

 特にやらないといけないことがない榮倉は用意された朝食を一人で食べていた。そこに銀髪の少女、アリシアが声をかけてきて「暇なのであれば買い出しを手伝ってください」と言われたため榮倉はルソン島に戻って買い出しの手伝いに来た。

 フィリピンの観光街と言ってもかなり田舎で買い出し用に準備された車両もボロボロの軽トラだ。道こそは舗装されているが本道を抜ければすぐにコンクリート舗装されていない荒れた道に入る。

 数分本道沿いを運転すると目的の比較的大きなスーパーが目に入った。


「あそこでいいのか?」


 アリシアは地図を確認してから肯定した。

 ハンドルを操作して駐車場に車両を停めると荷物を持って降りる。


「まずは生活必需品です。榮倉さんはフィリピンの言語読めますか?」


「安心しろ。大体のフィリピンの言語は英語だ。こういう観光地ならなおさら英語表記されているだろうから」


 店に入るとすぐにある案内板は予想通り英語表記だった。

 案内板を読んでアリシアに場所を伝える。


「急ぎましょうか。菜月さんも待っているでしょうし、今日は早く戻って彼女の手伝いをしておきたいので」


「そうだな……」


 榮倉はふと疑問に思った。

 アリシアと言えば自由奔放なイメージを榮倉は持っている。他人に縛られず思ったことを思った通りにやるような人間に感じていた。そんな彼女がなぜ菜月にそこまで従順に従うのか。


「なあ、一つ聞いていいか?」


「なんでしょうか? 私の分かる範囲であれば答えますよ」


 喋りながら買い物かごにメモ帳に示されたものを放り込む。

 話を聞いているが半分は買い出しに集中している様子だ。


「なんであの子のためにそこまで頑張るんだ?」


 ぴたりとアリシアの手が止まった。


「……。」


 思わず榮倉も地雷を踏んでしまったかと身構える。

 アリシアは少しの間黙りこむと肩を透かした。


「あの子と言うのは菜月さんのことですか?」


「そうだ。別に話したくないなら聞かないけどただ疑問に思っただけだから」


「いいですよ。教えます。あなたことは菜月さんも信頼しているみたいですから」


 再び買い物を始めながらアリシアは語り始めた。


「どこから離せばいいのか少し悩みますね……。とりあえず最初に言っておきますが私と菜月さんとは戸籍上は姉妹なんです」


「姉妹!?」


 どうみてもそうは見えない。

 菜月は昔ながらの日本人顔だがアリシアは欧州の顔立ちだ。姉妹と言うには冗談でも通じることはないが、別の可能性はいくつかある。


「信じられないと思いますが事実です。ただ血のつながりはないのですけどね。榮倉さんも分かると思いますが私はイギリス人の父とベルギー人の母から生まれた生粋の欧州人です。変わって菜月さんは両親、先祖共に日本人です」


 そこでひとつ答えが見つかった。


「つまり養子縁組か?」


「よく分かりましたね。その通りです。私と菜月さんが正式に姉妹になったのは6年前です。それ以前は中東の世界遺産で考古学の研究をしている両親のうちに生まれた一人っ子でした」


「ちょっといいか。6年前って今の君はいくつなんだ?」


「今年で14になりました」


「ってことは二人が姉妹になったのは8歳の頃で良いんだよな」


 アリシアは頷いて見せる。

 14歳ということは榮倉の妹と同い年だ。

 そのことにも驚いたが菜月とアリシアがそんな年端もいかない時期に苦境を迎えていたことにも驚いた。


「そろそろ続けてもいいですよね」


 ああ、と榮倉は答える。


「それでは……」


 アリシアは買い物をしながら淡々と話していった。



    Reminiscence



「私と菜月の出会いは砂塵の舞い続ける硝煙と肉の焦げるにおいのする地獄のような戦場でした」


 アリシアは抑揚なく続ける。

 そのさまはまるで他人の話を説明するかのように映画のストーリーを読み上げるように単調な声だった。


「父の話では私と言う人は生まれてからずっと無表情無感情無愛想という三拍子のついた性格だったみたいで何かに対して感情移入することをしませんでした。実際に目の前で両親が亡くなっても涙は流れませんでした。ただ代わりに虚無感だけ残っていました。まるで心だけを抜き取られたような寂しい感触です」


 榮倉は少し息をのんだ。

 その感覚に似たものを感じたことがある。今は古びた映画のセピアのワンシーンのような記憶に残っていた。


「菜月さんと出会ったのはその数十分後です。空爆によって私たちの居住区は炎と死体の臭いに包まれていて私は本能的にその場所から立ち去りました。しかし周囲には内戦の反乱軍の兵士がはびこっていて不用意に顔を出した者たちは男を殺し、女は辱められるクソみたいな場所です。私のような人間が顔を出せばそのあとにどんな未来が待っているかなど馬鹿でも分かりました。私は必死に地面にへばりついて身を隠し、やり過ごそうと思っていた矢先に日本人の女の子が声をかけてきたんです」


「それが、あの子なのか……?」


 頷く。

 なぜそんな内戦地域に菜月がいたのかという疑問が沸いたがその答えはすぐにアリシアが答えてくれた。


「菜月さんは父の高谷智弘さんの仕事の付き添いだったみたいです。本来は日本で待っている予定だったみたいですが家族での招待みたいらしくその際に運悪く反乱軍に襲われたようです」


 運が悪いというか予想できたことだけに菜月が無事に生き残ったことは救いなのかもしれない。これで菜月が亡くなっていたら今ここに榮倉大和は存在できなかっただろう。

 アリシアは買い物かごいっぱいに不足していた生活必需品を詰めると話しながらレジに持っていく。その瞬間は話を止めるべきかと思ったがここはフィリピンだ。日本語で話している以上店員などが聞いたところで理解できないだろう。


「私はその時は菜月さんのことを正直信用できませんでした。本当は反乱軍の一味で自分を貶めるために一芝居売っているのではないかという疑念がどうしても消せなかった。だからと言ってこのままここに居てはいずれ見つかることは事実でしたので私は菜月さんの後を追って安全地帯に向けて付いて行きました。ただ状況はすぐに悪化します。私の運悪く踏みしめた板が割れて反乱軍の一人に見つかってしまったのです。菜月さんは先行していて見つかっていないみたいでしたが私は兵士と目が合い完全にダメでした。その瞬間だけは自分の不運さを恨みました。ただ殺されると思った瞬間に目の前の兵士は倒れました。そのときは何が起きたのか理解できませんでしたが菜月さんが石を投げて助けてくれたと気付くのにそう時間はいりませんでした」


 聞いているだけでも手に汗握るような生死を分けるような戦場だということは伝わってくる。アリシア自身は感情を出していないが実際に起きた、目にしたことを話す具体的なイマジネーションが自然とにじみ出ていた。

 そんな体験を十歳の年を迎える前に迎えた彼女はその先に何を得たのか余計に興味が沸く。

 アリシアは会計をすると預かってきたフィリピン紙幣を店員に差し出してお釣りを受け取る。他に買わないといけない量と比べたら少ない方だがアリシア一人で運べる荷物ではないので榮倉はいくつかの買い物袋を持つ。


「ありがとうございます。とりあえず一度荷物を車に乗せましょう。窃盗の不安もありますし運転席に置いておきましょうか」


 そうだな、と答えてしばらくするとアリシアは続きを話し始める。

 榮倉は無言で言葉に耳を傾けた。


「菜月さんに窮地を救ってもらって以来は気が楽でしたが戦場と言うのは非情です。空爆は数時間に一度は起きて近くにいた人たちが目の前で亡くなり、もうそこは地獄よりも地獄に感じられました。運がよかったのかは分かりませんが私たちはなんとか安全な居住区の目の前にたどり着きました。ただそれまでの運を使い切ったのか塀を登った先で用を足しに来ていた反乱軍の兵と鉢合わせしてしまい菜月さんだけが捕まりました」


 アリシアは平然とした表情で言っているがその時の状況は壮絶だっただろう。

 店に戻ると今度は一階にある食品売り場に向かう。フィリピンの魚介類から南国ならではのフルーツが所狭し並んでいたがそちらには目もくれずに非常食用に乾パン売り場に行くと見るからにパサパサして喉が渇きそうな乾パンをいくつか持つと榮倉の押しているカートに放り込む。

 アリシアは途中で試食コーナーのウィンナーを一つ齧る。


「意外とフィリピンの食材もいいですね」


「フィリピンの料理は結構美味いらしいな。中にはエグイやつもあるみたいだが」


 榮倉も詳しくは知らないがフィリピンに旅行したことのある同僚は屋台で孵化する直前の卵を茹でたものが売られていたと言っていた。興味本位でインターネットの画像検索をかけたがそのことを今でも後悔するくらいに強烈な見た目だ。

 とはいえ日本の納豆なんて外国人からしたら腐った豆でしかないため似たようなものなのだろう。


「料理は良いのですが日本に住んでいる人が食べても大丈夫なのか衛生面が心配ですね。しっかりとした店ならまだしも屋台などは特に怖いです。それで、さきほどの続きなのですが……。反乱軍に捕まった菜月さんを助けるために私はその時に初めて――」


 アリシアの表情が暗くなった。


「――人を殺しました」


 両者の動きがぴたりと止まる。

 数秒前まではどうでもいい料理の話をしていたような和やかな雰囲気はどこにもなかった。



    Lingering_affection



「なるほどな……。君があの子に従い続ける理由って言うのはそれだけじゃないだろ?」


「はい……。血まみれの私を見て彼女は軽蔑も侮蔑もせずに言ってくれました」


 すぅと肩の力が取れる。


『ごめんね』


 その一言がアリシア・ヴィエラ・クレアという少女の人生を大きく左右した。誰もが一度は言ったことがあるであろう謝罪の言葉。なんでもない謝罪の言葉だったが、言葉が刃物になるように時に言葉は宝物にもなる。

 宝物と言うには似合わない言葉だがアリシアの人生を変えるには十分すぎる。たった四文字のひらがなの組み合わせで人生が変わるくらいに人間の人生は外的要因に大きく左右されてしまう。

 かつてのアリシアがそうであり、短い四文字の言葉があったから今の彼女がある。

 榮倉は沈んだような表情をしているアリシアを見て肩を透かす。


「君は本当に単純なんだな」


 カートを押してアリシアがカゴに入れようとしていた食パンを代わりに入れる。


「……。単純ですか……?」


 ああと答えてカートを押してレジの方へ歩く。

 榮倉を追ってアリシアも付いてくる。


「分かりやすくととても眩しい。君は一+一を二としか答えられないくらいにまっすぐな人間だからあの子が君を責めなかったことを感謝して助けてくれたことを感謝して純粋な思いで誰かのために在ろうとしている。とても単純でストレートだ」


 榮倉の目はどこか遠い場所を見ているようだ。


「あなたに言われて正直癇に障りましたが反論できないですね……」


 単刀直入なアリシアの言葉に口角をあげて笑う。


「ああ。出会ってまだ二日と経っていないが君の生き方は率直に羨ましいくらいだ。その生き方をどうか変えずにいってくれ」


「言われなくとも私は私です。変えるつもりはありません。だったら」


 アリシアは逡巡するような表情をする。


「……?」


「だったら……。あなたにはないのですか? 誰かのためにやりたいこと、なりたいものというものは……。子どもの将来の夢ではないですが榮倉さんにも理想像が一つはあるのではないですか?」


「……。」


 沈黙が流れる。

 レジの店員がレジを打つ音だけが聞こえる。


「聞きたいか?」


「……。」


 すぐに肯定したかったがそう答えるのにアリシアは躊躇った。

 だが自分に正直なアリシアは気になることを期になるままにしておきたくない一心で少しの間をおいて頷いた。


「とりあえず静かなところに行こうか。時間はあるだろ?」





 商店街を抜けてドックのあるパラウィ島近くの観光客の多いホテル街に戻ると静かな雰囲気の小さな喫茶店で昼食を済ませることにした。

 英語の注文票を開いてコーヒーとサンドイッチセットを注文する。アリシアも同じものを注文して食事が届くまでの間に榮倉はさきほどの質問に答えることにした。


「俺は特に誰かのために何かになりたいとかやりたいことはないかな。今はとにかく自分のためにお金を稼ぐし食事もする勉強もする。それがたまたま誰かのためになることはあっても誰かのためにやったことはないな」


 アリシアは先に届けられたコーヒーを一口飲む。


「それは結局誰かのためになるのではないですか? 私が菜月さんに従うのも元をたどれば菜月さんに二度と謝らせたくないという自分のためになるわけですし。自分に益のないことを無償でできるような人間なんていませんよ。漫画のような正義のヒーローが街を守るのだって最後には自分の住んでいる街を、地球を好き勝手に壊されたくないという自己中心的な理由が根幹にありますし。生き物である以上は自身が生きるためであると思いますが」


「的を射たような答えだな。まったくもってその通りだ。でもその正義の味方は明確な守る対象を持っている。街の人が笑顔でいてほしい。悲しい思いをしてほしくない、といういくつもの思いがあるだろ。それが俺と正義の味方の違いだ」


 コーヒーで口を潤して榮倉は続ける。


「俺が生きる目的は死んだときのためだ。生きるためでも誰かを生かすためでもない。そんな人間だ」


「死ぬ時のために……」


 ……。

 会話が止まり静かな店内で響くのは店員が鳴らす食器の音だけになった。

 しばらくの間沈黙が流れ店員が二人の注文したサンドイッチセットを持ってくる。


「俺は……。この世にいない大切な人にもう一度会いたいだけなんだ」


「……。」


 返す言葉を思いつくことはできなかった。

 この世にいないということは彼の大事な人はすでに亡くなっているのだろう。


「君に会った時、少し俺が狼狽えただろ?」


「……はい」


「君が似ていたんだ。その大事な人に」


 榮倉の似ていたというのが外見的なことなのか内面的な印象なのかは分からないが最初に彼が信じられないものを見たような表情をしていたのは印象に残っている。

 榮倉はかぶりをふる。


「悪い。気持ち悪いこと言ったな。とりあえず昼飯食おうぜ」

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