第一部 「暁の水平線に」 1
榮倉大和は帰投早々に熱烈な歓迎で迎えられた。
「大和くーん! おっかえりー!」
天真爛漫な笑顔で大和と呼ばれた白い軍服のような服装の男に抱きつくのは長いプラチナブロンドの髪をサイドでまとめたツリ目の少女。名前は伊桜伊織。目元にはナチュラルなメイクを施して着飾っている。しかし伊織の着ている服は不釣り合いなホコリっぽい汚れた作業服だ。
彼女の手には油とホコリで汚れた軍手をつけており、プライヤと呼ばれるペンチのような工具を持っていた。彼女の着ている作業服はサイズが大きいのか胸元がチラチラと見える。彼女はそんなこと気にしてないようで、その育ちのいい豊満な胸を榮倉にグイグイと押し付けてくる。
「ただいま、そしてさよなら」
首根っこを掴んで引き剥がす。
榮倉に親猫に捕まった子猫のように引き剥がされた伊織は座り込みながら口を風船のように膨らませる。
「ちょっとー大和君ひどい」
伊織は手に持ったプライヤを作業服のポケットにしまうと軽くジャンプして立ち上がる。タン、という靴音が広い建物内に響く。建物の中には海が直接繋がっており、その海水の上には全長100メートル前後の一隻の軍艦が浮かんでいた。軍艦の前方に一基、後方に二基小さな高角砲が備えられており、艦橋に当たる部分には大量の機銃がハリネズミのように装備されている。
この軍艦を知っている人々は駆逐艦『桜』と呼んでいる。
「そんなことより菜月はいつものところか?」
「んー? 執務室にいるんじゃない? 私は先に魚雷の点検をアリスちゃんと済ませとくから」
伊織は不服そうな表情をしていたが、入れ替わりに駆逐艦の甲板に上がる。
榮倉の後ろに大量の道具箱を台車に乗せて甲板に向かっている長い銀髪の少女がいた。
伊織と同じようにぶかぶかの作業服を身にまとっている。ただ、伊織と違って彼女は格段の体が小さいのでまともに歩けていない。
「アリシア。そろそろ新しい作業服買った方がいいんじゃないか?」
榮倉が呼び止めると銀髪の少女は今にも眠ってしまいそうなくらいにうつろな目で振り向いた。彼女は14歳だがよく手伝いに来てくれる。昨日はどうやら夜更かししていたようで目の下に少しクマができていた。
「これがあるのがあるのでいらないのですが」
キョトンとしたような表情で首をかしげる。
不思議そうな表情で自分の着ている作業服を見ている。
「歩けてないじゃないか。それより昨日また夜更かししただろ? すぐに学校行かなきゃいけないんだから昼夜逆転しないようにしろよ」
「学校ですか……」
無表情だが嫌そうな雰囲気を醸し出している。
「結も行くんだ。一緒に行け」
「行かなくても卒業できるのですが」
「とりあえず行け」
彼女が学校に行かないのはいじめられたからでもハブられたからでもなく成績が良すぎて授業を免除されているからだ。
若干、嫌そうだったが観念したように顔を逸らす。
「わ、わかりました……。榮倉さんにそこまで言われると断れません」
「そうかい。じゃあ俺は菜月のところに行くから」
少し強く言いすぎたかと心配したが本当に行きたくないわけではないようだった。
「はい。また後で」
アリシアに見送られると近くにある階段を上がりフロア移動用の横移動エレベーターに乗って最深部にある通信指令室に向かう。
エレベーターを降りると暗証番号ロックの掛けられた核シェルターのようなドアが待っていた。そんな頑丈なドアを開けるとそこにはモニターのブルーの光が部屋中を照らしていた。中には照明の類は無くモニターの光だけで部屋の中は照らし出されていた。
「大和さん。お帰りなさいです」
部屋の中で最も巨大なモニターの前で腰かけた一人の少女がゆっくりと立ち上がった。
黒髪の少女はクールに黒縁メガネを外して微笑をこぼした。
「ただいま」
「……っていうか! 大和さん! 何度も言っていますけど!」
カアッと一気に少女の顔が真っ赤に染まっていく。
「入るときは先にノックをしてくださいって言っているじゃないですか! メガネかけているところを見られるのが恥ずかしいんですから!」
「わかったからとりあえず落ち着いて」
ぽかぽかと力なく連続パンチを繰り出している少女をなだめる。
彼女は高谷菜月。この施設の最高責任者であり、南郷重工造船所の代表取締役だ。つまり社長だ。
「うう……それでどうだったんですか……?」
社長というには年齢も性格も似あわない少女は半泣きの状態のままだ。さっきまでかけていたメガネは胸ポケットにしまっている。
「新たに2隻ソロモン沖で駆逐艦と巡洋艦が確認された」
榮倉の言葉を聞くと菜月の表情はさっきの半泣き状態からキリッとしたクールな表情に変わった。先ほどまでの気の抜けた表情とはまるで違い、仕事のできるキャリアウーマンのような表情に切り替わっている。
「そっか。さすがにそれだとこちらは駆逐艦一隻じゃ対応できないですね。それから沖縄沖合で航行中の戦艦団はどうですか?」
「依然とも機動部隊との合流しようとしている。速力をそれほど出していない分、合流は早くて5日後。遅くとも一週間以内には大規模艦隊が組まれるんじゃないかな」
「そうなれば、こっちが手を出すことを困難になりますね」
「ああ、だが今回の目標はそっちじゃないみたいだ」
「……?」
「アイオワが再就役したのは知っているよな」
「はい。その時に攻撃を仕掛けてきた戦艦『アリゾナ』を撃沈したんですよね。それにしてもアイオワが再就役するのが意外と早かったですね」
「アメリカの生産力はバカにできないからな。お隣の中国やロシアもそうだが人口が日本と比べ物にならんからな。大和級戦艦も建造に動き出したみたいだし、アメリカには足を向けて寝られないな」
「ですね。そこは昔から変わらないことですからね。規模も人口も他国の追随を許しませんし……。それでその新品アイオワさんがどうかしたんですか?」
「今回は『桜』にそのアイオワに補給をする補給艦を伊号潜水艦含めた護衛艦隊で護衛をしてほしいみたいだ」
「護衛任務ですか……少し大変そうですね。場所はどこですか?」
「北方のベーリング海だ。この時期だと北方は雪も降るだろうし気温によっては流氷もあり得るだろうから簡単な任務じゃなさそうだな。正直こんな馬鹿みたいに寒いところに連れ出すあたりシベリアに送られるロシア兵の気分だな」
「ベーリング海ですか……。全任務が終わるのに最低一カ月はかかりそうですね」
「そうだな。大体そのくらいはかかるだろうな。ただ輸送艦が準備できるのが12月になってからだからそれまでは待機だな」
「そうですか。それじゃあしばらくはこちらに居られるのですね」
「せっかくだし週末にどこかにみんなで出かけるか?」
「いえ。週末は文化祭なのでよかったら榮倉さんも来てください!」
「文化祭か……。そんな時期なんだな」
「うちの学校は他よりも少し遅いですけどすっごく盛り上がるんですよ! 模擬店とか劇とかたくさんやるみたいです!」
相当楽しみなのか興奮気味になっている。
菜月が中学校を卒業して高校生になって高校の文化祭を経験していないことを考えれば楽しみなのも無理はない。
特に断る理由もいかない理由もないので榮倉は頷く。
「楽しみにしているよ」
「はい!」
嬉しそうに満面の笑みを見せる。いつも凛とした態度をした菜月を見ているのでこういった年相応の反応は新鮮だ。
「じゃあ、伊織たちにも報告はメールで伝えといてくれ」
「分かりました。それはいいとして大和さんは先に戻っていてください。私はもう少し資料の整理に時間がかかりそうですし」
菜月の持っている書類にはいくつかの重要そうなものも交じっている。
「資料の整理なら手伝うけどいいのか?」
「はい、時間も時間ですし」
手首に着けた軍用時計は18時を回っていた。
すでに妹が帰ってきているころだろう。
「悪いな。お言葉に甘えて、先に帰らせてもらうよ」
「はい。お気をつけて」
「あ、ところで菜月は今日の晩飯は何か食いたいものある?」
「え!? まさか大和さんが作るんじゃないでしょうね。それなら牛乳と冷凍食品をいくつか準備しといてくださいよ。それだけじゃ怖いんで帰りに缶詰でも買っときます」
「いやいやいや……俺が作るんじゃなくて作るのは結だよ。俺が作った暗黒カレーでも食べたいなら別にいいんだけどそのあとの伊織のヤジが……」
「結ちゃんが作るなら問題ないですね! でしたらチーズハンバーグを要求します」
「それだけ?」
「あとドリアをお願いしますね」
「わかった。あとでアリシアと伊織にもメールで聞くけど気づかないかもしれないから菜月からも確認しといてくれ。にしても好物が小学生くらいだな」
「放っておいてください」
「まあまあ。それよりちゃんと二人にも伝えてくれよな」
「任せてください」
ふふん、と絶壁の胸をふんぞり返らせて鼻を鳴らす。
そんな菜月をしり目に榮倉は薄暗い部屋から出て行った。
Ⅰ
南郷重工造船所は宮崎県南部の日南市にある大島との間に浮遊している巨大な人工島の上にある。建設には10年という歳月をかけ、人工島内に事関係者しか入ることはできないことになっている。人工島には3つの入渠ドックが完備されており、そのひとつに入っているのが先ほどの駆逐艦『桜』だ。
本来はこの人工島は自衛隊の新基地として開発が進んでいた。それを建設中に急遽、取りやめることになったため、今は船の入渠ドックとして使用されている。
近くの大島には巨大な造船所もあり、そこで大型タンカーのような大型艦の建造もできるようになっている。現在はその建造施設は大きなブルーシートが覆いかぶせてあり、何を造っているのか外から確認することはできない。
その人工島の一角には関係者が生活できるように複数の住宅が建ち並んでいる。ほとんどが取って付けたようなコンテナハウスだが、その中で一際目立つしっかりとした一軒家がどっしりと建ち構えていた。
一軒家には表札がつけてあり、表札には『榮倉』と『伊桜』と『高谷』と『Alicia』という名前が彫られていた。
この家を一言で言い表せばシェアハウスだ。とはいってもこの家は元々一軒家の予定で建設されたため赤の他人が四人で住むようにはできていない。
そのようなことは気にせずに榮倉は持っている鍵で家に入る
「ただいまー」
少し大きな声でそういうとドタドタと慌ただしい足音が響きだした。
「あ! お兄ちゃん!! おかえりなさい!」
リビングからひょっこりと一人の少女が現れた。
その少女はキャミソール一着で体を隠しながら覗き込んできていた。
「出迎えは嬉しいけど早く服を着なさい」
「あ、ごめんね。今リビングに脱ぎっぱなしにしているからちょっと待っていて!」
分かった、と言って榮倉はゆっくりと玄関に腰かけて履いていた革靴を脱ぎ、近くにある下駄箱の中に放り込む。下駄箱にはいくつか女物のスニーカーやブーツが置いてある。置いてある靴の上には本人の名前が書いてある紙がネームペンで貼られていた。
「菜月の奴、また新しい靴買ったみたいだな。ただでさえ狭い下駄箱なのに……。それにちゃっかり俺のとこに靴置いているし……」
「お兄ちゃん。今から買い物行くでしょ?」
まだ着替え中の結がリビングから顔だけを出す。
「そのつもりだよ。菜月にドリアとハンバーグを要求されているからね」
「アリスと伊織さんは何がいいかな?」
「さっき伊織たちからメールが来たよ。伊織は『いおりんは美味しいお魚を求む~☆』ってことで、アリシアは『肉』だって」
「伊織さんは確か昨日お刺身食べたいって言っていたからそれにするとして、アリスはどうしようかな。あの子意外と好き嫌い多いんだよね。とりあえず着替えたら買い物行こっか」
結はそれだけ言うとリビングの中に入っていく。アリスは伊織もそう呼んでいるがアリシアの愛称だ。榮倉もそれを確認すると廊下を抜けた先にある自分の部屋に入って仕事用の白い軍服から私服に着替える。机の上には一枚の写真があった。そこに映っているのは浴衣を着た金髪の少女。小学生の時の写真だ。その傍らに写真入りのペンダントが置いてある。それを手に取って大事に首にかける。
Ⅱ
榮倉の住んでいるシェアハウスがある人工島には小さな売店しかなくスーパーは人工島を出て車で十分ほどのところにしかない。周辺には住宅団地が広がっており、榮倉たちの来た十八時前後は買い物客で大賑わいだった。
スーパーで同居人3人の買い物を済ませ、妹の結と共に人工島に戻っていた。
自宅に帰るとすでに菜月たち3人の同居人は自宅に戻っているようだ。
最初に出迎えてくれたのはアリシアだった。
「おかえりなさい」
「ただいま」
アリシアの手には着替えの下着や服が握られている。どうやらこれから風呂に向かうところだったらしい。
「アリス、お風呂入るなら私も一緒に入るよ」
「……」
こく、とアリシアは頷いて同意した。
それを確認すると結も履いていた靴を脱いで部屋に着替えを取りに自分の部屋に上がっていった。
風呂場に向かう2人を見送るとリビングから菜月が顔を出してきた。
「大和さん、ちょっといいですか」
菜月に呼ばれてリビングに入ると広いリビングのソファの上に伊織がタンクトップ一枚で寝転がっていた。
「伊織……なんて格好で寝ているんだよ」
「いいじゃーん。こっちのほうが楽なんだし。それに大和くんも女の子の下着見放題だから大歓迎でしょ」
「まあ、俺が見る分にはむしろありがたい限りだけど」
「ほらね。だから問題ナッシングだよ!」
といった会話をしていると菜月がわざとらしく大きな咳払いをする。
「あの! そういったことは時と場をわきまえてください! 大事な話なんですから!」
「ごめんねー。ちょっと大和くんの反応が面白くて」
えへへー、と笑って伊織はソファにしっかりと腰かける。
「それで、話ってやっぱり今度の出撃のこと?」
「はい、今度の出撃は3週間の予定なんですけど、次のメンバーにアリシアさんと伊織さんも入ってもらうことにしたいんです」
「それならアリシアも混ぜて話した方がよくないか?」
「アリシアさんにはさっきメールで話をすることは行ったんですけど整備があるから全部任せるとだけ言って……」
「そういうことか」
アリシアは菜月を全面的に信用しているため、今話を聞かなくても大丈夫と考えているのだろう。
「それで、どうしたんだ」
「実は今回は伊織ちゃんとアリシアちゃんはもちろん、私も一緒に行こうともっているんです」
「別にあたしが乗る分には何の問題もないけど菜月ちゃんは大丈夫なの? フィリピンのこともあるからしばらく乗ってこなかったのに」
「フィリピンの件はあの人に任せきりだった私に問題があっただけで今回は全て自分で準備しましたし……。それに、ただ待っているのは……」
菜月の声はどんどんと縮こまっていく。
その様子を見た伊織が水を得た魚のように飛びついた。
ソファから起き上がると菜月に飛びついて榮倉に聞こえないように小声で言う。
「にゅふふー。待つのも乙女の性ですものなー。でも、そろそろ追いかけたくなる頃なのかにゃ?」
かあ、と菜月は顔を紅潮させる。
「ち、違います! それは待っているのは嫌ですけど……」
「乙女ですにゃー。まあ、菜月ちゃんが大和くん大好きなのは置いといてどうして今回に限って乗るの?」
「なっ! 声に出さないでよ! 恥ずかしいって……」
「いいからいいからー」
にへえ、笑って伊織は肩を組むのを止めて榮倉にも聞こえる声量で続ける。
「なんで今回に限って?」
「……なんというか、なんとなくです」
なんてこった、と思わず言ってしまいそうな理由だった。